「人間がはずかしめられている」この国の、治める者の精神の荒廃!
- 2012年 3月 25日
- 評論・紹介・意見
- 大木 保
非常時に果たすべき < 国家の器量と責任> を回避逃亡しつづける、人でなし権力と御用ちょうちん。・・
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あの東日本大震災そしてに東電福島原発爆発から一年が過ぎました。
被災地の人たちのそれぞれの明日への新たな一歩が、
いまも定まることなく、権力のリップサービスとは裏腹に等閑視され
生殺しのままに暮らすことをしいられています。
この国では大災害に遭った被災者を、
国が手厚くささえつづける意思がもとより皆無だということがわかります。
あの阪神大震災のときにも、
被災者はわずかの涙金をつかまされて、
とくに自営業のひとたちは生業(なりわい)の基盤をうしなったまま、
自立再開どころか、明日の生活のめども立たないままうちすてられました。
それを公然と許したものの背景にあったのは、
「個人(民間)の救済は筋違い。自助努力することがこの「自由競争」社会の通念。」という
御用メディアの、財務省と金融資本の為にするプロパガンダにほかならなかった。
国民が甚大なダメージを負った非常時においてこそ、果たされるべき「国家の器量と責任」を
不問にするための「正論」= 詭弁がまかりとおったことに呆れたものだ。
そうしたご都合主義のグローバル思考の大義名分のもとに、
個人には出し惜しんだ支援金や税金が、
政府、自治体、利権団体、金融資本こぞっての箱物建設に投入されたことを指して
「みごとな復興」とよばれたものである。・・・
– そして先日は、水俣病認定訴訟の判決が出されました。・・
しでかしたことのあまりの責任の重大さに恐れおののき、
事実から解離し、逃亡しようとした「チッソ」や、
躊躇なく、国民よりも、国家的事業者に加担することを本分とする政府、司法の態度に接して、
あまりにも過酷な生と死を負わされた水俣病患者とともにたたかってきた石牟礼道子氏は、
「人間が辱(はずかし)められている。・・・」と
憤怒をこめて、悲哀の言葉を発している。・・・
– (2012/02/29付 西日本新聞朝刊 記事より)
「高裁判決は、現行基準を「水俣病にかかっているか否かを症状だけから迅速に判断するためのもの」とし、
基準を満たさない申請者を「水俣病でない」としてきた認定業務の誤りを指摘した。
行政が現行基準を硬直的に運用してきたことで、本来は水俣病と認定されるべき多くの患者が切り捨てられてきた可能性がある。そう言っているのである。
判決は熊本県に棄却処分取り消しと水俣病認定を命じるかたちで、複数の症状の組み合わせが必要な現行基準の緩和を国に求めたと受け止めるべきだろう。
しかし、細野豪志環境相は「国の認定基準を否定したものとは認識していない」と述べ、認定基準を見直す考えがないことを表明した。
水俣病被害者救済法による政治救済を進めている国としては、救済法が対象とする症状と重なる今回の司法救済基準で認定基準を見直せば、救済をめぐり混乱が生じるという懸念があるのだろう。
そうなれば、水俣病の「最終解決」が遠のくというのだろうが、解決を遅らせてきた原因は、厳しすぎる認定基準にあったことを忘れたわけではあるまい。
認定制度は患者切り捨てのためでなく、救済のための措置であったはずだ。その原点を国は思い起こしてほしい。」–
*この事件のあらまし。・・
「1995年8月、熊本県知事はチッソ(株)が垂れ流したメチル水銀の曝露歴は認めながら
「公的資料がない」という理由で溝口チエさんの水俣病認定申請を棄却しました。
1974年の申請以来、実に21年後の処分でした。
チエさんは申請から3年後の1977年に死亡しましたが、この間に県は終えているべき検診を完了させませんでした。
申請者が検診未了で死亡した場合には、環境省が金科玉条とする“1977年(S52)判断条件”でも、生前に受診していた医療機関のカルテ収集を明記しています。
しかしチエさんの次男・秋生さんの起こした行政不服審査請求によって、県の病院調査は死亡後17年も経ってからであったことが判明しました。
また地元支援者の調査で、少なくとも県が病院調査を始めた当時はまだカルテが残されていた可能性があったことが分かりました。
県がまともに調査をしていればチエさんの水俣病罹患は証明できたのです。
秋生さんもただ21年間じっと待っていたわけではありません。
毎年チエさんの命日に合わせて、県に「母の件はどうなっているのか」と問い合わせを続けてきたのです。
これに対し県はただ「検討中」と答えるのみで、放置を続けていたのです。」–
この事実を承知しながらなおも、
担当大臣である者はつぎのように官僚サイドのペーパーにそって、
慇懃無礼に詭弁を弄し、支離滅裂な発言をしている記事がある。・・・
– 「細野豪志環境相は9日の閣議後の記者会見で、
熊本県が水俣病溝口訴訟福岡高裁判決に対して上告受理を申し立てたことに支持を表明、
水俣病認定基準の見直しを否定した上で「反省すべきところはある。基準の運用の仕方は不断の見直しが必要」と述べた。
高裁判決は「硬直的に基準を運用するのは適切ではない」と指摘していた。
福岡高裁が患者と認めるよう命じた故溝口チエさん(熊本県水俣市)について細野氏は、「(審査に)非常に長く時間がかかり、事実が判明する前にお亡くなりになったことは本当にお気の毒で、反省が必要。
きちっと一人一人に向き合っていくという姿勢が十分でなかったのではないか」と指摘。
「過去において運用の仕方として、反省すべきところがないかどうか不断の見直しは必要だ」と語った。
見直しについて「審査の迅速化をイメージしているのか」との質問に対しては、「見直しが即時必要だとは思っていない。
ただ、時間がかかってしまったことをしっかり重く受け止めなければならない」と述べた。
上告受理を申し立てた県の判断については「知事が悩みに悩んだ末に出された決断をしっかりと受け止め、一緒にやっていく」と強調。認定基準見直しも否定した。
(=2012/03/09付 西日本新聞夕刊)・・
これらの報道記事を読めば、だれしも唖然たるおもいをもたれることだろう。
このようにつねに、行政も司法も、みずから人間の精神を喪失し、
人をはずかしめて平然とする
「治める」側の番犬になり果てるものなのである。・・・
・・(ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0825 :120325〕
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