中川保雄著『放射線被曝の歴史』の紹介(「目次」と「序にかえて」を転載)
- 2012年 1月 13日
- 評論・紹介・意見
- 『放射線被曝の歴史』中川保雄諸留能興
**転送/転載/拡散 歓迎**
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昨年秋に出版されました
<増補>『放射線被曝の歴史』
中川保雄著
島薗進氏推薦
明石書店
ISBN: 9784750334820
2011年10月20日初版第一刷
本体2,300円+税
http://www.akashi.co.jp/
は、大変優れた著書です。
地道な「実証史学的方法論」を縦横に駆使し、本書巻末に掲載されているアメリカ側の膨大な公開情報(公文書資料等)を、丹念に収集・分析することで、対象とする問題の根底を、深く、鋭くえぐり出すことに成功した著者、中川保雄氏の手腕に深い敬意を表します。
著者中川保雄氏の用いた「実証史学的分析方法」と同様の分析方法を用いた秀作として、私たち圧倒的多数の日本人、とくに京都人の「神話」を、完璧に打ち砕くことに成功した、日本史研究会の吉田守男氏著の『京都に原爆を投下せよ—原爆投下目標は京都だった』(角川書店)の著書と並ぶ、記念碑的な著書と言っても過言ではない。
ジャーナリスト界のシンクスが2つある。
ひとつは【世間で言われている「秘密情報」の90%は「公開情報」の中に既に隠されている】と言うもの。
もうひとつは【「うそ」は「真」の皮、「真」は「ウソ」の皮】というのです。
決定的に重要な情報は、秘密にされ、市民大衆に知らされないから解らない・・・のではなく、既に今までに、一般市民大衆に流された、公開情報の中にこそ、決定的な情報が含まれているのだが、一般大衆はそれに気付かないだけ・・・という意味です!
また、「あぁ・・これはウソだなぁ・・・」と世間の人から思われ、棄て去られ無視されるような情報でも、その「ウソ情報」の皮を、一皮めくれば、実は意外な真実をそこに発見できる。逆に、世間から「あぁ・・これだけは確かな情報だ」と、「真実」と思われてる情報でも、その「確かな情報」の皮を一皮めくれば、その情報が実は「ウソ」か、あるいは「確かさを疑わせるだけの十分な情報がそこに含まれている」ということ。
市民大衆は、そこまで、公開情報をコツコツ収集したり分析まではしないから、気付かないだけ。私(諸留)自身も、この「法則」がかなりの確率で正しいことを半年費やして分析収集して、この「実証史学的分析方法」の有効性を確認した経験があります。
今回、本書の「目次」と「1 放射線被害の歴史から未来への教訓を —- 序にかえて」の2箇所だけに限り、ウェブサイト掲載に伴う、電子化や公衆送信権使用の許諾を、出版者の「明石書店様」並びに、(2012年1月現在)の著作権者の中川慶子様(著者中川保雄氏の奥様)から私(諸留)が承諾を給わりましたので、以下、公開掲示します。
拡散・拡大・複写・転送など大歓迎!
