ノート・非ノート 12/22 『ハンマースホイ』
- 2010年 7月 29日
- 評論・紹介・意見
- 岡村洋次郎
国立西洋美術館で<ヴィルヘルム・ハンマースホイ>を観た。19世紀末から20世紀初頭にかけてのデンマークの画家である。私にとって久しぶりの収穫ある展覧会であったように思う。
さてハンマースホイの作品には、窓からの静謐とも言える光に照らし出された人間の不在感漂う室内が多い。例えば後ろ向きに描かれた人間には、影のようにひたすら沈黙する存在感しか与えないことで、なぜ人は存在してしまっているのかという<贖罪的悲しみ>が同居している空間に我々を放置するのである。あるいはそういった室内に、無言のうちに佇んでいる女の後姿のその うなじ は、<エロティシズム>を極限まで希釈してあるがために、抑制の効いたトーンのうちで、しかしそれとは気づかないかすかな<焦燥感>のうちにあって、人間存在そのものが否定されそうで、それを<悲しく美しい>と言ってしまっては、言葉が立ちすぎるような寡黙さが充溢している。
そうなのだ<悲しく美しい>といい<贖罪的悲しみ>といい<エロティシズム>といい<焦燥感>といい、そう言った後でそういう色彩をさらに拭い取らなければならない程、彼の画は寡黙である。
また野外の寂寞とした無彩色の、建築物が描かれている風景には、寡黙であることが悲しみや尊厳に転換する直前の寡黙な佇まいがある
ところでイギリスでの彼の作品に、今回の展示では一枚だけ、宗教画を思わせるような色彩感溢れる人物画があって、彼はそれの出来に非常に満足しているようであったらしいが、日常的風景の中に非日常が稠密に紛れ込んだような元の彼の画に還ることで、私は観ていてほっとしたのを憶えている。しかしあの画で彼のうちに隠されていた救済の意識が確かめられたのも事実であった。そうすると彼の得心にも彼自身の救済意識にはじめて気づいたという、そういう事情があったかも知れない。
救済意識も鎮めて彼の世界は寡黙なトーンを保ち続けている・・・。
ところで、ハンマースホイの作品は、現代のアメリカン・リアリズムと云われている作家と一緒に展示しても少しも不自然ではなく、つまり驚くほどコンセプチャルな試みに常に果敢に挑んでいるのである。そしてもちろん単に実験的であるのではなく、その内的闘いの必然性があった上でのアプローチと云えるだろう。まずは、彼の直線、窓枠や室内にある直線は、彼の厳しい精神性を感じさせ、それと対照的に人物の曲線は存在の揺らぎの中で、その衣服の色彩は黒や灰色が多く、肌あいは白に近い印象が残る。そしてその面の彩色は微妙な変化に富んでいて、さらに見る人を存在の静けさに帰ってゆくように誘っているようだ。また、陶器や家具の質感をリアルに鮮やかに再現することで、それとコントラストをつけることで、さらに人間の存在を極限的なものに追い込んでいっているようだ。また、言葉をかえて言えば、いつも生活感のない部屋と後姿の人物でその顔を描かないということは、それらの個性を消し去ることで、人間存在そのものの内奥を描出しようとしたのではないか。つまりさらに言葉をかえれば、ハンマースホイは自己救済ではなく、自分以外の他者の救済へと向かっていたのではないかと思われる。それから部屋の壁の彩色の複雑繊細な変化はなんだろう。不思議な感覚を引き起こされて、カオス的優しさと不安感に包まれる思いである。
また、一転して明るい屋外の風景描写においては、人影のない、またいっさい直線のない自然描写で、明らかに曲線だけで描くというコンセプトが明瞭である。そのときどういうことが起こるかというと、ハンマースホイの曲線は豊穣な命の歌にかわる。草原に二本の木が人間と同じ命で、木の生命が、揺らぐ生命の賛歌そのもののように、そうしてその画には、やはり静けさが支配しているのだ。一方で人影のない部屋になると、棺桶そのもののような空間が現出したり、あるいは死のにおいが微かに漂ってくるような感覚とその厳粛さの丁度中間に揺らいでいるような静けさに帰ってゆく。
ハンマースホイの空間は、人の気配が静かに揺らいでいて、そのままで救われても不思議ではないような予感を孕んでいる。しかし、救いの声はない。そういう矛盾の只中にあるように思える…。
丁度同じ時期にレオニード・藤田の展覧会を上野の森でやっていて、藤田はおそらく、自分でも抱えきれない闇を負っていて、その直視できない経験の為に、闇をすべて隠して描くしかなかったのではないか。晩年は教会の壁画に没頭して、芸術家としては一切の闇に背をむけて、聖書の世界にイコンを描く新しい職人のようにして、その世界にその身を沈めようとした。少なくとも、このあいだの展示ではそのように思えた。自分の闇と静かにしかし強靭な精神でもって向かい合ったハンマースホイとは対照的である。
また、渋谷では、アンドリュー・ワイエス展があって、こちらは、彼が虚弱児として生まれたようであるが、私も生まれて三歳になるまではたいへんな虚弱体質であった為、特に彼の水彩は即興的に描くせいであろうが、生々しい「死」が直裁に感じられて、胸が痛くて、その日眠りに就くまで拭い去ることは出来なかった。おそらく彼もまた、言葉を獲得するまえに、死という言葉を知るまえに、存在することの不安とその恐怖を味わっていたのではないかと推測される。そういった人間は、生涯、人間の死についての、あらかじめ敗れている闘いを強いられることになる…。彼もハンマースホイの影響を受けていると思われる画を何点か描いている。ワイエスなので自分のものにしているのであるが、彼は自分の危機を、自分との直接対決ではなく、他者に向かうことで、たとえば愛人「ヘルガ」を凝視することで、その人の肉を喰べるすれすれのところで、危険な至上の愛を経験している。あるいは、近隣の農場の人達に、何年も向かい合うことで、静かな愛情を傾けて、そういった積み重ねがユーモアに到達していたりする。彼は何年にも渡って、他者の生と死に向かい合うという作業を続けているようだ。彼は他者に何年にも渡る静かな愛情を注ぐことで、その多くは人物ではなく、人物の場合はやはり後姿が大半で、おもに人物のいない建物やその周辺を心をこめて描いている。それら死者のような人物や、建物の美しい腐食を静かに見詰めることで、あるいは生の眩い光線に晒される窓の下を流れる緑豊かな小川のような作品が間歇的に生まれたりはするが、おそらく、彼は自己救済の為に描いているのではないかと思える。そうすることで観るものを矛盾する深い生の現場へと誘い続けて止まないのだ。それとは違ってハンマースホイの画には、いつも他者への祈りのような気配が漂っていると言えないだろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion077:100729〕
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