カフカの「遺言」について
- 2012年 1月 7日
- 評論・紹介・意見
- カフカ宇井 宙
薄れていくKの目に二人の紳士が、自分のつい鼻先で頬と頬をくっつけ、結果をじっと見守っているのが見えた。「犬のようだ!」と、Kは言った。恥辱だけが生きのびるような気がした。――フランツ・カフカ「審判」(池内紀訳)
池内紀は自らが編訳した『カフカ寓話集』(岩波文庫、1998年)の解説でこう書いている。
<「カフカ伝説」といったものがある。文学世界の空騒ぎとは遠いところで、地道な生活のかたわら、ひっそりと、発表のあてのない小説を書きつづけていたカフカである。世の名声を願わず、つねに謙虚で、死が近づいたとき友人ブロートに、草稿や断片を含め作品一切の焼却を依頼した。すでに刊行してものも、むしろ読まれないほうがよかったといった。「悪夢を書きちらしただけ」なのだから――。
そんなカフカ像である。孤独に書いて、ひっそりと死んでいった聖なる人物、死後にはじまった名声に、だれよりも驚いているカフカ。>
このようなカフカ伝説の創始者はもちろん、マックス・ブロートその人であるが、池内自身も多少なりともそれに貢献している部分もあったのではないだろうか。例えば、これも池内が編訳した『カフカ短篇集』(岩波文庫、1987年)の解説の中では、次のように書いていた。
<カフカ(1883-1924)は生前、『観察』や『変身』や『田舎医者』など、薄っぺらな短篇集を公にしただけだった。死に際して友人マックス・ブロートに、草稿、メモ、書簡類をも含めて自作いっさいを焼きすてるように頼んだ。もしブロートが友人の「遺言」を守っていたら、世界文学はフランツ・カフカを知らなかったはずである。幸いにもブロートは友人の頼みを無視した。この「誠実な裏切り」がフランツ・カフカという20世紀の代表的な作家を生みだした。
なぜカフカは自作のいっさいを燃やすように頼んだりしたのだろう? どうして自分の作品に対して、そんなに頑なであったのだろう。それが到底、世にいれられるものではないとでも考えたのだろうか。(中略)それともカフカは死後、自分の作品が、あらぬ誤解にさらされるのを恐れたのだろうか。>
いずれにしても、カフカが死に際して、友人ブロートに自作いっさいの焼却を依頼した、ということが「事実」として述べられている。ただし、その理由については、『短篇集』解説では「不明」とされていた。ところが、『寓話集』解説では、それが自己の名声を願わなかったがゆえであるという「伝説」に触れた後に、次の文章が続いている。
<だが、くわしく生涯をみていくと、べつの肖像が浮かんでくる。カフカはたえず発表を意図して書いた。若い出版社が関心を示したとき、その意向のほどを注意深くうかがっていた。ノートには欄外におりおり計算のあとがあるが、発表誌を想定して字数をたしかめたようだ。刊行が決まると、はっきりと本のつくりを指示したし、希望が通らないときには、べつの版元をほのめかした。食事がとれず、声を失った状態で『断食芸人』のゲラ刷りを読んでいた。作品の破棄については、ボルヘスが「バベルの図書館」の一冊にカフカを編むに際して、その序文に述べている。永らくつき合ってきた友人が、草稿類の焼却をいわれても、きっとそのとおりにしないことを、カフカはよく知っていたのではなかろうか。
「ほんとうに自分の著作の消滅を望む者であれば、その仕事を他人に依頼したりはしない」(土岐常二訳)>
つまり、ここではカフカが自作の焼却をブロートに依頼したのは、真率な依頼ではなく、ブロートがその「依頼」に従わないことを承知のうえで述べた言葉だった、と示唆されている。私は最初、『短篇集』の解説を読んだとき、違和感を覚えたものだが、『寓話集』解説のこの部分を読んだときには、違和感を通り越して不快感を覚えた。
私が『短篇集』解説に違和感を覚えたのは、自作を焼却して欲しいというカフカの「遺言」をなぜ池内がそれほどまでに異常で突飛な願いだと見なしているのか不思議だったからである。池内が推測しているような、「到底、世にいれられるものではないと考えた」とか、「死後、自分の作品が、あらぬ誤解にさらされるのを恐れた」などという理由はおよそ的外れだと私には思われる。自分の死後に自分の痕跡を残したくないと考える人は、少数かもしれないが、決して信じられないほど稀有な存在ではないと私は思う。もちろん、「20世紀最大の作家」の一人という評価の確立した後世の目から見れば、なぜ「あれほどの傑作」を抹消しようとしたのか信じられない、という気持ちもわからなくはない。しかし、カフカが亡くなる時点では、無名のサラリーマン作家にすぎなかったわけだし、カフカが自分の作品の価値を確信していたかどうかはわからないではないか。ただし、世間の評価はどうであれ、カフカ自身は自分の作品の価値を確信していた、と反論されれば、私にはさらに再反論できるだけの材料はなかった。私としては、カフカの願いは真率なものだったのではないかという直観のようなものはあったが、それを裏付ける証拠はなかった。
私がもう一点、『短篇集』解説に違和感を覚えたのは、ブロートの裏切りを池内が「誠実な裏切り」と呼んでいることだ。確かに、池内が言う通り、もしブロートがカフカの「遺言」を守っていたら、フランツ・カフカという20世紀の代表的な作家は歴史の闇に埋もれていた可能性が高い。そうだとしても、それは「誠実な裏切り」として手放しで称賛できることなのだろうか? 「誠実」とは誰に対して誠実なのか? 読者に対してか? ではカフカに対しては? それをしも「誠実」と呼ぶことは言葉の濫用以外ではないだろう。それとも死者のことは考えなくてもいいのか?
