乱戦模様の世の中、悪くはないね
- 2010年 7月 6日
- 評論・紹介・意見
- 三上治民主党菅政権
もう○月か、それにしては速いね、とあいさつをしているうちに参院選挙も終盤である。深夜まで選挙結果をテレビにかじりつくようにしてみることになるのだろうが、民主党の小沢前幹事長と枝野幹事長のさや当て合戦など内戦状態も見え選挙後も政治的な激動は続く気配だ。政党、あるいは政界再編へと続いていくのであろう。政権の不安定さを懸念する向きもあるが、それはおもしろいではないか。乱戦、乱世よしである。国民の側の異議申し立てが直接的には見えないところが不満といえば不満であるが、現在の政治の乱戦の根底にはそれはある。沖縄の地域住民の動きは明瞭であるが、それは全国民的な底流としてある。そこに希望がある。可能性でもある。
昨年の夏は自民党を政権の座から降ろすことが課題でありそのための熱気はあった。期待もあった。政権交代で首相になった菅にも失望の方が強い。菅には鳩山になかったアクの強さが感じられ、それは政治家の資質としては悪くはないが、他方では現在の政治権力(者)についての自覚が薄いように思う。例えば、民主党の執行部が何の説明もなしに重大な選挙公約を変えた事を容認し、彼も消費税に踏み込んだ発言をしてことを挙げてもいいが、権力(政権)についた途端に不信を抱かせる態度が見えることだ。政治家や政党が選挙公約(マニフェスト)や自分の言ってきた政治信念を変更することはありえるだろう。自分たちの意思でそうする場合もあれば、意思に反してそうせざるをこともあるだろう。言行一致を心がけたとしてもそうはいかないところもある。だから、政党や政治家が公約や政治的信念の変更せざるを得ない事情は認めるのだがそこで重大なことは国民がその過程で政党や政治家の言動を信用するか、しなくなるかだ。信用されなくなれば、何を言っても信用されなくなる。何をやるか分からないというわけだ。弁明などはいつも用意されている。政治家や政党にとって言動が重要なのはここにある。菅首相は民主党の首脳はその言動において人々の信頼を得ているか(?) 僕は疑問に思う。
菅首相や民主党首脳の提起している政策や構想について外政・内政・権力運用の領域について批判も含めた見解を提示できる。それは折を見ながらやろうと思う。日本が今、置かれている状態の中で何処に向かうべきか投げかけてみればこれはと思うものは少ない。それが日本の置かれている現実であるし僕が出発しようとしている現実だ。これは現実主義という安易な現状肯定ではない。
恣意的な振舞いの結果であるかの区別が重要である。この区別は変更にあたってどれだけ説明をしているか、手続きを踏まえているかで現れる。民主党の幹部や菅の公約などの変更にあたっての態度は説明が足らないし、手続きを踏んでいるようにはみえない。彼らの態度をみていると、今後、何をやるか分からないという不信がある。簡単に公約を反故にし、その理由の説明にさして意を配っていないところをみると、信頼が置けないのである。政治的態度の誠実さというのは権力の座に近づくほど恣意的な振舞いをやめることである。政党は国民に選挙で選ばれて権力の座についたのだから、選挙にあたっての公約の変更を自分たちだけで勝手にやってはいけない。国民に納得の行く説明や努力を要する。国民の目線でということが、政党の内部での勝手な判断で無視されるなら、民主党への信頼は根本で揺らぐ。もう揺らいでいる。簡単に自民党政治には戻らないから乱戦がはじまるのかもしれない。乱戦や乱世のはじまりかもしれないが、それは必然であるし、悪いことではない。この乱戦、乱世に何をするかは重要であるにしても。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion052:100705〕
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