京都市の瓦礫受け入れ問題について
- 2012年 2月 6日
- 交流の広場
- 京都市瓦礫受け入れ諸留能興
新京都市長は現職の門脇市長再選となりました。例の「五山の送り火薪騒動」で示した彼の一連の言動が、彼の放射能に対する認識が、全くの素人の水準でしなないことが明らかにさえましたが・・・門脇再選市長が、瓦礫問題をどう処理するかで、彼の真意が、早晩、京都市民の前にハッキリ示されることでしょう!
誰かが、「瓦礫を受け入れない」というようなことを言うと、「それを受けれないのは、あなたのエゴだ」とか、「非国民だ!」というように、非難されることが、京都市民の間でも、また全国的にも、多くなってきています。放射性物質の浸透・拡大だけでなく、放射能に関する無知と非科学的神話への期待・盲信という、精神的荒廃も、徐々に、かつ確実に、京都市民や全国民の間へと、浸透し始める兆しが深まりつつあるようです。
マスコミの記者からでさえ、「放射性物質を拡散させず、安全に保管できるなら、瓦礫処理を受け入れてもいいのでは?」といった質問も受けることも珍しくなくなってきました。
この瓦礫問題には、私たち市民は、どう答え、どう対処するのが正しいのでしょうか?
ちなみに、瓦礫問題を心配している親たちが集まって結成された「放射能汚染から子どもを守るパパ・ママの会」の代表者が、京都市議会議員で、「暮らしと環境を守る委員会」という部局で活動している京都市議会議員に「瓦礫問題をどう思っているのですか?」と尋ねたところ、ほとんどの京都市議会議員さんは「それって何が問題なんですか?」というような感じで、関心も危機意識も全く無かったそうです。
更に、十分、予想はされていたことなのですが、瓦礫を受け入れる京都市の部局に環境局というのがあるのですが、対応に出てきたその課長さんが、終始繰り返して言うには、
「この国難に瓦礫を受け入れない等と言うことは到底出来ません。だから京都市は瓦礫を受け入れます」と、言明したそうです。「国難」という言葉を持ち出すあたりは、国家主義的危機意識剥き出しの感じが見事に出ていて、時代錯誤的な印象ですね。
「放射能汚染から子どもを守るパパ・ママの会」の代表者が、更に、「瓦礫を受け入れるか否かを決定する権限はどこにあるのですか?」と問い質すと、「権限が何処にあるかは決まっていないので、うち(私が今所属しているこの環境局)にあります」と、と言明したそうです。
京都市環境局が、市議会や市長の権限を飛び越えて、瓦礫処理の最終決定の権限を持っている、ということをは、大変奇異な、驚くべき事です。元来ならば、それらの指揮命令下にあるべきはずの、市行政の一部局幹部が、市民のいのちと健康を左右するような重要事項の専断決定権を持っているという、こうした京都市政の在り方は、ハッキリ言って異常だと思う。
この話を、「放射能汚染から子どもを守るパパ・ママの会」の代表者の方から聞かされた時、私は、かっての旧帝国日本陸軍大本営参謀たちの、独断越権専権ぶりを、彷彿と思い起こさせられた。
余談です、1938年(昭和13年)の7月29日から8月11日にかけて、満州国東南端の張鼓峰でソ連軍と日本軍との戦闘にまで発展した、いわゆる張鼓峰(ちょうこほう)事件発生前夜に、尾高師団長が第七十五連隊長・佐藤幸徳大佐に第一戦の指揮を委ね、「独断で夜襲を決行」、三十一日払暁までに沙草峰(張鼓峰北方約二キロ)から張鼓峰にいたる丘陵一体を占領してしまった。尾高師団長は、天皇および軍中央からの制止命令を避けるため、「事前報告なしに軍を動かし、夜襲終了後まで報告しなかった」のである。こうした尾高師団長の独断専行は、明らかに統帥大権の無視、侵害であった。そのため軍中央は天皇の前で取り繕うのに苦慮して、多田参謀次長がおそるおそる葉山の天皇へ伺候した時、昭和天皇裕仁は、多田参謀次長に対して大変機嫌が良く、事態を追認したのみならず、嘉賞さえしている。「案ずるよりは生むは易い。多田参謀次長はにこにこして帰って来た」と稲田作戦課長の記録にある。