「今回の福島第一原発事故の事態の重大性を鑑み、著作権の保護より有益な情報の提供・公開を優先するべきと考えています」とご判断下さいました本書出版社の明石書店様と、著作権者の中川慶子様のお二人に、ここで、改めて厚く感謝の意を表します。
福島第一原発事故による放射能汚染、とりわけ低線量被曝の危険が日増しに増大・拡散する兆しが強まりつつある現況下にあって、一人でも多くの日本国民が、本書を読んで下さることを願います。
東電や政府・官僚・自治体・保育教育現場管理者・地域住民の圧倒的多数が「盲信している」ICRPの放射能安全値が、核兵器と原発の核エネルギーの開発推進を画策する、アメリカを中核とする、日本も含む欧米核独占超大国の「政治的判断だけに基づいて恣意的に決定された我慢強制値」でしかない値であることは本著の随所で確認できる。
とりわけ低線量被曝量の人体への影響如何に関しては放射線医学的、疫学的科学的検証や確認などは、その出発当初からほとんど考慮されることなく決定された値であったことは、本書以外にも昨年暮れにも再放送された
NHK特集ドキュメント 追跡!真相ファイル「低線量被縛 揺らぐ国際基準」
(関西地方:011チャンネル)
2011年12月28日(水曜)PM22:55再放送(30分)
このTV番組は、以下のULRから見れます
http://matome.naver.jp/odai/2130135738661742901/2132514465921397203
の中で、国際放射線防護委員会(ICRP)名誉委員(複数)が
「低線量のリスクはどうせわからないのだから半分に減らしたところで問題はない」
「科学的根拠はなかった。我々の判断で決めたのだ」
と言明していたり
更には国際放射線防護委員会(ICRP)科学事務局長のクリストファー・クレメント氏も「これまでICRPでは低線量の被曝のリスクは低いと見なし、半分に留めてきていることが、本当に妥当なのか議論している」との驚くべき無責任な発言を、質問したNHK担当者に対し公言している!
しかもその事実は1980年代後半から既に始まっており、その頃から、ICRP基準値のデーターの基礎となっていた広島・長崎の被爆者データーが、アメリカの核戦略の「政治的意図」によって「修正」されることになったという!
このことからも、著者の慧眼の正しさが傍証できる。
本著か広く読まれ、拡散することで、原発廃止イコール核兵器廃絶であることが、国民的規模で自覚され、拡大・深化していく一助となって頂くことを切望する次第である。
※【註】
以下の「1 序にかえて」の本文は、原著の段落表記とは異なって表記されています。改行を頻繁に挿入しないで長文で送信すると、しばしば発生する「文字化現象」を回避する為、原著には無い改行を適宜挿入させました。
改行冒頭部で「一文字下げしてある」改行開始箇所が、原著本来の段落(改行箇所)です。
改行冒頭部で「一文字下げしてない」改行箇所は、原著では改行無しで、全段に直結しています。
従ってこの「1 序にかえて」の、
原著の段落改行箇所数は、全部で20段落です。
===========以下原著からの転載=====================
もくじ
1 放射線被害の歴史から未来への教訓を —-序にかえて—
2 アメリカの原爆開発と放射線被曝問題
・全米放射線防護委員会の誕生
・マンハッタン計画の放射線科学者
・戦前の被曝基準と放射線被害
3 国際放射線防護委員会の誕生と許容線量の哲学
・ICRPの生みの親
・許容線量の誕生
・アメリカの核開発と許容線量
・ICRP一九五〇年勧告
4 放射線による遺伝的彰響への不安
・原爆傷害調査委員会(ABCC)の設立
・ABCCによる遺伝的影響研究
・倍加線量と公衆の許容線量
5 原子力発電の推進とビキニの死の灰の影響
・原子力発電でのアメリカの巻き返し
・ビキニの死の灰の影響
・BEAR委員会の登場
・許容線量の引き下げ
・ICRP一九五八年勧告
・国連科学委員会
6 放射線によるガソ・白血病の危険性をめぐって
・微量放射線の危険性への不安の広がり
・死の灰によるミルクの汚染
・ガン・白血病の「しきい線量」
・広島・長崎での放射線障害の過小評価
7 核実験反対運動の高まりとリスク — ベネフィット論
・核実験反対運動の高まり
・リスク – ベネフィット論の誕生
・一九六〇年の連邦審議会報告とBEAR報告
