中東大動乱の予兆 -シリア情勢をどう見るか-
- 2012年 2月 22日
- 評論・紹介・意見
- イスラム教シリア伊藤力司
昨年3月中旬、ヨルダンとの国境の町ダルアーで始まったシリアの反政府・民主化闘争は全土に展開する内戦に発展した。アラブ連盟を始め西側の支援をバックにした反政府側は、アサド政権打倒まで闘いをやめるつもりはない。この間に6000人を超える死者を出したとして国際的非難を浴びながら、アサド政権は反政府派を軍事力で弾圧し続けている。アサド大統領の退陣と武力鎮圧停止を迫った国連安保理決議案は中露の拒否権で葬られ、事態収拾のメドは見えない。イスラム教スンニ派対シーア派の対立をはらんで燃え盛るシリア情勢は、パレスチナやイランをめぐる紛争を抱える不安定構造を揺さぶり、中東大動乱をも招きかねない。
シリアのバッシャール・アサド現大統領(46)は、1970年クーデターで権力を握り、30年間独裁体制を敷いた彼の父ハフェズ・アサドの死で2000年に政権を継承、父親より柔軟な思考でバース党一党体制を改革する意志を持っていると言われてきた。大統領は反政府行動が激化する中で、バース党による事実上の一党独裁を規定する現行憲法を改正し、バース党以外の政党の候補にも大統領就任の道を開く譲歩を打ち出した。この2月26日には新憲法草案の是非を問う国民投票を行うことになっている。しかし反体制派でつくる「シリア国民評議会(SNC)」側は「アサド政権の信頼はすでに失われており、われわれが求めているのは権力の平和的移譲だ」と、あくまでアサド退陣を要求している。
父親以来のアサド政権の特徴は、シリア独特のイスラム教アラウィ派(人口の11%)を基盤にしていることだ。アラウィ派とはシリア北部の山岳民族をルーツとし、独自の民族宗教にイスラム教シーア派の教義をかぶせた独特の宗派で、団結心は恐ろしく強固だ。旧宗主国のフランスが警察官や治安要員としてアラウィ派を重用したことから、シリア独立(1946)以降も権力の周辺には常にアラウィ派の影があった。アサド家自体がアラウィ派の長老であり、現在のバッシャール・アサド政権も軍部や治安警察の幹部は全てアラウィ派で占められている。
これに対し、イスラム教スンニ派(シリア人口の76%)を母体とするイスラム主義組織のムスリム同胞団(MB)は、長年にわたり執拗な反政府活動を続けてきた。バース党一党独裁体制下での反政府運動は、必然的に地下に潜った活動にならざるを得ない。地下組織を通じた活動で広範な活動家の間にエネルギーがたまると、地上に噴出する。2010年末にチュニジアで火を噴いた「アラブの春」がエジプト、リビアなどに燃え広がり、長期独裁体制を倒すという成果を挙げたのが、2011年3月シリアにも飛び火したのは当然の流れであった。
南部のダルアーから始まった反政府闘争は、急速にスンニ派の“大票田”である中部のハマ、ホムス、ダマスカス西部などに広がり、これに対しアサド政権側は空軍機や戦車まで動員して容赦ない武力弾圧を展開している。こうした中で、スンニ派の多い末端の政府軍兵士たちは同胞に銃を向けることを拒否して部隊から脱走、反政府派を保護する側に回った。彼らは「自由シリア軍(FSA)」を名乗って散発的に政府軍に対するゲリラ戦を仕掛けている。FSAは、NATO(北大西洋条約機構)軍が昨年リビア上空に「飛行禁止空域」を設定、カダフィ政府側の空軍作戦を封じた反政府派援護作戦をシリアでも発動してほしいと要望しているが、NATO側に呼応する動きはない。
このようにシリアの内戦はアラウィ派対スンニ派の宗派抗争の要素が濃い。スンニ派は1982年にも大々的に反政府闘争を展開した。この時中部の都市ハマに集結した大規模な反政府集会に対し、当時のハフェズ・アサド大統領は空爆を命じ、1万人以上とも言われる人々を殺して鎮圧した。こうした事例からも察せられるように、スンニ派にはアラウィ派やアサド家に対する深い怨念があり、その分アラウィ派は権力を奪われた場合の報復の恐ろしさにおののいている。だから青年時代に英国留学したアサド大統領が政治改革を指向したとしても、政権を支えるアラウィ派の大勢はスンニ派の徹底鎮圧以外にない。
シリア反政府運動が「アラブの春」の一環である民主化闘争として始まったことから、米欧メディアは一斉に反体制側・スンニ派勢力を支援する側に回った。日本のメディアも「民主化運動を弾圧するアサド独裁政権への批判」を基調とする報道を続けている。だが現地からの情報を客観的に分析すると、事態はそれほど単純ではない。スンニ派でも都市に住むブルジョワ階層は、イスラム主義色の濃いムスリム同胞団の活動に恐れを感じている人が多い。どちらかと言えば現政権支持の気分で模様眺めをしているようだ。
シリアには古くからスンニ派、アラウィ派以外に多くの少数宗派、少数民族が住みなしている。古代からのキリスト教徒、シーア派の一派と数えられるイスラム教ドルーズ派、ユダヤ教徒、クルド人、アルメニア人などである。これらの少数派は概して、多数派のスンニ派の支配、実質的にはムスリム同胞団が権力を握ることに警戒的だ。少数派のアラウィ派が握る現政権下の方が、少数派として生きやすいと感じているようだ。