もし市長や市議会の決定や指示を待たずに、環境局だけの判断で、瓦礫焼却が実行されるのであれば、軍隊の最高指揮命令権限を持っていた大元帥昭和天皇裕仁の無責任さ、管理責任不行き届きさの怠慢を、見越した上での参謀部の暴走の構図は、京都市長や市議会の怠慢を見越した上での、京都市環境局の越権暴走と、ピッタリ重なってくるであろう。
本来なら大元帥陛下という軍隊の最高指揮命令責任者である裕仁元帥天皇の指示を仰ぐことなく、参謀本部の独断専権で越境進駐を進めたように、京都市や市議会の決議無しに、瓦礫焼却の決定や決定後の技術的処理方法も含め、京都市環境局の「独断専行」がなされることのないように、京都市民はキチンと監視、確認すべきである。
更に、「この件を市議会はどう思っているのですか?」との質問に対しても、「京都市議会は、そもそも市議会議員の方々がその瓦礫問題では議論をしていないので、この瓦礫問題に対する意見が無いのです」と、はっきり解答したそうです。
これが今の、100万人以上の政令指定巨大都市京都市の実態です。瓦礫問題に心配している母親たちの東奔西走の活動によって、ようやく瓦礫問題の危険性を知った一部の市議会議員たちから、京都市議会で1回だけは、質問はされただけだそうです。これが京都市議会の現状です。
この状態では、もう先は見えていますね。放射能汚染の京都市内への拡散が、これで確実になりました。
瓦礫問題のポイントは、焼却炉で瓦礫を燃やしても果たして本当に大丈夫なのか?という点です。
勿論、大丈夫ではありません。瓦礫を焼却処理することには、もの凄く大きな、危険があります。そのことを、京都市の場合を例にとって、以下に示します。
しかしこの問題は、京都市だけでなく、全国各地の自治体とその住民にも、ほぼ同様に当てはまるものと推測されます。
この問題を考える上で、ひとつのポイントとなる点は、『バグ・フィルター』の問題があります。
この『バグ・フィルター(Bag Filter)』とは、「瓦礫を焼却するゴミ焼却炉の排気口に取り付ける排出ガスの処理装置の1つ、ろ過集じん装置ともいう装置を正しく理解する点が第一の関門です。
「放射能汚染から子どもを守るパパ・ママの会」の代表者が、京都市環境局の管理職に問い質したところ、「この『バグ・フィルター』を取り付けるから大丈夫です」と、担当部局の京都市環境局が回答しています。
しかも、「摂氏200度まで焼却温度を下げているから大丈夫です」とまで、まことしやかに、科学的根拠まで添えて、京都市市当局者は回答したそうです。しかし、これが大きな間違いなのですね。
当局はなぜ、「摂氏200度まで焼却温度を下げているから大丈夫です」と補足説明したのでしょうか?
今、主要な汚染となっているのが、原子炉から出た数多くの放射性核種のうちでも、特にセシウム(Cs)なのですね。他の放射性核種の有無の問題もありますが、それは今は触れないとします。
ひとまず、このセシウム(Cs)だけに話題を限定しますが、このセシウム(Cs)は、摂氏660度くらいでガスになる(気化する)物質です。ところが、気化する摂氏660度より、ずっと低温の摂氏200度であっても、気化している成分が随分あるんですね。
京都市環境局の管理者が「摂氏200度まで焼却温度を下げているから大丈夫です」と補足説明した理由が、ここにあるのですね。
しかし、焼却温度を接し200度まで下げて瓦礫を焼却することで、大きな問題が2つ、新たに生じます。
解りやすい例を上げますと、水の沸点が摂氏100度だということは、皆さんも良くご存じですよね。ところが、私たちの、たとえば今、あなたがいるその部屋の室温が摂氏零度近くであっても、あなたの部屋の空気中には水が沢山含まれています。これが摂氏30度ともなると、相当たくさんの量の水(水蒸気)が貴方の部屋の大気中に含まれるようになりますよね。