・ICRP一九六五年勧告
8 反原発運動の高まりと経済性優先のリスク論の “進化”
・反原発運動の高揚
・科学者による許容線量批判の高まり
・原発推進策の行きづまり
・放射線被曝の金勘定とコスト – ベネフィット論
・BEIR – 1報告
・ICRPによるコスト – ベネフィット論の導入
・生命の金勘定
・原子力産業は他産業よりも安全
・ICRP一九七七年勧告
9 広島・長崎の原爆線量見直しの秘密
・原爆線量見直しの真の発端
・マンキューソによるハンフォード核施設労働者の調査
・絶対的とされたT65D線量の再検討へ
・軍事機密漏らしの高等戦術
・BEIR – 3報告をめぐる争い
・日米合同ワークショップによるDS86の確定
10 チェルノブイリ事故とICRP新勧告
・ICRP勧告改訂の背景
・新勧告につながるパリ声明
・チェルノブイリ事故と一般人の被曝限度
・新勧告とりまとめまでの経過
・アメリカの放射線防護委員会と原子力産業の対応
・国連科学委員会報告
・BEIR – 5報告
・線量大幅引き下げのカラクリ
・新勧告の最大のまやかし
11 被曝の被害の歴史から学ぶべき教訓は何か
・時代の変化とともに広がる被曝の被害
・防護基準による被害への対応の歴史
・現在の被曝問題の特徴
・日本における被曝問題の最近の特微
・食品の放射能汚染
12 おわりに
増補 フクシマと放射線被曝
1 フクシマ事故の特徴と労働者・住民の大量被曝
2 一〇〇ミリシーベルト以下の被曝も危険
3 フクシマの汚染・被曝対策とICRP
4 放射線被曝との闘いから脱原発へ
5 フクシマが示すもの
旧版 あとがきにかえて
増補版 あとがき
文献
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1 放射線被害の歴史から未来への教訓を —- 序にかえて
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人類が原子力の開発を始めてからおよそ半世紀たった。通常、その前半はもっぱら核兵器の開発の歴史として、そして後半はそれに加えて原子力発電の歴史として語られる。
しかし原子力を、開発と技術的発展の側面からのみ語ることはできない。また許されない。なぜならこの半世紀は、原子力開発に必ずつきまとう放射線被曝の歴史でもあったからである。しかもその被曝は、人類を死滅させるかもしれない恐るべき危険性をもつのである。
ところが人類の生存を左右する放射線のこの被曝の危険性について、歴史的にどのように認識され、どのように対処されてきたのかを体系的に扱った書物はいまだない。
わずかに、放射線被曝防護の歴史を表面的に扱った書物がいくつか存在するが、それらはすべて放射線被曝を管理する立場から書かれたものばかりである。
放射線防護の行政と実務に深くかかわる種々の組織や学会、協会の人たちの手になるそれらの放射線被曝問題の扱いは、原子力発電の推進あるいはその容認の立場から記述されている。
したがってこれまでに出版されたそれらの書物から、原子力の推進をはかってきた政府や原子力産業の放射線被曝問題に対する政策への批判を見いだすことはほとんどできない。
また、国際的な科学的権威とされている「国際放射線防護委員会」(ICRP)」などが、核兵器開発策や原子力発電推進策とどのように結びついていたのかを知ることはできない。ましてや原爆被爆者や原発労働者など「ヒバクシャ」の真の被害や苦しみを見いだすことなどとうていできない。
原子力の問題に関心を抱く多くの人びとにとって現在最も必要なことの一つは、原子力が人類の未来を約束するものかどうかを、ありとあらゆる原子力開発に共通し、その基礎に横たわる放射線被曝の問題から考えることであると私は思う。
一九七九年のアメリカのスリーマイル島事故は、原発重大事故が現実に起こることを教え、一九七九年のソ連のチェルノブイリ原発事故は、原子力発電が地球的放射能汚染と分かちがたいものであることを示した。
原発と核燃料サイクルによる放射能汚染は、人類と地球上のすべての生物にとって、死活の脅威となっている地球環境問題の筆頭にあげなければならない。
核戦争による人類の滅亡を避けうる可能性が現在大きく高まっている。逆に、たった一つの原発の重大事故でさえ核戦争に匹敵する深刻な被害を引き起こすことをわれわれは今、身をもって教えられている。
