ペルシャ湾戦争とりあえず回避 -なお強気なネタニヤフ・イスラエル首相-
- 2012年 3月 17日
- 評論・紹介・意見
- アメリカイスラエルイラン伊藤力司
ニューヨーク原油先物市場の価格はまだ1バレル100ドルを超えているが、3月9日の108ドル台をピークにここ数日は上げ止まっている。イランの核施設に先制爆撃をかけることを辞さないとしているネタニヤフ・イスラエル首相が、オバマ米大統領の説得を汲んで、早急な爆撃を思いとどまったらしいという認識が広がったからであろう。これで昨年末米国がイランの石油輸出を封じようとする制裁を法制化して以来、極度に高まっていたペルシャ湾の緊張はとりあえず軟化した。
さらに、安保理常任5理事国にドイツを加えた6カ国とイランの間でイラン核開発問題を外交的に解決しようとする交渉は、1年数カ月ぶりに遠からず再開する見通しだ。しかしこれまでの交渉がその都度難航した経過を振り返ると、交渉解決の見通しは甘くない。今度の交渉も解決の道筋をつけられないとなると、またぞろイスラエルの武力行使論が再燃しかねない。11月の米大統領選挙の前に戦火が勃発すれば石油価格は暴騰、株価は暴落、民主党は分裂してオバマ再選は失墜というシナリオを、ネタニヤフ首相は秘かにうかがっているという説もないではない。
アメリカ最強のロビー団体と言われるAIPAC(アメリカ・イスラエル広報委員会=American Israeli Public Affairs Committee)という組織が、3月4日から3日間全米から1万3000人の会員をワシントンに集めて年次大会を開いた。自由の国アメリカにはヨーロッパで迫害されたユダヤ人が19世紀から多数移住、特に20世紀前半にはヒトラーのナチスによる集団虐殺を逃れて米国に移民したユダヤ人が急増した。当初はアメリカでも差別されたが、得意の金融ビジネスで頭角を現したユダヤ人はやがてウォール・ストリートを制覇、さらに差別を克服しようと子弟の教育に力を入れたことが実って、ユダヤ人は米国の各界各層に有力者を輩出した。
アメリカの人口3億1000万人のうちユダヤ系市民はたかだか700万人しかいないが、学問、政治、経済、法曹、芸術、報道、映画等々各分野に指導的な人物がいるから、アメリカ社会におけるユダヤ人の影響力は抜群だ。その上に裕福なユダヤ人が拠出する政治献金は莫大だ。だからイスラエルの擁護を旨とするAIPACの存在は、米政界で1目も2目も置かれている。ホワイトハウスを民主党が押さえようと共和党が握ろうと、AIPACを無視してアメリカの中東政策はあり得ない。これまで歴代の米政府がパレスチナに対するイスラエルの専横を許してきた背景には、AIPACの存在があると言っても過言ではない。
今年のAIPAC大会のメイン・スピーカーはオバマ大統領とネタニヤフ首相だった。議題はもちろんイラン対策である。3月4日のオバマ演説のさわりは大筋でこうだった。「軽々しく戦争の話をするべきでない。イランが核兵器を持つことは何としても阻止しなければならない。そのためにわれわれは(軍事手段を含む)全ての選択肢を持ち続ける。しかし戦争の代償を考えるなら、今は交渉による外交解決を優先すべき時だ。」演説を聞いた聴衆はシーンとしていた。
その翌日登壇したネタニヤフ首相は「わが国民が壊滅の危機に怯えながら暮らすような事態は許さない」として、大聴衆から喝采を浴びた。彼は①イランが核兵器を開発していることを確信している②それをイラン指導者たちが説得によって放棄するとは考えられない―と述べた上で、もう(交渉解決には)時間切れだと主張した。とりわけネタニヤフ演説が“聞かせた”のは、1944年に米軍部が世界ユダヤ人会議にアウシュビッツ収容所への空爆を拒否する手紙のコピーを示して「当時と今では状況が異なり、ユダヤ人はもう2度と自分の運命と生存を他人に委ねるような無力な存在にならない」と述べた時だった。
実は、CIA(中央情報局)などアメリカの全情報機関が2007年にまとめた「全国情報評価(National Intelligence Estimate=NIE)」によると「イランは2003年に核兵器開発を断念した」という結論が出ている。さらにイラン内外における、米情報機関の精力的なスパイ活動の成果を盛り込んだ最新の2011年NIE(昨年11月作成)でもこの結論は変わっておらず、イランが核兵器開発に着手した証拠はないとしている。
ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストなど米国の有力紙はNIEの結論を詳しく報じたが、欧州や日本のメディアではこのニュースがあまり伝えられなかった。日本のメディアでは、原子力の平和利用のためだとするイランの主張は疑わしく、ウラン濃縮活動は核兵器開発のためではないかというトーンの報道が圧倒的である。シーア派イスラム法学者が最高権力を握るという特異なイラン政治に対する違和感が、外部にこの国の内情を分かりにくくさせていることもあろう。