これと全く同じ現象が、セシウム(Cs)の場合にもあてはまります。摂氏660度の高温で焼却すれば気化しちゃうセシウム(Cs)だからこそ、摂氏200度程度の「低温」状態まで、焼却温度をさげて、瓦礫を燃焼させることで、焼却炉の排気口から気化したセシウム(Cs)ガスが大気中へ放出・拡散することを、予め防いでいるから、ご安心下さい・・、っていうのが、京都市当局の「腹づもり」なのですね。
ところが、摂氏200度の(気化する沸点)以下の摂氏200度という「低温」状態でも、先ほどの水の事例からも解るように、「気化する」ことは避けられないのですね。
つまり、「気化する温度である摂氏600度よりも低温の摂氏200度で焼却するから、だからセシウム(Cs)は瓦礫を燃やしても環境中には放出されませんよ」という、京都市を始めとする全国の自治体や、政府が主張しても、セシウム(Cs)の気化は完全には避けられないのですね。従って、『バグフィルター』を使っても、気化状態のセシウム(Cs)は、全く素通りしてしまうのですね。
更に摂氏200度の低温焼却することで、付随的に困ったゆゆしい環境問題、いわゆるダイオキシン(これも発ガン性有害物質ですよね)が発生します。既に周知のように、このダイオキシンは摂氏500度~600度以上の高温焼却でなくて、それらの温度以下の「低温焼却」する際に発生する有害物質です。摂氏200度で瓦礫を焼却することで、ダイオキシンの発生も避けられなくなります。これが第二の問題点です。
第三の問題点は、瓦礫の燃え残りの灰にも高濃度の放射性物質が、大量に蓄積することです。
また、第四の問題点として、瓦礫の中に含まれている放射性物質はセシウム(Cs)だけとは限りません。セシウム(Cs)以外にも、人体に有害な放射性物質も含まれている疑いも濃厚です。なぜかといいますと、現在の全国の自治体の放射能計測装置や検査機器の配置状況も含む放射能検査体制が、極めて杜撰だからです。
京都市民も含め、京都府民の皆さんは、京都市内も含む京都府内の、大気中に含まれている放射能検査機が、どこに設置されているかご存じの方は、果たして何人いるでしょうか?私(諸留)自身でもまだ直接現場で確認したわけで無く、新聞記事からの伝聞でしかありませんが、京都市の場合、伏見区の龍谷大学深草キャンパスの建物の南側に名神高速道路が東西に走っていますよね。あの名神高速道路深草バス停留所の丁度、南隣に接して立っている京(みやこ)エコロジーセンターか、あるいはその隣の青少年科学センターの、地上十数メートル以上も高所の、3階か4階の屋上に、たった1台だけ設置されていたんですね。
もっとも、福島第一原発事故以降の菅内閣のあのドタバタで、更に2~3台他にも追加設定されたとか・・。放射能の汚染は地表が最も濃度が高いのに、身長の低い乳幼児のことを最優先して考えれば、放射能計測機は地表に接して設置するのが、もっとも正確なのに・・・あろうことか地表数十メートルの高所に、しかも京都府全域で、わずか2~3台。これでセシウム(Cs)も含め、それ以外の百数十種にも及ぶ、原子炉から放出される放射性物質(核種)を、一体どこまで正確に測定できるというのでしょうか?
とくに「プルトニウム(Pu)は重い元素(超ウラン元素)だから遠くまでは飛ばないから福島から遠い、京都だから問題ない」と言うような言い方も良くなされてますけど、これも真っ赤なウソですね。
何故ウソかって言いますと、1キログラムの綿と10キログラムの鉄と、どっちが重いか?‥‥って言う場合を考えてみたら、すぐに解る事なんですけどね。言うまでもなく、10キログラムの綿の方が重い訳ですよね。綿と鉄のどっちが重いか?と言うことではなくて、その総量で、どっちが重いか軽いか・・っていうことで決まるわけですよね。
放射性物質の場合で言うと、より軽い元素のヨウ素(I)と、より重い元素のプルトニウム(Pu)とどっちが重いか軽いか‥‥なんてことは、それだけを理由として持ち出してみても、全く何の意味も無い、非科学的な「子ども騙し」もいいとこです。こういう真っ赤なウソを、政府も自治体も、科学者も堂々と言い張り、それを科学的説明だと錯覚して疑おうともしない国民大衆ですから!
