音と音楽――その面白くて不思議なもの(7)
- 2012年 1月 17日
- スタディルーム
- 石塚正英行進曲野沢敏治音音楽
第7回 行進曲について
>往< 石塚正英さんへ 野沢敏治から
春の来る前に想い出すこと
新年に入って陽ざしは着実に明るくなっています。春になると聞こえてくる音、それは小学校の運動会のざわめきです。心が浮き立つ音楽が流れます。かけっこの時には、ピストルがパン、パンと鳴り、調子のよい曲が走る子をせかします。ワ―ッ、ワ―ッ、と歓声があがる。地域の住民は自分の子供時代のことを思いだすのでしょう、スピーカーがかなりの音量を出しても、文句を言う人はいません。これに対して、大学の管弦楽団のサークル室から出るトランペットの練習音には近所から苦情が出ます。
運動会では行進がつきものです。行進にはたいてい行進曲がつきます。行進曲というと、ぼくらは中学校で軍隊行進曲を聴きました。特にシューベルトの3曲はみなが知っている節です。第1番目は2拍子で、タン・タタ・タッタ、タン・タタ・タッタ、タン・タタ・タッタ・ター(↑)…。これは4手のピアノ連弾であって、アンヌ・ケフェレクとイモジェン・クーパーの二人の女性が1978年に録音したレコードは本当に楽しげに演奏していました。シューベルトが過ごした少年時代にはナポレオン戦争で恐ろしい殺し合いが行なわれています。フランスは小太鼓と笛の軍楽隊でもって硝煙の上がる戦場で兵士を鼓舞していました。その節はシューベルトの耳に届いていたかは分かりませんが、軍隊行進曲と名づけられていても、やはり彼らしい曲になっています。テンポよく軽快になったり、優美になったり、3部形式の中間部では意外の転調をして精妙な効果を出しています。これを女学生向けのどうということもない練習曲だとけなす音楽家がいましたが、シューベルトの価値を知らなかったのです。
軍歌は戦争賛美か?
軍歌はわれわれの親の世代のものです。今の大学生の祖父母からもう少し古い年代のものです。でも今日の子供でもそれに似た曲調を耳にしていないかな、運動会で。戦前・戦中の軍歌はたいてい歌詞が日本は万邦無比の日の下の国とか神武天皇以来の皇統の連綿を誇り、国体の完全無欠を歌う内容でしたが、それらはフランス等に留学した者があちらの軍歌を手本にして作曲したものです。もちろんヨナ抜き音階になっているのですが。聴いていると、あれ、ヨハン・シュトラウスのワルツに似たところがある!と気づきます。そういえば、かの「君が代」も宮中の雅楽を元にしてお雇い外人が作曲したものです。それは後に軍歌にも編曲されますが、その時にもお雇い外人が関わります。「日本主義」は純粋のものでなく、実は西洋の音楽技術や管楽器編成・調性を使っているのです。和洋折衷です。「右翼」はこのことを知っているのだろうか。さて軍歌は時局のものですから、時局が変われば消えます。でも消えるのは表面であり、巷では後まで残り、ぼくらの親はそれらを耳にするとなつかしがっていました。みなあの戦をなんとか生き延びてきたのです。「暁に祈る」とか「露営の歌」はぼくもどこかで聴いたことがあります。歌謡調なので人の胸に残ったのでしょう。でも戦中に「海ゆかば」のような鎮魂の曲に深く思いを致してきた人からすれば、敗戦に遭って、あの時代は何であったのかと空しくい、もう口にしたくない気持はなんとか理解できます。
軍歌は戦いを鼓舞するためのもの、結局は殺し合いをするのですから、その用に間に合うものでないとだめでしょう。でもそれだけかというと、そうでもないところが複雑です。表現は実用と離れることがあります。戦争の中の人の心を表現することは戦争賛美になるか、これは問題となります。
音楽と政治
山田耕筰はヨーロッパの先端の音楽を追う――当時ではR.シュトラウスとかスクリャービンなど――軽いところがあり、日本でもオペラやシンフォニーを作曲できることを示したいという変な野心を持つ人でした。彼の歌曲は日本語の抑揚を旋律に近づけるという独特の理論でもって作曲されており、それはそれなりにぼくらの歌になっています。「からたちの花」や「赤とんぼ」など。でも滝廉太郎の「荒城の月」の「ハルカウロウノ ハナノエン」のエは♯がついて半音高くなっているのに、山田は日本にはなじみがないということで♯を取って全音に変えています。それが今は一般的になっていますが、原作者の意図を尊重してもとに戻すべきだと思います。その他細かな変更数多し。彼は実に多方面に能力のある人でしたが、音楽行政でも活躍していました。「陸軍記念日を祝う歌」を作曲しています。その歌詞は日露戦争の勝利を祝うものでした。また彼は戦中に総動員体制に応じ、音文協を組織し、音楽面で文化戦を行ないます。芸術の政治化です。この山田が戦後、音楽評論家の山根銀二から戦争責任を問われますが、山田はそちらこそ問われるべきだと反論しました。でも論争は続きませんでした。戦争責任とは何か。その問いは東京裁判――これじたい問題があります――だけに任せるものではないでしょう。とくに音楽家の戦争責任なるものは音楽家の作品創造のあり方と切り離してはできないものです。ぼくはいずれ芸術と政治について考えてみたいと思っています。
