古い書評から―連載書評84回
- 2010年 7月 12日
- 評論・紹介・意見
- ナショナリズム三上治書評
これは何年か前に書いた橋川文三さんの『ナショナリズム』についての書評です。古いファイルを整理していたら出てきたのでお送りします。「アジサイの季節になって―長めの論評」の中でナショナリズムに触れたところがあったことを思い出したからです。坂本龍馬のことが話題になるのも、ナショナリズムと関係するのだとおもいます。沖縄問題を考える素材としてもらってもいいのですが、また、後で子安宣邦さんの『日本ナショナリズム解読』(現代書館発売)を書評したものをお送りします。 (2010年7月12日)
連載書評84回
『ナショナリズム』
著 者:橋川文三
出版社:紀伊国屋書店
定 価:1800円+税
5月7日
三上 治
ナショナリズムについては随分と考えてきたけれど依然として謎めいたところが多い。この本は1968年ころに書かれていて、その再刊であるが、不思議なことに時代性を感じさせない。1968年といえば既に30数年も前になるがそんな前に書かれたとは思えない。これはこの作品の優れた点であるが逆に言えばナショナリズムについての思想にその後は画期的なものが生まれていないことを示してもいる。ナショナリズムの難しさという場合、僕らは二つのことを必然のように思い浮かべる。その一つはフランス革命に始まった近代ナショナリズムが現在どのように展開しているかという問題である。それからもうひとつ日本の近代のナショナリズムの把握である。
現在のナショナリズムの把握の難しさはナショナリズムの絶対化の時代への反省とその傷痕が癒えてない一方で、それを超えるものが見出せないことである。国家意識の混迷とナショナリズムの拡散は先進国では戦後の特徴であるが、それでも国家やナショナリズムの枠組みは残っている。枠組みは残っているのにナショナリズムの拡散はあるという矛盾がそれをとらえがたくしている。かつて植民地国であったところでは戦後にナショナリズムの動きは鮮烈だった。アジア―アフリカのナショナリズムは旋風を巻き起こしたが、それは幻滅に転じている。左翼(マルクス主義)のインターナショナリズムは「階級は国家を超える(階級に国境はない)」ということに根拠づけられようとしたが、その理念はナショナリズムの壁を超えたとはいえない。EUは一つの希望的動きであるが、それ以上ではない。アジア共同体という言葉もしばしば見受けられるがそれは確固とした内容を持つものではない。
この序章のところで展開しているところで非常に興味深いところはルソーの意志論について言及しているところである。単純にいうとナショナリズムはパトリといわれる郷土愛を基盤にしているように見られる。このパトリという郷土愛の集合がナショナリズムであるわけではない。エスニシテイと呼ばれる小さな文化的、宗教的共同の意識や存在は前近代社会から存続してきたものであり、パトリという概念と割と密接なものである。パトリの要素がナショナリズムに転じていくというのは想像しやすいが、連綿と続いてきたこの小さな共同体意識や文化はその集合がナショナリズムをなすわけではない。この理解は重要である。橋川はこのナショナリズムの根幹をネーションとしてとしてとらえその超越性をルソーの一般意志の理解に求める。フランス革命の根幹を成した近代啓蒙思想は自由と民権の思想といわれる。この思想の普遍性はヨーロッパ近代の思想制度の普遍性として広がった。それをナショナルな思想として推進したのが、フランスのナショナリズムであった。そしてその根底にあったのはルソーの意志論である。自由や民権という思想を国民の意志、つまりは共同の意志としてとらえる場合に、それを個々人の意志の総和(集合)としてみるか、それを超えた一般的意志としてみるかはとても重要なところである。これは「国民の意志とは何か」「共同の意志とは何か」ということの認識になる。個々人の意志の集合と一般的意志が一致していれば問題はないにしてもそれはそんなに簡単ではない。個人の意志、それは一般的には特殊意志や個人的意志として概念化されるが、一般的意志とは乖離しているのが一般的である。ルソーはその国家哲学の根本に一般意志をそえた。これは主権者の意志として概念化される。これが国民の集合的意志と一致すればよいが、ここで言う主権者の意志として一般化されるものと集合的意志に乖離があるときどうするかということがある。
主権者の意志は国民の意志(主権者としての国民の意志)であるが、理念的(観念的)なものであり、国民の意志の集合とは簡単には一致しない。このときルソーの一般意志は個々人の特殊意志を超えたものとして、あたかも神の意志のような真理として機能するものである。プロレタリアの意志が共同の意志として超越的機能する場面を想像してもよい。これはルソーの徒であったフランス革命の指導者がテロリズムに走った根拠でもあるし、ロシア革命におけるテロリズムの問題を考えてもよい。ロベスピエールやサン・ジュストのテロは国民に意志(一般意志)の名において行われたものである。ロシア革命後のテロリズムがプロレタリア解放の名において行なわれたように。なぜ革命はテロルを生むかと、あるいは超権力を生むかということでもいいがここにはナショナルなもの(共同の意志)はどのように形成されるかという問題がある。この形成(構成)の問題を問わなければテロの問題は解けないし、ナショナリズムの形成にもそれがある。橋川はこの問題をルソーの自己分裂という指摘にとどめているがここには権力の現在の問題がある。共同の意志とは何かというときの難問がここには横たわっている。多分、僕らはナショナリズムの問題をこの問題を介在させないでは解けないのである。橋川が暗示にとどめておいた問題の先を解きたい思いがある。それは別の機会にしておこう。