ヨウ素(I)とプルトニウム(Pu)の総量がどうなっているかを全く問題にしないで、単に元素の重さだけを取り出して重いとか、軽いとか言うのは意味がありませんね。
さらに、放射性物質は、極めて微少な微粒子となって、様々な塵にくっついているのですね。矢ヶ崎克馬先生(琉球大学名誉教授。物性物理学専攻、内部被曝研究でも著名)のお話によると、原子が1兆個集まっても、ようやく1ミクロン(千分の一1ミリ)程度ですから。1ミクロンの微粒子の塵埃(チリ)は、大気の流れ(つまり風)に乗って、京都だろうと九州だろうと、沖縄だろうと、北海道だろうと吹き流されて飛んでいくことは、1ミクロン(千分の一1ミリ)よりもはるかに大きな、中国大陸の黄砂の砂粒が、西日本全域にまで飛来してくることからも明らかですよね。
ウラン(U)やプルトニウム(Pu)が、セシウム(Cs)元素よりも重いからと、いくら言ってみても、プルトニウム(Pu)やウラン(U)原子自体が、大変に微細な微粒子なのですから、いくらでも遠くに飛散しても当たり前なんですね。
ダイオキシンの場合で示すと解りやすいのですが、「ある一定の、高い温度以上で燃やせば、ダイオキシンは発生しない」と、よく言われます。テマエ上は確かにそうですが、でも、実際の現場ではどうでしょうか?焼却炉というのは、ゴミ(今後は瓦礫も)燃やして、いったん止めて、焼却炉の中を清掃して、またゴミ(や瓦礫)を入れて、燃やして・・・を繰り返さなくちゃならなのですね。ゴミや瓦礫を投入する燃やし始めの時と、ゴミや瓦礫の燃えた後の灰を焼却炉から取り出す時の、燃やし終わりの時にも、温度は当然、ものすごく低い常温に近い温度にまで下がってしまいますよね。
以下、守田敏也氏の説明によれば、そもそも、焼却温度が適正な高温で保たれているか否かの検査も、実はかなり曖昧で、そういう意味からもダイキキシン問題は、まだまだ、いくらでも深刻な状況にあるんですが、同様にセシウム(Cs)でも、常に適切な摂氏200度に保たれるか、否かも、はなはだ心許ない状況にあるそうです。
そういうような焼却場で、先ほど述べたように「バクフィルター」の問題しか言われていないってこと、それ自体がオカシイですね。そもそも、ゴミや瓦礫を焼却炉に入れなきゃいけないし、入れたら焼却炉の底のほうで、ドロドロになった「スラッジ」という、堅いカチンカチンの固まりとなってしまうですね。それを削岩機でダダダ・・って掘削して除去しないと、その次のゴミの焼却が出来なくって焼却場自体もダメになってしまう。
燃やした時の煙になった時だけ、その煙の中の放射性物質の煤塵を除去するバクフィルターを付けるっていっているんですけど。このバグフィルターだけだって、さっき話したように放射性物質を捕まえられないのです。それ以前に、焼却炉の蓋を開けて中へ放射性物質のゴミを入れなきゃいけないし、焼却した後も、焼却炉の炉心の中へ入って、またその固まった物を取り出さなければならないわけで。そもそも、そう言う一連の作業システムが、放射性対応になっていないんですね。そもそも京都市の焼却炉に限らず、全国自治体の焼却炉も、最初からゴミ焼却用として設計・建設されたものであって、放射性物質を処分するなんてことは、設計当初からも全く頭になかったのですから。
今回事故を起こした東京電力福島第1原発に限らず、全国の原子炉の格納容器のすぐ真上に、使用済み用燃料貯蔵用のプールが、あんな危険な高い所に設置されているのも、あれは核燃料棒というものは、もの凄い放射線が放出されているものなので、空気だけではそのもの凄い放射線をとてもじゃないけど防ぎきれない。核燃料棒を取り出す時でも、水の中に入れらたそのままの状態で取り出して、水の中に入れたまま炉心から運び出して、それをそのまま使用済み核燃料貯蔵プールの中へと、移動の始めも途中も、最後まで水の中に入れたままで移動させなければいけない。だからあんな危ない高い所に、使用済み核燃料用プールが設置されているんですね。
それほど炉心に核燃料を出し入れする時に、高濃度の放射性物質が空気中に出てしまうという、実にやっかいなシロモノなのですね。そういうふうにして厳重かつ慎重に管理されねばならないような、そんなふうに、放射線管理を専門に厳重に行ってるような原子炉でさえ事故を起こして、放射能を閉じこめられないでいるわけなのですから。
いわんや、最初から放射能対策なんて事なんか全く考えて設計されたわけでも、なんでもない、そんな焼却場で、放射性物質を含んだゴミを燃やす処理をすることなどは、絶対に不可能なわけです。
この点からも、仮に瓦礫が焼却段階ですべてうまくクリア出来たとしても、その灰の炉心からの搬出と、搬出後の灰の保管場所でも、深刻な問題を発生させることは明らかです。
また、先ほども申しましたように、「スラッジ」という、堅いカチンカチンの固まりも、極めて高濃度の放射能が含まれていますから、それを掘削・清掃する作業員職員が、放射線や放射能汚染する対策でも、全く何の教育も受けていないという問題もあります。
