旧ユーゴスラヴィア戦争をめぐる、「ハーグ戦犯1号の日記」(11)
- 2012年 3月 18日
- スタディルーム
- 岩田昌征
25 運命の男「髭面」
ムスリム人フォリチ・ダニエルは1992年6月14日に起こった諸事件の直接的参加者であり、目撃証人である。彼は書く。「誰から強制されたり示唆されたりしたのではなく、私の発意で表明する。ドイツにいて、ドゥシコ・タディチ裁判をトレースしていた。ヤスキチ村とシヴツィ村の諸事件について彼が責任なしとされたのを知って当然だと思った。しかし、上級審で同事件について有罪と宣告されたのはショックであった。」(p.65)。「1992年6月14日頃セルビア人軍による銃撃と村の浄化が始まった。その時私はヤスキチ村にいた。6人の兵士グループが私をつかまえた。彼等のリーダーが私に近づいて来た。見ると髭面だった。コザラツの人ドゥシコ・タディチにそっくりであった。けれどもドゥシコ・タディチではない。彼の店には何回となく行っており、彼の声も知っているし、家族の全員を知っている。見間違うことはあり得ない。タディチ似の男は私の出した移動許可証を引き裂き、私と許可証を発行した人物を罵倒した。兵士達は私から1600ドイツマルク、安全カミソリ、身分証明書、金の指輪をうばい、そして放してくれた。」(p.66)「私が身をかくしていたすぐ近くを兵士達がヤクポヴィチ・ハサの息子、18歳位を連行して行った。100メートル位先まで行って戻って来た。その一人は『髭面』の男、私をなぐった男、タディチにそっくりの男だった。『髭面』はヤクポヴィチに止まれと言って、自動小銃を発射した。そして去った。そうこうするうちに女達がやって来て、『ああ、彼を殺しやがった。』と叫ぶ。」「ムニャ・アリホジチ、メンコヴィチ・ハムディヤ、イチチが現れた。私が生きているのを見て彼等は驚いていた。ムニャは私の伯父の息子スマイル・フォリチ、アリヤ・フォリチ、ヤクポヴィチ・ディリヤ、多くが殺されたと伝えた。私はムニャに『髭面』をよく見たかときいた。女達があれはドゥシコ・タディチだと語り合っていたからだ。ムニャはあの男はきちんと見たし、自分はタディチを良く知っているし、女達が話していることは正しくないと私に言った。」「その後、トルノポリエ収容所にいた時も私とムニャ・アリホジチはヤスキチ村とシヴツィ村の諸事件について何回も話し合った。私と彼はドゥシコ・タディチがヤスキチ村とシヴツィ村にいなかったことを今も確信している。『髭面』の男はそっくりだとしても、ドゥシコ・タディチではない。(p.67)。その男の声はドゥシコに全く似ていなかった。私達はトルノポリエで夜をすごし、翌日列車でドボイに搬送された。」(p.68)
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26 匿名の手紙
私の以前の弁護士ミラン・ヴイナがハーグ法廷と弁護チームの他のメンバーとに長年隠していた文書資料の中に「髭面」が何者であるかに答えてくれる匿名の手紙を私は発見した。他の証拠すべてと合わせると、匿名の手紙はオマルスカのモムチロ・ラダノヴィチ・ツィガのパラミリタリー部隊の一員としてプリェドル・オプシティナで行われた数多くの犯罪に参加したある人物を示す。後にそれらの犯罪を意図的に私になすりつけたのである。その手紙は私の弟(or兄)あてであった。(p.69)
「尊敬するタディチ殿!」
「貴殿の兄(or弟:岩田)ドゥシコの件について貴殿が知らないようないくつかの事柄をお知らせしたい。何故匿名なのかお分かりでしょう。すべてが済んだ後にお互い知りあいましょう。
ドゥシコはプリェドル警察官であった時期に多くのムスリム人、私と私の家族を助けてくれた。彼は市民問題オプシティナ委員であってある人物の邪魔になったので国外へ出ざるを得なかった。店も奪われた。戦場へ送られ、そこで暗殺されかけた。彼がオマルスカ収容所の守衛職にあったなんて、馬鹿げている。彼がいくつかの殺害を命令していたとか、彼の友人のエミル・カラバシチの殺害を命令したとか、はるかに馬鹿馬鹿しい。当時プリェドルにいた者すべてはドゥシコがオマルスカ収容所にいたことも、そこで働いていたことも決してなかったことを知っている。オマルスカ収容所指揮官はジェリコ・メヤキチであり、エミル・カラバシチを殺した男は現在プリェドルに住むZだ。彼は難民のための国際赤十字で働いており、貴殿の兄(or弟)ドゥシコに大変よく似ている。
(ドゥシコ・タディチ本人の写真、但し髭なしの、あるいは殆ど髭なしのであるが、pp.8,9,89,90,106,116,128,146,181,199と多く示されている。P.69のZの写真と見比べると確かに良く似ている。両者が口髭、あご髭、ほお髭をつけ、軍装していた場面を想像すると、たしかに間違われやすかったであろう。本文には「髭面」の男の実名が出ているが、「偽証罪」のムスリム人たちの実名を伏せたのと同じ理由で「戦争犯罪」の真犯人とされる「髭面」の男についてもZとしておく。岩田)
収容所が存在していた時期、彼は囚人達の看守であり、囚人達と直接接していた。すべての者が彼をこわがっていた。乱暴で危険な男だったからだ。ドラガン・ルキチも顔の左にホクロのあるネジョ・グラチャニンも彼より良いということは全くない。ドゥシコを告発する諸声明のビデオ・カセットを御覧なさい。そうしたら分かるでしょう。口髭のZの写真にあご鬚・ほお髭を描き加えて、貴殿に同封する。ほお鬚・あご髭のオリジナル写真を持っていないからです。貴殿の兄(or弟)がほお鬚・あご髭をしていた時、彼もそうしていた。おそらく意図的にだ。ドゥシコに良く似ている事を知っていて、自分に何かが起こった時にすべてをドゥシコに押し付けることが出来るから。(p.70)
復讐しようと望むあまり彼が決して実行しえなかった事でムスリム人達が彼を告発している事を知って、私はこうするのです。私はこれが唯一の正しい真実である事を確言します。私の本名を明かせないことは御分かりでしょう。この手紙を弁護士に渡し、写真と共に新聞に公表するように貴殿に提案します。すべての人々がこの人物を知って、貴殿の兄(or弟)を告発する人達が自分達の間違いを悟るだろうと私は考えます。差し当たりこれだけ。」
「イリヤ」
(「髭面」の男Zの写真、p.69に載せられている。:岩田)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study459:120314〕
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