第一章以下で橋川は近代日本のナショナリズムの形成を析出しようとしている。これは近代天皇制の問題と表裏をなすものである。日本におけるネーションの形成がフランス啓蒙思想のような自由や民権を内容としてこなかったことは疑いない。ヨーロッパの近代思想制度を模倣し移植しようとしたことは確かである。それはまた、封建体制の下で存在していた藩意識、藩を基盤とする共同意識をネーション(国家意識)の発見によって超えようとしたところに明治維新があり、それが国民国家の誕生を促したことも疑い得ない。明治維新によって成立した国民国家とは何かというのに答えることは難問であり、そこには日本のナショナリズムの特殊性があり、それに答えることでもある。橋川は幕末における黒船の到来が藩意識の超越という基盤を生み出したこと、そのシンボルとして「皇国」「神州」があったとしながら次のように指摘している。
「すべてこれらの記述によれば、あたかもペルリの率いた四隻の黒船が、まるで魔法の杖のひとふりのように『幻然』として日本のナショナリズムをよびおこしたような印象を与える。ことなんぞ容易なるという感がしないでもないが、この二人の歴史家の中に、いかにも開国期日本の抱負にふさわしい楽観があらわれていたにしても、それは深くとがめられないであろう。彼らはなお日本のナショナリズムの思想に洋々たる期待を寄せることができた時代の人々であり、黒船の衝撃が日本の中によびおこしたものが、果たして真のネーションの名に値いするものであるか否か疑うほどに懐疑的ではなかった。(中略)しかし、にもかかわらず、やはりそれが果たして真のネーションの意識とよびうるものであったかどうかは、吟味を必要とするはずである。黒船はたしかに日本の全封建支配者層に対する巨大なショックであった。そこから、『皇国』、『神州』などという超藩的意識が生じたことはたしかであり、全国的規模での国防体制の創出が白熱した議論を巻き起こしたことも事実である。しかし、もしその『皇国』、『神州』等々のシンボルが、単に超藩的な統合を目指したというだけならば、それは封建支配の全国的再編をめざした新しい政策論にすぎないかもしれない。それだけでは未だ本来のネーションの登場する余地は認められないはずである」(橋川文三『ナショナリズム』)。
橋川は黒船の引き起こしたショックをその時代の主要な社会的階層について分析する。それは、封建諸侯とその家臣団、次に豪農・豪商などの中間層、そして一般民衆(特に農民層)の三つを対象にしながら検討する。そしてこの階層の幕末の運動構造全体を「ネーションの探求」としている。日本のナショナリズムをネーションの創出とその運動全体として理解し、それを明治維新の成立に向けた運動として把握しようというのは正当である。明治維新が日本におけるネーションの成立の最大の契機であり、そこが日本における近代国家成立の出発になったというのは妥当な認識である。明治維新のとらえ方はいろいろあるにしても僕はそれでいいと思っている。三つの社会的階層が超藩意識をどのように発展させていったかはとても重要であるが、僕はそれを超えて支配共同体と生活共同体という枠組みを入れたいと思っている。封建諸侯や家臣団は支配共同体にあり、農民は生活共同体にあるものであり、豪商や豪農はその双方をまたがる中間層である。ここで橋川は封建諸侯やその家臣団の運動を水戸学や吉田松陰の思想的動きの中でとりあげている。それは封建的体制から国民国家体制に転換する共同意識の流れを勤皇あるいは尊皇意識の形成の中で探ろうとすることである。この中で彼は吉田松陰の言動に多くのページを割いている。長州を中心とする幕末の運動のイデオロギーがそこにあったからそれは当然である。彼は水戸学や吉田松陰の意識は超藩的であったかどうかを追っているが、吉田松陰は脱藩という形で超藩的性格をおびる。水戸学は封建的な藩意識の拘束から自由ではなかったけれど、吉田松陰はそうではなかった。この差異は幕末における水戸藩と長州藩の動きとして出るが、これについてはいえば水戸学の勤皇運動は封建支配の全国的再編をめざしたものであるが、吉田松陰の思想はそれを超えた皇国の創出をめざしていたと考えられる。だから、そこには大きな差異があるといえるが、日本における支配共同体の再編であるという共通性を持っていた。支配共同体の歴史的の再編として明治維新はあったが、支配共同体と生活共同体の関係は変わらなかったのである。支配共同体の生活共同体に対する専制(官僚の専制)は変わらなかったのである。農民や豪農・豪商の運動が中心になれば歴史的な支配共同体と生活共同体の専制的関係の変化が生じたであろう。下級武士などが中心で、豪農や豪商、あるいは農民はそれに利用される形でこの運動があったことは「皇国」や「神州」の発展形態である「国体」の性格規定にも大きな影響を与えたと思う。長州の奇兵隊について「封建的武士身分に対する憧憬意識の強かった農民は、自己を一般農民と区別し、いわゆる志士として封建身分的行動せんとしたのであって」「隊の指導的立場にあった下級武士が、もし農民を利用したというならばこうした意識を利用したというべきであろう」という分析を橋川は援用しているが、このことは幕末の運動(ネーションの探求)の性格を大きく規定するものである。日本における近代国家、国民国家の誕生として明治維新があったにしても、その近代国家、国民国家の特殊性は、一般意志として「自由」「民権」の理念が薄いこととして指摘されるが、支配共同体と生活共同体の権力関係(専制的関係)が変わらなかったことにこそあるといえるだろう。これはネーションの構成や形態の問題である。この本の第二章には「国家と人間」という章では「家」の概念が武士団の家族制を原型として取り出したなど注目すべき分析があるが、これは別の機会に譲る。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion060:100712〕
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