今、福島県下やその近隣周辺地域で、除染作業がをしている一般住民の人たちも、大変な被曝をしていますが、放射線に対する知識も対応策も知らない一般住民が、あのような除染作業をするのは、とんでもないことなのですね。放射線や放射能汚染に関しての専門的訓練を受けた人でなければ、してはならない作業なのです。高圧洗浄機で吹き飛ばしてますけど、あれはもう大変間違った「汚染の大移動」(=移染)であって、除染でも何でもないんですね。
放射線に関する専門的な知識のある人でさえ、被曝は避けれないのです。ですから、焼却場で処理することも捕まえたり、回収することも出来ないし、大変危険な作業になるということを、私たちはしっかり押さえておかなければなりません。
結局汚染した瓦礫は、「原発敷地内に戻す」というのが最も科学的であり、正論でもあります。
原発敷地内は、土地は余裕をもって作られています。福島第一原発だけでなく、福島第二原発もあります。それでもまだ足りないなら、柏崎刈羽原発もあります。しかし、東電は、このことを言われることを凄く恐れています。もしそうなれば、今の原発を止めることになるからです。
全国の原発を全部止めてしまえば、全国の原発敷地内では、もう発電する必要も無いわけですから、土地は十分あるわけです。それが全部、瓦礫で一満に埋まってしまって、なおかつ瓦礫が、それでもまだ余ったならば、その時に又別のことを考えれば良い。まず、そこまでやることが大切です。
(以上は、守田敏也氏の講演からの引用です)
結論は、一般の焼却炉で瓦礫を燃やすなどということは、絶対してはいけないことです。放射性物質は、焼却場では扱えない、もしそんなことが全国の自治体で一斉に始まると、たちまちのうちに、狭い日本列島全土に高濃度の放射性物質の拡散が、間違いなく起こります。今生きている私たちの世代だけでなく、子々孫々の、次世代、次次世代まで、放射能放射性物質で、かれらのいのちと健康を脅かし続けるような、愚かな選択を、直ちに阻止しなくてはなりません。
現に、首都圏も含む周辺自治体の焼却炉では、焼却した炉内からは、国が定める5000ベクレル(Bq)/Kgを遙かに越える、高濃度の放射性物質を含んだ、高濃度の焼却灰が、日々、大量に排出されています。清掃局職員の健康被害の心配と並んで、焼却灰を詰めたビニール袋が、焼却工場の敷炉心周辺の通路や階段一杯に、隙間無く置かれています。そのために焼却業務自体に支障が生じる程、保管場所に苦慮しており、このままだと早晩、焼却業務操業停止にまで追い込まれる・・とのNHKニュース報道が、先月報道されています。京都市でも瓦礫焼却が始まれば、こうした状況に直面することでしょう。
矢ヶ崎克馬先生も、明瞭に以下のように、おしゃっておられます。
「基本的には私ども住民の声がキチッとしっかりして、そうした瓦礫問題に対応する各自治体に対し、キチッとしたものの見方が出来るように、してもらわなければいけない。私達に汚染を撒き散らしたことに対して、いきなり、私たちの税金で処理するなんてことは筋が通らない。何よりもまず、原発事故を引き起こした当の東京電力の責任をはっきりさせない限り、瓦礫を受け入れてはならない。これが、非常に大切な社会的な問題だと思います・・・」
私(諸留)もこの所見が正しいと思っています。
そもそも、放射性物質を撒き散らした犯人は「東電」なのは明らかです。安全神話ということで、事故に対する備え何もしてこないでいて、事故が起こった時にどうするか、という方法も、キチッと決めてきておらず、事故が起こって、様々な問題が出てきてからオタオタして、その結果、被害が全部、原発周辺住民のみならず、日本国民全体に降りかかってきているのです。
最後に、汚染物質は、絶対、拡散させてはならないことを、改めて再確認しておきます。しかし、政府や自治体、さらには一般市民でも、しばしば「汚染された物質が、これこれ程度だけの、ごく少ない量だから大丈夫なのでは?」というような事が、よく言われます。
これは、放射線にかんする基本的知識が完全に欠落していることを、問わず語りにはっきり物語っていることに他なりません。放射能には安全基準値などというものは存在しません。この件に関しては、数多くの科学的な検証もなされてきていますし、また私も繰り返し指摘してきています。これからも引き続き、あらゆる証拠、文献を示しつつ証明し続けていきます。
放射能の実態を正確に科学的に知っている人で、かつ、人間のいのちと健康を最優先させると言う観点に立つ人である限り、「少々の放射能ならいいだろう・・」などといった発想は出てこない筈です。
「少々の放射能ならいいだろう・・」などと言う人は「いのちと健康よりソロバン勘定を優先させている人」です。少なくとも、両方を伺いながらおっかなびっくり疑心暗鬼しながらもソロバン勘定に引きずられて無理に安全にちがいないと自分自身に言い聞かせて安心を決め込もうとしているだけの人です。原発会社や国の都合だけで、あるいは自分の世代だけが快適な暮らしだが送れればそれでよい、後世の子孫のけんこうといのちなど、俺の知ったことか!」と、開き直っている人でしかありません。
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