テント日誌 2/28日 経産省前テント広場―171日目 「真っ白な雪に包まれた」
- 2012年 3月 1日
- 交流の広場
- 経産省前テント村住人
朝は5時。本当は3時に起きて交代の予定だったが、連日の疲れ(?)からか寝過ごした。交代予定の不寝番は起こさないでいてくれたらしい。優しい配慮に感謝しつつトイレのためコンビニに向かう。外は雪混じりの雨というとこだが氷雨というところか。ずうっとむかしに流行った『氷雨』と言う歌を思い出す。口ずさみながら誰が一番よかったのだろうかと思い出そうとするが、日野美歌しか浮かばなかった。彼女はどうしているのだろう(?)結構、美人だったし、好きなタイプだったのだが…。
朝の7時ころまではあまり雪のことは頭になかった。コンビニの行き帰りでは積もるとは思えなかった。霙(みぞれ)で終わるのではないかという感想だった。前夜にテントで明日は「雪やで」と強く言われていたから、雪でなくて良かったと思ったのだ。こういう天気予報は外れる方がいいのだと。7時ころに再び眠くなったので少し横にならせてもらった。目が覚めたのは9時過ぎだが、外は雪になっていておどろいた。東京は2月に雪が降ることが多いのだから、別段おどろくことはないが…。テントの敷石のところから水も浮きだしてきていい気持ちはしない。少し温かくなってきたと思ったらこれだから、早く春がくることはあまり期待(?)しない方がいいのかもしれない。
散歩を兼ねて再びコンビニに行く。いつも行き帰りの電車で買う定番のスポーツ紙(報知新聞)と一般紙(東京新聞)を買う。そういえばプロ野球もキャンプ打ち上げらしい。この寒さではオープン戦もままならないだろう。若い選手は身体を壊さないことをと思う。道はいつもよりは人が少ない。街路樹も雪におおわれた景色を見て2・26事件のことを想起した。この事件が今も強いインパクトで思い出されるのだが、昨今は青年将校たちが反乱した1,930年代の後半と類似しているところがある。政治や権力を含めた社会状況が似ているところがある。もちろん、現在はあの時代と異なっている面も多く簡単に類似なんていえないが。彼らへの心情的共感が残っている半面、批判的に見ざるを得ない面もある。彼らは国家改造を目指し、反乱をした。しかし、彼らには権力奪取後の国家や社会のビジョンあるいは構想はなかった。これは後世の一番強い批判である。僕らは今、脱原発後の社会のビジョンや構想を持つことの困難さ感じている。ここにはある種の日本の社会や国家の共通性《連続性》があることと思う。まとまりの付かない感想があれこれと浮かんでは消えた。
28日の夕方には外人報道陣でにぎわっていた。スウェーデンのテレビ局の取材をしている一方でフランスの記者が順番待ちをしていた。フランスの記者の方は第2テントに案内して取材を受けた。言葉の問題もあって通じにくいが通訳してくれる人に話が通じないのがまずある。これは通訳してくれる人が若い場合に多いがこのことが気になる。比較的年配の人が通訳してくれる場合との違いに気が付くからであるが、ここは意識(自覚)しておいていいところなのだろう。「3・11」が近づくにつれて外国の報道陣やジャーナリストの取材は増え、「テント広場は外人広場」の様相を呈する。これはしばらく続くのだろうと思う。我々の間では日本の報道陣がテントを無視する状況が話題になる。これは原発報道の問題に関わることである。政府や原子力ムラの隠蔽体質はメディアや学会などにも影響を与え現在も尾を引いている。東大での原子力ムラ批判が話題になっているが、メディアももっと批判されていいのだろう。
テントは持久戦の様相を呈してきている。テントの存在そのものだけでも意味があるのだから存続がまず重要である。最近の週末は地域での集会やデモなどが多くテントは手薄になる傾向がある。午前中とともに週末にテントに出掛けて来られる人は是非お願いしたい。夕方は寒さもあってテントの内での談話や談笑になることが多いしこれは楽しい。寒さから解放されると共にこれも変わってはいくだろうが、テントにいろんな企画を持ち込むことも歓迎である。2月27日に詩人の高良留美子さんが講師のテント談話室があった。これは「原発と再生文化」というテント談話室の最終回(4回目)であったが盛況だった。このグループはテント談話室を継続してやる意向らしい。テントをいろいろと使ってもらいたい。春の到来とともにテントを広げて行こう。 (M/O)
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