小出先生、原発推進派はずーっと「無かったことにする」でやってきた
- 2012年 1月 25日
- 交流の広場
- 原発小出裕章松元保昭
みなさまへ 松元
小出先生の「たね蒔きジャーナル」1月23日分の転送です。
事故直後の「最悪のシナリオ」、政府内部では「250キロ圏内は強制避難区域にすべき」、東電内部でも「社員自身が全員逃げたい」という時期があった。
しかし当時の政府はそれを国民に知らせず、「無かったことにする」決定をし「安全・安心」をふりまいた。小出先生も、「最終決定者がいたはずなのに、だれも責任を問われないのはまったくオカシイ」と語っています。
「最悪シナリオ」は1960年に試算がなされていたのに、30年以上「秘密」にされていた。
●「小出裕章非公式まとめ」に生の声がアップされています。
http://hiroakikoide.wordpress.com/
=====以下転送=====
永岡です、毎日放送ラジオのたね蒔きジャーナル、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫の平野幸夫さんの案内で放送されました。私がこの番組の追跡を始めたのが昨年の3月21日、今日でほぼ10カ月になります。我ながら、よく続きました。と思ったら、FMで音楽を聴いていたら東北で地震のニュースで驚きました。福島で震度5弱です。平野さんも、福島4号機の心配をされていました。
原発のニュース、今年夏の電力供給、足りているのに、不足すると電力会社が言っていたことが分かりました。再生エネルギーが原発7基分あり、夏は電力の制限をしなくても余裕があるのに、公表されていなかったのです。福島事故で最悪のシナリオが検討されていて、公表されていなかったのです。
政府は、東電から火力発電を切り離すことを検討中です。火力を作る、建て替えで入札を行い、他の事業者の参入、競争をさせて、原発は分社化しますが、火力は担保になっており、また分社化に東電が反対しています。
そして、小出先生のお話、地震が関東直下、4年以内に70%の確率で起こり、東海村は100km位で、地震を考えると、原発も考えないといけないかについて、地震が起きたら原発は大丈夫かという生活を小出先生されて、周辺の原発は心配、首都圏の直下地震で、それだけで膨大な被害であり、そのことの大切さ、大地動乱の時代に入ったと石橋克彦先生が言われて、必ず余震はあるし、この問題に向き合うべきなのです。
3月下旬に、最悪のシナリオがありながら菅政権は封印していたこと、あり得ることで、原子力を進めてきた人は事故がないとして、またないようにと願望があり、「対策なしで事故になり、安全委員会、保安院バラバラであったのです」、半径250km圏内の移転を認めるのですが、「なかったことにする」ことに小出先生失笑されて、東電は持ちこたえられず、全員逃げたいとしていた、それを菅総理が止めた、どうなるか誰にも分からない(保安院、東電も分からない)、本気で逃げないといけない時があったのに、国民に知らせず、小出先生は大切なのは人々の命であり、防災は悪い方を考えてやるべきで、しかし、日本はパニックを防ぎたい、安全・安心の願望でやってきた、「防災なら間違いなのです」
平野さん、なかったことにした、議事録なし、これは誰かが最終決定した(菅氏or枝野氏)が大事で、小出先生平野さんに同意、誰も責任を問われないとはおかしい、刑事責任も問わないといけない、なぜこんなことが許されるのか、なのです。
事故の補償を過去に考えたことがあったこと、世界的にも考えられ、日本は66年に東海が動き、その計画中の1960年に東海原発の事故で被害が出るか試算し、破局的な被害の結果で、報告書は秘密にされていたのです。しかし政府は知り、日本は61年に原子力損害賠償法を作った、電力会社に保証は出来ず、免責して国家が面倒を見ることになり、その基礎は秘密にされて、90年代に国会追求で明らかになったのです。
こういう情報、電力は足りていること、小出先生笑われて、政府も数字を持っていたのに公表せず、小出先生がずっと言われていたのに、政府が認めたのです。平野さん、節電を言っているものの、「節電なしで乗り切れる、原発なしならアカンと脅しであり」、小出先生は節電はいいものの、脅すなら、なにくそもっと使ってくれと言われました。
今日の小出先生のお話をお届けいたしました。
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