核戦争ではなく原発・核燃料サイクル施設の重大事故で、人類と地球上の生物が滅ぼされることはないと誰が断言できようか。
しかし人類の将来の発展に原発は不可欠とする考えが依然として世界を支配している。いやむしろ最近は、主要な先進工業国は原発の新たな推進に未来を託そうとしている。
日本はその先頭を走っている。しかも、広島・長崎の惨害を経験して放射能の恐さを熟知していると思われているがゆえに、日本の原発推進策は世界のその動きを大いに鼓舞する役割を果たしている。
われわれは放射線被曝の影響についてどれほど知っているのであろうか。いや、その危険性や被害について、核兵器や原発の開発を進めてきた人びととどれほど違った観点から考えてきたであろうか。放射能の恐さや放射線被曝の危険性に関する公的なあるいは国際的な評価は、核兵器を開発し、それを使用し、その技術を原発に拡張した人びとと、それらに協カしてきた人びとによって築きあげられてきたのである。
それらの「定説」とされている考えを批判的に受けとめることから始めなければ、被爆国のわれわれが世界の他の国の人びとよりも放射能の恐さについてよく知っているなどとはとても言えない。
被害をどうみるかが問題とされる事柄を、加害した側が一方的に評価するようなことが、しかもそれが科学的とされるようなことが、まかり通ってよいものであろうか。そのような問題のある評価を基にして、現在の放射線被曝防護の基準と法令が定められている。
言い換えれば、一般には通用しないようなやり方で、放射線被曝の危険性とそれにろる被害を隠し、あるいはそれらをきわめて過小にに評価することによって、原子力開発は推し進められてきたのである。
原子力の時代が始まってから、放射線被曝の危険性はどのように考えられてきたのであろうか。それは、どのような人びとによって、いかに過小評価されてきたのであろうか。
被害者たちはどのように扱われてきたのであろうか。これらの事柄を、従来の説明とは全く異なる視点と証拠から明らかにするのが本書の大きな目的である。
秘密で覆われていることが、核・原子力問題の本質的な特徴ではある。しかし、公表されている資料と情報もまた膨大な量にのぼる。それらの入手可能な資料から、隠されているものを丹念に拾い、それらを結びつけることによって、本質的に重要なことがらを見いだすのがここでのやりかたである。
時間の経過に従って述べるなら、私がまず試みたのは、アメリカの「マンハッタン計画」の下で行われた、放射線の人体への影響の研究を洗い直すことだった。原爆放射線の研究は広島・長崎から始まる、と言われる。たしかにその面がある。
しかし破壊を目的とするものが、破壊の程度をなんら予測することなく開発されるということはありえない。そう考えて、マンハッタン計画から放射線の被害について見直すことにしたが、調べてみて驚いた。放射線をあびせる人体実験まで行われていたことが解ったからである。
この事実は後に、アメリカの議会で一九八六年に秘密が暴露されて日本でも多くの人の知るところとなった。しかしそれまでは、マンハッタン計画での放射線被曝の問題など調べても秘密の壁に遮られて何も得られないと考えたのか、誰もそのことすら指摘しなかった。
この例をみても、マンハッタン計画に関する日本の研究に大きな問題点があると指摘することができよう。同時に、誰もがよく知っていると考えている広島・長崎の原爆災害の放射線被害に関する研究に、基本的な視点で欠けるものがあると教えられる。
広島・長崎の放射線被害に関しては、これまで日本でも豊富な研究がある。そのうえ、アメリカ占領軍がプレスコードをしいて被害の実情が多くの人びとに知られることを阻んだという歴史的な経過もあったため、すでに日本やアメリカで公表されているものからは放射線の被害に関して本質的な点で新しい事実は見いだされないのではないか、と考えている人が多い。
最初は私もそのように考えていた一人である。しかし加害した側のアメリカ軍によって調査された事柄を、被害者の側に立つべき日本の研究者たちも大筋において受け入れているという事情は、なんとしても説明しがたいことではないか。
原爆が投下された直後の広島・長崎を調査したのは、日本では「日米合同調査団」とされている。しかしアメリカの公式文書では、それは「アメリカ軍合同調査委員会」と称される。この一例が示すように、調査を行った主体についてすら日本で正しく理解されているとは言えないのである。