このような違和感は、『寓話集』の解説に至ると、はっきりとした不快感に変わった。そこでは、カフカは最初から、ブロートが自分の「遺言」に従わないとわかっている「遺言」をあえて残したことになっている。一体何のために? 恰好をつけるため? それとも死後の名声を高めるために?
このような解釈は、私には非常に不快に感じられたが、残念ながら、それに反論しうる材料を私は持っていなかった。ところがつい最近、私はこうした解釈が全くの間違いであるばかりか、それ以前に事実にも反していることを示す文章に出会った。ミラン・クンデラの『裏切られた遺言』(集英社、1994年)である。それによれば、カフカの「遺言」についてブロートが1925年の初版『審判』の後書きで明かした事実は以下のごとくである。
「遺言」とは実際には投函されなかった2通の手紙である。ともに1924年のカフカの死後、ブロートが友人の引き出しの中から見つけたもので、一通はインクで書かれ、もう一通は鉛筆で書かれていた。インクで書かれたものは1921年以前に書かれていたもので、同年ブロートはカフカとの会話の中で、自分は自作の一部を処分し、別の一部は見直す等々のことを頼んだ遺書を書いたと話すと、カフカは「ぼくはきみに、すべてを焼却するようお願いするよ」と言って、その手紙を見せたという。鉛筆書きの第2の手紙は、それ以後に書かれたもので、さらに詳しく自分の意向を述べている。それによれば、カフカは自分の作品のうち、『判決』、『火夫』、『変身』、『流刑地にて』、『断食芸人』は「承認しうるものである」と述べ、『観察』の何部かは残っても構わないが再版してはならないと指示している。そのうえで、「手紙と日記などの私的な書き物」と「彼自身の判断では最後まで仕上げることに成功しなかった短編小説と長編小説」の2種類については破棄したいという希望を表明している(前者はことのほか強調している)という。
つまり、池内が『短篇集』と『寓話集』のそれぞれの解説で2度にわたって強調している、「自作の一切を焼却するよう依頼した」という事実はそもそもなかったのである。そうではなく、カフカは自分の書いたもののうち、自分の死後も残すべきものと残すべきでないものとを明確に区別して指示していたのである。そして、自分が完全に納得できなかった作品と最後まで仕上げられなかった作品、そしてとりわけ手紙や日記などの私的な書き物は破棄するよう依頼していたのである。事実がこうである以上、カフカが、自分の依頼が無視されることを承知で全作品の焼却を依頼した、などというのは噴飯物の作り話というほかない。では、「ほんとうに自分の著作の消滅を望む者であれば、その仕事を他人に依頼したりはしない」というボルヘスの意見はどうか? これもクンデラによれば、仕事用の日記や未完の散文などは、ものを書いている限りカフカにとって有益なものであり、死にかけてでもいない限り、破棄するどんな理由も存在しないが、カフカが死を迎えつつあったとき、彼は自分の家ではなくサナトリウムにいたのであり、友人の助力を当てにする以外に選択肢がなかったが、カフカには最後にはたった一人の友人であるブロートを当てにするしかなかったのだという。これも実に説得力のある議論ではないだろうか。
もちろん、クンデラはブロートの置かれた極めて困難な立場を十分に理解している。なぜなら、焼却を指示された文書の中には、未完の短編と、とりわけ重要な3つの長編小説が含まれていたのだから。しかしブロートは、カフカの日記や手紙を含めてすべてを見境なく公刊した。この行為をクンデラは池内のように「誠実な裏切り」とは見ない。「私の眼にはブロートの不謹慎さには、どんな弁解の余地もないと見える。彼は友人を裏切ったのだ。本人の意志に反し、その意志の意味と精神に反し、彼が知っていた友人の慎ましい人格に反した振る舞いをしたのである」とクンデラは断じている。
だが、そもそもなぜカフカは書簡類の廃棄を求めたのだろうか。それは彼が公刊を恐れていたためだとはクンデラは考えない。「彼が書簡を破棄したいという気持ちに駆り立てられたのは恥辱、ごく基本的な恥辱、作家としての恥辱ではなく、たんなる一個人としての恥辱、他人、家族、見知らぬ人間たちの眼に自分の内奥の事柄が引き出されることの恥辱、客体にされてしまう恥辱、「彼のあとまで生き残る」かもしれない恥辱だった」とクンデラは述べている。私もこの解釈に全面的に同意する。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study432:120107〕
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