映画評論– 新藤兼人監督「一枚のハガキ」
- 2012年 2月 11日
- 評論・紹介・意見
- 「一枚のハガキ」加藤義郎新藤兼人藤井建男
たけちゃんの映画時評 一枚のハガキ(近代映画協議会)/戦争の愚かさと生きる希望
藤井建男 (画家)
映画を作った新藤兼人監督は「この映画は私の遺言だ」という。映画は昨年(2011年)の8月6日一般に公開された。しかし上映期間は短く私も映画館に足を運べず見逃した1人である。映画を観た人の評価は高く「今年最高の評価を得るだろう」「日本の映画史に刻まれるべき」「新藤兼人監督の最高傑作」という讃辞にあふれた。そして映画は2011年日本アカデミー賞の優秀監督賞、ブルーリボン監督賞、キネマ旬報1011年度日本映画ベストテン1位と主だった映画賞を受賞した。現在日本各地で自主上映が行われ私も横浜市内の上映運動の会場に足を運んだ。戦争末期に徴集された兵士100人のうち94人が戦死、6人が生きて帰ってきた。その生死を分けたのは上官が彼らの任務を決めるために引いた“クジ”だった。映画は「生きて帰ってきた六人」の1人新藤監督の実体験を元に作られた。
戦争末期、中年兵として徴集された松山啓太(豊川悦司)は仲間の兵士森川定造(六平道政)から「生きて帰ったら、たしかに読んだ」と伝えてくれと一枚のハガキを託された。ハガキには「今日は村祭りですがあなたがいらっしゃらないので風情もありません」と書かれていた。
戦争が終わり、啓太が帰ってみると妻は啓太の父と恋仲になって出奔していた。家はもぬけの殻。何のためにかえってきたのか。啓太はブラジルに渡ろうと整理し始めた荷物の中から定造に託されたハガキが出てきた。
定造はフィリッピンに向かう途中沈められ戦死する。戦死は骨片一つ入っていない白木の箱で届けられた。夫を亡くした妻友子(大竹しのぶ)は悲しみに浸る間もなく舅姑に「自分たちは年老いて働けないので、このまま一緒に暮らしてほしい」と手を合わせて頼まれる。身寄りのない友子は長男が死んだら次男が後継ぎになる村の習わしにしたがって戦死した定造を振り返る間もなく次男三平(大地泰仁)と結婚する。その三平も戦死する。後を追うように舅、姑が相次いで他界し1人残された友子は定造家族が残した古い家屋に寒々と暮らしていた。そんなある日、ハガキを持った啓太が訪ねてくる。
▲「なんであんたは死ななかったんだ」と叫ぶ友子。 |
水は川から運びランプで明りを取る暮らし。囲炉裏を挟んで啓太が友子にハガキを渡し、定造が“クジ”で選ばれ戦死したことを告げる。クジ運だけで自分だけが生き残ったことへの罪悪感を感じる啓太と、家族も女としての幸せな人生も全てを失ってしまった友子。二人の間に浮かび上がる戦争の愚かさと傷の深さが次第に浮かび上がる。生きてゆくためにはそれを乗り越えなければならないのだ。
戦争のおろかさ、命を弄ぶ様を描いているが戦闘のシーンはない。その代わり定造の家の前で繰り広げられた定造、三平の二度にわたる出征、二度にわたる白木の箱の死亡通知が届けられる光景で、戦争の残酷さを見る者に突き付ける。村の団長が友子に言いよるが、妾は嫌だとつれない友子。そこに突然現れた啓太。啓太と団長泉屋吉五郎(大杉漣)の西部劇さながらの激しい殴り合い。新藤監督は愛も語れず死ぬより、目の前の女のために命を投げ出して殴り合うことの方がよほど人間的だと言っているようだ。
映画を生み出した新藤兼人監督。市民の自主上映が次々と計画されていると聞く。「遠くに飛ぶ弓矢にはためがある」の言葉がある。「原爆の子」(1952)「足摺岬」(1964)「鬼婆」 (1964)「桜隊散る」(1988)「午後の遺言状」(1995)と名作を生み出してきた新藤監督。常に時代と向き合い、人間を愛し、未来に希望を持って生きて99年、新藤兼人監督の“ため”の大きさを強く感じさせる「一枚のハガキ」である。
(2012.2.9)
「ノー・ウォー美術家の集い横浜web」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/take-cinema.htm より転載
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新藤兼人監督の映画 「一枚のハガキ」を観て
加藤義郎 (美術家)
太平洋戦争末期、日本の敗戦が誰の目にも明らかになっても、赤紙が「おめでとう」と配達されれば逃げ出すわけには行かず、♪勝ってくるぞと勇ましく、死を覚悟で出征しなければならなかった。西日本のどこかの山村の農家の長男は嫁に、「帰ったら子を生み育てような」と言って出征し、戦死する。嫁(友子)に義父母は、次男と結婚して家を守ってくれと頼み、友子に否応は無い。話の筋と解説は■たけちゃんの映画時評に詳しいが、そこに書かれなかった点を私は書いてみようと思う。
次男にも赤紙が来る。出征を前にした彼は友子との性愛を求め、明日は戦線に送られると決まった前夜には部隊長の計らいで、自転車を2時間こいで妻の下に駆けつけ、最期の性交を惜しみ励む。その次男も兄同様、白木の箱に遺骨の代わりに「英霊」の紙一枚となって帰ってくる。友子の義父母は「働き手がなくなると食って行けない」と、彼女を家に引き止めるが、義父は薪割りの最中にあっけなく死ぬ。義母は友子に床下の貯金60円を出して見せ、万一の時に使えと言ったその夜、首吊り自殺する。二人の息子を戦死させ、夫も死に、孫もいず、生きていても嫁に苦労をかけるだけ、生き甲斐がなくなったら…。
ここまでは不幸ばかりの友子という女に、先夫の戦友が彼女が書き送ったハガキと伝言を持って訪ねて来た。この戦友(裕福な漁師の一人息子)にも事情があり(たけちゃんの映画時評)、女にハガキと伝言をしたらブラジルへ行くつもりだった。しかし女は夫の死を泣き、無事に生還した戦友に恨み言をぶつけ、その激情が治まると非礼を詫び、「せめて飯でも食べていって」、「風呂に入って」と勧め、翌日には「ブラジルに連れてって ! 」と言い出す。ここも映画の山場だが、女が過去を捨て去ろうと2人の夫の白木の箱に火を着け、それが家を全焼する火事となるところが本当のクライマックス。
家の焼け跡を見た男はブラジル行きをやめ、この女と結婚して、ここに麦を植えようと決心する。蒔いた麦は芽を出しどんどん伸びて豊かに実る。その麦畑の向こうには、男と女が休憩しながら仲良く茶を飲んでいる。あの戦争が無かったなら、最初の夫と2、3人の子どもがここにいたのかも知れない。この平和が永遠に続くといいな、と思わせて終わる。
(2012.2.10)
「ノー・ウォー美術家の集い横浜web」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~kanazuch/toukouran6.htm より転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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