自国の情報機関が下した結論を信用しているオバマ政権だが、イランがウラン濃縮を続ければいつかは核兵器レベルの濃縮ウランを入手することになるのを恐れているのも事実だ。ただしオバマ政権は、仮にイランが今年核兵器開発を決意したとしてもウラン濃縮が危険レベルに達するのは早くても2年後と踏んでいる。一方イスラエルは、イランが現行のウラン濃縮活動を続ければ年内(2012年)にも原爆1発分の高レベル濃縮ウランを生産できると推定し、「時間切れ」を心配しているというわけだ。
オバマ大統領とネタニヤフ首相は、AIPACの合間を縫って3月5日にホワイトハウスで3時間にわたり、2人だけで会談した。報道陣に公開されたこの会談冒頭で、ネタニヤフ首相は「イスラエルはいかなる脅威に対しても、自力だけで国を自衛する能力を持たなければならない」と強調し、イラン核施設への軍事攻撃の可能性を取り下げなかった。一方、オバマ大統領は「首相も私も外交的解決を望んでおり、まだ外交的解決の余地はある。われわれは軍事行動の代償を理解している」と語った。要はこの会談を通じてオバマ大統領は、イスラエルによる性急な軍事行動にはっきり反対を通告したというわけだ。
米国がイスラエルの性急な行動によってペルシャ湾戦争に引きづり込まれるのを避けたいのは、オバマ大統領以上に米軍部の願いだ。10年以上にわたりアフガン、イラクの戦場で戦った米軍は率直なところへとへとに疲れていて、新たな戦争などまっぴらごめんという内情だ。ある米陸軍の幹部はBBCのインタビューに「イランを(イスラエルが)攻撃すれば(米軍の)イラン侵攻作戦が避けられなくなる。アフガン、イラクよりずっと大変な戦争になる。米軍に今必要なのは再編成と修復だというのに」と語っている。
さて「自力だけで自衛」を目指すイスラエルだが、内実はアメリカの支援がなければイランの核施設を爆撃し、破壊することはできない。イスラエル空軍は1981年にイラクの原子炉を、2007年にシリアの核関連とされる施設を爆撃、破壊した実績がある。爆撃されたイラクもシリアもイスラエルに報復しなかったから、イスラエルの爆撃は成功した。しかしイランのウラン濃縮施設は数カ所に分散され、地下深くに設けられているので通常爆弾では破壊できない。地下深くまで破壊できるバンカー・バスター爆弾は米軍しか持っていない。米軍の支援がなければイラン爆撃が成功する見通しは立たないわけだ。
折から3月4日、イランでは議会総選挙が行われた。欧米に対して最も強硬な姿勢を執る最高指導者で大アヤトラ(シーア派高位聖職者の称号)のハメネイ師を支持し、アハマドネジャド大統領を批判するグループが大半の議席を獲得、同じ保守派内の大統領支持派や欧米との関係改善を指向する改革派に圧勝した。この結果は、核開発は「正当な権利」であって「国際社会から核技術保有国として認められるまでやめるべきでない」と核開発をイラン国民が支持していることを示している。
かつてオリエント世界から中央アジア一帯に及ぶ大帝国を築いたペルシャ人の子孫として、現代イラン人もプライドは極めて高い。そのプライドを背負って、欧米の植民地主義に翻弄された20世紀の悪夢に終止符を打ち、欧米先進国に匹敵する大国の座を占めたいとする大望に突き動かされている人々。そうしたイラン国民は欧米の制裁による経済困難に苦しみながらも、シーア派イスラム法体系に基づく現体制を護持しようとする方向を選択したと解すべきだろう。
最強硬路線に立つイランと6カ国の交渉は遠からず再開される。この交渉を通じて、イランの核開発が純粋に平和目的だけなのか、それとも秘かに核兵器を目指すものなのかを検証するのは、これまでの経緯から見て至難の業であろう。しかし少なくとも交渉が続いている間は、イスラエルがイラン攻撃をするわけにはいかない。交渉が難航して途絶し、交渉再開の見通しが立たなくなると危ない。
そのような場合に備えて、イスラエルには陰謀のシナリオがささやかれているという。すなわち11月の米大統領選挙の前にイランと戦端を開けば、アメリカも参戦せざるを得なくなり、オバマ再選も吹っ飛ぶだろうという筋書のようだ。先行きの見通しが立たないシリア情勢とも絡んで、ペルシャ湾をめぐる緊張にはまだ目が離せない。
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〔opinion0806 :120317〕
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