このことは、放射線被曝の危険性に関する調査内容の評価にもあてはまる。じつは、アメリカ軍による原爆被害の隠ぺいや過小評価に、日本の代表的研究者たちも同意を与え続けてきたのである。その結果、多くの被爆者たちが、その急性死や急性障害を放射線のせいではないとされたり、ガンや白血病などの晩発的な影響についての評価を歪められてきたのである。
なぜそのようなことがまかり通ってきたのか。それを明らかにするのもこの書の目的の一つである。広島・長崎の原爆被害を調査した日本人の主だった研究者たちが、日本の侵略戦争に協力していたということが、そのことを説明してくれる。
あるいは、戦争中に日本の原爆開発に従事していたり、戦後に日本の原子力開発に関係していたことが絡んでいる。
それらの原爆被爆者の調査が基になって、原子力発電における放射線被曝の防護基準が作られている。その防護基準に集約される放射線被曝の危険性の評価については、「アメリカ原子力委員会」とその関連組織が最も大きな役割を果たしてきた。
これらアメリカを中心とする放射線被曝問題の扱いについて、筆者は一九八七年から一九八八年にかけてニューヨーク市立大学に滞在したおりに、この問題の当事者にも直接あたって調査した。
たとえば、本書の中でしばしば登場するL・S・ティラー・アメリカ放射線防護委員会名誉委員長やK・Z・モーガン・国際放射線防護委員会委員などがその一、二の例である。またアメリカ原子力委員会関係の文書の中には、情報公開法によって機密扱いが解かれたり、その結果出版されたりしたものも少なくない。
それらを基に、これまでほとんど知られていなかった「アメリカ放射線防護委員会」の放射線被曝問題に対する対応や、「アメリカ原子力委員会」による国際的な体制づくりの秘密を明らかにすることができた。その実態を解明し、従来の「定説」と異なる歴史を示すことが本書の大きな目的である。
もとより本書で明らかにされうる事柄は、隠されていた秘密のごく一部でしかないであろう。それにもかかわらず、核兵器と原子力発電の開発に伴う放射線被曝の被害者が、これまでいかにして無視されたり切り捨てられたりしてきたのか、その基本的な仕組みを明るみに引き出すことが可能である。
ここで明らかにしえたその仕組みは、原子力開発とそれによる放射線被害の問題にとどまらず、地球的問題を含む環境汚染問題とそれらによる被害の問題にも基本的にはあてはめることができるであろう。
人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う。ここで扱う問題に即して言えば、放射線をあびせられたヒバクシャの被害や、将来の時代を担う赤ん坊や子どもたちへの放射線の影響をどのように考えてきたかで測られると思う。
その子どもたちの安全を守るという場合、放射線の人体への影響という科学的な判断とともに、安全をどのように考えるかという社会的な判断が絡むことになる。その判断は、情報と社会的な権力を握る人たちが、自分たちに都合のよいように行ってきた。
その結果、原子力産業と原発を推進する人びとは、子どもたちを放射線の被害から守るという問題においてすら、経済的な利益を至上とする原理や、人の生命すら貨幣的価他に換算する仕組みを作り上げたのである。
本書のめざすところは、この原理や仕組みが、いかにして「科学」とされていったのかを解き明かし、闇に消され、切り捨てられた被害を新しく見出された証拠とともに示すことにある。
安全なものは「安全」でございますなどとことさら宣伝などしない。人びとが原発に抱く不安は、そのような「原子力広報」などでなくなりはしない。いや、大金を使ったうさん臭いその安全宣伝に、いっそうの不安を感じている。チェルノブイリ事故は、われわれ自らが不安を直視することを求めている。
われわれはその警鐘を受けとめて、この半世紀の放射能被害の歴史を直視することからまず始めよう。そして、放射能被害者を生み出す根源を見据え、新たな被害者を生み出さないためには何が必要か、を考えたいと思う。
=======以上 終わり========
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0751:120113〕
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