ヴェルディは『アイーダ』の中に凱旋行進曲を入れました。これを問題にする野暮な人はいないでしょう。また彼は初期にイタリアの民族統一の運動を背景にした歴史オペラを作曲しています。この「若きナショナリズム」を批判する人もまずいないでしょう。ソ連時代の作曲家プロコフイエフはアレクサンドル・ネフスキーがスェーデンとドイツの軍隊を勇敢に破ったことを讃える歌を作っています。これも問題にする人はいません。これに反して日本が明治に国権的自立を求めていた頃の軍歌についてはどうでしょうか。それは問題にするしないというレベルには至らず、誰の記憶からも漏れています。どうしてなのか、考えてみる価値はあると思います
音楽の生の一面
以前にもちょっと触れましたが、童謡の「むすんでひらいて」は2拍子できびきびと大声で歌えば軍歌に化けます。「蛍の光」も軍歌になっています!この種の変化は日本だけのことでなく世界で一般的です。どこかにも書きましたが、日本人なら誰でも知っている「故郷の空」、これはもとは18世紀のスミスの時代にスコットランド人の国民的詩人R.バーンズという人が採集した旋律に詩をつけたものでした。もとの歌題は「ライ麦畑を通りぬけて」です。その詩が春歌なのです。ライ麦は背が高いので恋人にはもってこいなのです。実にあっけらかんと即物的で、ぼくなどそれを日本語に訳して口にするのはちょっとはばかられます。グラスゴーではバーンズの誕生日の集まりで現地の御婦人たちと一緒に歌うことがありました。その時には原語の感覚は分かりませんので、こんな歌日本で知っているぞと大きな声で歌いました。
ぼくの好きな歌手でアルトの――ソプラノではありません――キャスリーン・フェリアがいます。深くて広い実に独特な声の持主でした。彼女が1952年にエディンバラ音楽祭でワルターの指揮で歌ったマーラー「大地の歌」はよく聴きます。青春の歓びの歌から最終章の友への永遠の別れの歌に至るまで。その演奏の時はもう癌に冒されていて自分にとっても最後の別れであったのですが、彼女の眼には輝くものがあったらしい。翌年に彼女は亡くなります。その彼女はほとんどのコンサートで終わりに民謡や俗謡を歌っていました。そこにはバーンズのものを編曲したものも含まれています。民謡や歌謡だと思い入れたっぷりに歌う人がいますが、そんなことのまったくない音符に正面から向かった歌い方がいいです。彼女は愉快な性格の一面をもち、楽屋では猥雑な歌なども口にしていました。そういう幅の広さが彼女の歌を美しくしているのかと、ぼくには感じるものがあります。
ピアノの連弾となると、いたずら好きのモーツアルトを思いだします。彼は男女が連弾をするときにお互いの腕が絡むように音符に仕掛けをしていました。
>復< 野沢敏治さんへ 石塚正英から
ハイネと太鼓行進曲
野沢さん、「フランスは小太鼓と笛の軍楽隊でもって硝煙の上がる戦場で兵士を鼓舞していました。その節はシューベルトの耳に届いていたかは分かりませんが」とのことですが、当時デュッセルドルフで少年時代を過ごしたハインリッヒ・ハイネにはしっかりとフランス軍鼓手が叩く太鼓の音が届いていました。ハイネは、1826年に著した『ル=グランの書(Das Buch Le Grand)』の中で子どものころを回想しているのですが、その一節に以下のものがあります。ハイネ宅に身を寄せていた「ル=グランさんは破格ドイツ語などまず知らなかったし、主だった言葉―パン・キス・誉れ―くらいしかわかっていなかった。それでも彼は、太鼓でもってすこぶるうまく意が通じるように話した。例えば私がリベルテ(自由)ということばの意味がわからないといったら、彼はマルセイエーズ行進曲を叩いてくれ、それでその言葉の意味を理解した。またエガリテ(平等)という語の意味を知らないといったら、彼は『サ・イラ、サ・イラ・・・貴族どもを縛り首にしろ!』という行進曲を太鼓で叩き、それで私はこの言葉の意味を理解したのだ。・・・これと同じようなやり方で、彼は近代の歴史をも私に教えてくれた。」(石塚正英『三月前期の急進主義』長崎出版、1983年から)
ナポレオン占領下のデュッセルドルフで、少年ハイネはフランス兵ル=グランの太鼓で「自由・平等」の意味を学び、また同じようにしてバスティーユ襲撃をも学んだのですが、音楽はそのような働きをもっています。特定の音とともに特定の観念が身体にしみつくのです。私は、約半世紀前、中学生の頃、お昼の食事時に決まって校内放送でかけられた「酋長の行列」を今でも忘れません。これは、イッポリトフ=イワーノフ組曲「コーカサスの風景」第4曲ですが、youtubeできいてみてください。http://www.youtube.com/watch?v=NPBvWY8EwZA
これをきくと、私は先年亡くなった母親がつくってくれたお昼弁当のおかず、ソースたっぷりのトンカツを思い出します。味もそっくり思い出します。音楽のチカラって、すばらしいですね。