一方周辺のアラブ諸国では、イラクを除いてどの国もスンニ派が圧倒的多数派である。これらの国のスンニ派は、シリアの同胞救援に続々と立ち上がっている。中でも西隣のレバノンと南隣りのヨルダンからは、シリアのスンニ派のために武器弾薬が堂々と密輸されている。特にヨルダンでは「アラブの春」に触発されてムスリム同胞団の活動が活発化しており、シリア同胞への支援活動が急速に盛り上がっている。
東隣のイラクはややこしい。シーア派が比較多数のイラクではシーア派主導のマリキ政権が、スンニ派およびクルド人と辛うじて連立政権を組んでいる。マリキ首相はシリアのアサド政権と反体制派の抗争に表向き中立を宣言しているが、内心はイランに同調してアサド政権の生き残りに賭けているようだ。しかしイラクの西部と北部に多いスンニ派は、シリア同胞への救援・支援活動に活発に動き出した。米軍占領時代のイラクでは、シーア派対スンニ派の武力抗争が激化して爆発テロ事件が相次いだ。この時イラクのスンニ派を助けたのがすぐ隣のシリアのスンニ派だった。イラク西部のアンバル州や北部モスル州のスンニ派勢力は今、「あの時の恩返し」に武器をかき集めてはシリアに送り出している。
イラク・モスル州ではアルカイダ系の武装集団がまだテロ活動を続けているが、これらの集団もシリア・スンニ派の支援を始めている。シリアの首都ダマスカス近郊と北部のアレッポで相次いで起きた治安機関の爆破事件は、イラクのアルカイダ系組織の犯行とみられている。古代シリア王国は現在のイラクの北部と西部を版図に組み入れていたから、両国のスンニ派はことに同胞意識が強い。またウサマ・ビンラディン亡き後のアルカイダの首領、アイマン・ザワヒリは2月11日、インターネットを通じて「シリア周辺のイスラム教徒は反アサド決起に立ち上がったシリアの同胞を支援せよ」とのメッセージを発した。
アルカイダの敵であるサウジアラビアもシリアのスンニ派救援を呼び掛けた。全世界イスラム教徒にとっての聖地であるメッカを抱え「イスラムの母国」を自任するサウジアラビアは、潤沢な石油マネーを使ってスンニ派の布教拡大に尽しており、シリア・スンニ派の窮状を放置する訳にはいかない。サウジアラビアと湾岸の産油国からの豊富な支援金がシリア・スンニ派に出回り始めている。こうした空気の中でアサド政権を非難するアラブ連盟の主張が採択されるのは当然だ。
アラブ諸国ではイラクを除いてスンニ派が多数を占め、少数のシーア派が肩身の狭い思いをして生きているが、イラクだけがシーア派が多数を占めている。一方、古代から中近東一帯を支配した大国ペルシャの末裔であるイランは、非アラブつまりペルシャ人の国である。そのイランはシーア派が人口の89%を占める。イランはこれまで陰に陽にイラクのシーア派を始め、ペルシャ湾岸諸国に散在する少数派のシーア派を支援してきた。サウジアラビアを始めとするスンニ派諸国にとって、これはイランの内政干渉である。
こうした位置関係の中で、イランはシリアのアサド政権を擁護している。レバノンはシリアに包囲されている地理的関係や、昔はレバノンがシリアの一部だった歴史的関係から、シリアは独立後のレバノンを事実上支配してきた。現在のレバノン政府もアサド政権とは友好的である。レバノンのシーア派で反イスラエル闘争を続けてきた武装グループのヒズボラを支援してきたのが、アサド政権のシリアでありイランである。さらにイランとアサド政権は、パレスチナの飛び地であるガザで反イスラエル闘争を続けるハマスのスポンサーでもある。
つまりシリア問題は、イスラム教のスンニ派対シーア派の抗争であると同時にパレスチナ紛争の一環でもあるのだ。ここでアサド政権が倒れれば喜ぶのはイスラエルであり、アメリカであり、ヨーロッパである。なぜならば米欧・イスラエルが最も敵視しているイランにとって、アサド政権退場は大きな減点になるからだ。中国とロシアはシリアとイランにそれぞれ独自な利害関係を持っているが、両国が国連安保理のアサド政権非難決議に拒否権を発動したのは、その利害関係以上に、米欧・イスラエルを相手に真っ向勝負しているイランを潰すことは、中東の大きなバランスを崩すことになると憂慮したためであろう。
核開発を続けることで米欧・イスラエルを先頭にした国際非難の矢面に立たされているイランは、あくまで原子力の平和利用を続けるとして最近また、ウラン濃縮の促進計画を発表した。これに対し、イスラエルはイランの原子力施設を空爆する意図をちらつかせているし、もし空爆を実行すればヒズボラはイスラエルに対するミサイル攻撃をためらわないだろう。また米欧はイラン制裁のため関係国にイランからの石油輸入を禁止する措置を強めているが、イランは核開発問題で西側と話し合う用意があることをあらためて宣言する一方で、制裁に対抗して石油の大動脈ペルシャ湾のホルムズ海峡を封鎖すると脅している。
以上見てきたように、シリア情勢はイランをめぐる緊張と連動する形で中東全域の緊張をいっそう高めている。偶発的な不測の事態ひとつで大動乱に点火しないとも限らない、危険が危険を呼ぶ状況である。
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〔opinion0780 :120222〕
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