ラデツキー行進曲の裏おもて
この行進曲はウィーン・ニューイヤー・コンサートで毎年演奏されるエンディング曲ですが、私のように19世紀労働運動史を研究してきた者にとっては、ラデツキーなる人物には頸をかしげたくなるのです。この曲はヨハン・シュトラウスが1848年に作曲しましたが、その動機が問題です。シュトラウスは、同年、ラデツキー指揮下のオーストリア軍が北イタリアに攻め込んで、同地域の対オーストリア独立運動を鎮圧したのを称えて作曲しているからです。
いまでこそ「フォーティーエイト」というとAKB48の独占的名称ですが、それ以前「48」とは、ヨーロッパ史における1848年革命のことをさします。この革命はラデツキーたち皇帝側の抵抗にあって敗北し、活動家の多くが自由の国アメリカに亡命するのですが、彼らを総称して「フォーティーエイターズ」と言うのです。私は『アメリカのドイツ人―1848年の人々・人名辞典』(北樹出版、2004年)を翻訳してまで力をいれこんできたテーマです。なので、ラデツキーのことは自由主義の敵、といった印象で理解しています。
ところが、ネット上に発見した「カフェ・テルル」さんの見解は私のと違います。「ラデツキーとはハプスブルク・オーストリア帝国軍の主力部隊を率いた帝国元帥で、イタリアの動乱鎮圧、ハンガリーの内乱粉砕に縦横無尽に活躍した人物で、カフェ・テルルが尊敬する歴史人物の一人です。」http://www.ps-psytec.co.jp/cgi/kuru2bbs/12.html
人びとのコミュニケーションはいろいろと見解の相違があってこそ楽しいのですから、紹介しました。とにかく、この行進曲は華やかで心地いいです。youtubeできいてみてください。youtubeできいてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=tLDH4VwXw7Y
さて、2005年ウィーン・ニューイヤー・コンサートで、指揮者のロリン・マゼールは、2004年12月に発生したインド洋沿岸津波被災地をおもい、恒例の華やかな曲「ラデツキー行進曲」をやめ、代わりに同じシュトラウスの別曲「美しき青きドナウ」を演奏しました。しかし、一方で研究者の私にすれば、そもそもラデツキーは自由や平等、独立を求めるヨーロッパ民衆の抑圧者であるわけだから、恒例としても演奏してほしくないという頑固な気分を懐きます。でも他方では、これはなんてすばらしい行進曲であることよ! と感じ入っておりますので、毎年演奏してほしいです。これって、世界史のトリビアでしょうか?
パチンコ店の軍艦マーチ
私は、大学生の頃、一通りギャンブルをやってみました。競輪、競馬、オート、など。とくに競馬ははまりました。地方競馬からでてきたハイセイコーです。ウィキペディアによるとハイセイコーは「1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を集めた国民的アイドルホースで、第一次競馬ブームの立役者となった」とのことです。よって、私だけがギャンブルに狂ったわけでないですがね。youtubeできいてみてください。http://www.youtube.com/watch?v=E-3Da1suKVA
もっとも、競馬への傾倒は近年も生じました。地方競馬ハルウララの応援です。「ハルウララ(1996年2月27日 – )とは日本の元競走馬である。連戦連敗があまりに続いたため却って人気を呼び、ブームを巻き起こした。」(ウィキペディア) 競馬は、馬の疾走するときの音がいいです。
でも、ギャンブルと音の関係では、やはりパチンコです。私が夢中になった頃は球入れが手動のパチンコ台でした。電動ではありませんので、手の動きにリズムというかヒネリというか、とにかく一定の動きが必要でした。一つ入れてはタマの動きに合わせてグルンと盤面を見まわし、結果を確認しては一喜一憂するようでは勝てません。チューリップが開いて感動していたのではリズムを作り出せません。そこで意味を持つのがバックグラウンド・ミュージックでした。なかでもオーソドックスな軍艦マーチがよかったです。民衆の自由や平和と軍隊はダイレクトには結び付きません。しかし、ラデツキー行進曲の素晴らしさを純粋に音楽として称えることは合っていいわけです。それと似たようにして、純粋に球送りの手を滑らかにしてくれる行進曲であれば、素直にそれを愛好していいでしょう。これには君が代マーチも挿入されています。ですので、やな人には「ヤ~ダ」といってもらって差し支えないです。youtubeできいてみてください。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study434:120117〕
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