経産省前テント広場 テント日誌3/23~3/28「200日目を迎えたテント」など
- 2012年 3月 31日
- 評論・紹介・意見
- 9条改憲阻止の会経産省前テント
テント日誌をお送りします。
<テント日誌 3/28(水)――経産省前テントひろば200日目>
200日目を迎えたテント 座り込みの椅子も満席に
今日も続く経産省正門前マイクアピール
3月28日(水) 今日でテントは200日を迎える。
今日は早朝から暖かな晴天を迎え、歩道を行き交う通行人も寒い頃に比べると格段に多い。年度末のせいでもあるのか、なんとなくせわしない感じも。昼食の頃になると歩道いっぱいに人が溢れ、信号待ちの交差点では集会のときのような状態になるほどだった。
テントへの訪問者も大幅に増え、テントの前の座り込みの椅子も満席状態となった。
午後3時頃から曇り始めると間もなく、空いっぱい薄暗い雲に覆われ、ぽつぽつ雨が降り始める。急いで椅子、展示の飾り華やベニヤ板を片付ける。予報では雷が鳴ると言われていたが、雨はけっこう降り続け、その後夕方からは曇天となった。
テントではとくに変わった事件もなく、面前外務省の桜が一輪咲いていた。
テント200日目ということであったが、その感慨に浸るよりは、目前の大飯原発再稼動をめぐる動きと闘いにみんなの意識は集中している。4閣僚会議はいつ頃だとか、世論調査でも再稼動反対は6割近いのに、それを敵にまわすのかとか、滋賀・京都の自治体へと広がる大飯原発再稼動反対の動きとか、さらには先日来テントで囁かれているハンスト闘争をどうするかとか、話題はぐるぐる回っていく。
ともかく、大飯原発再稼動を阻止し、5/5全原発停止を実現する、というこれからの1ヶ月あまりの課題に、テントの全精力を傾注するという気運は高まっている。 (M・T)
★テント全体会議
3月30日(金) 午後7時~ スペースたんぽぽ
・大飯原発再稼動阻止、5/5全原発停止実現へ、1ヶ月あまりのテントの方針
・テント組織体制整備について(運営委員・運営委員会・全体会議の再確定等)
是非、たくさんの人の参加を!今、多くの創意が求められています。
<テント日誌 3/27日>
経産省前テント広場―199日目 果てしない議論の行方
今までの衣服では暑すぎる。さりとてもう一枚脱いで幾分か軽装にすると寒すぎる。というわけで服のことで悩みながらテントに出向いてきた。不安定で微妙な天候に振り回される結果になったが、風邪を引くよりはよいかということで軽装にしないでやってきた。案の定、電車の中では汗ばむ程だ。でも夜は寒い。風が冷たいのだ。これで良いと自分に言い聞かせたがこれからもこんなことが続くのだろう。テント前は26日まで続けられてきた経産省前行動も終わり静かだ。朝方に富士から出掛けてきた友人が訪問をしてくれた。が会えなくて残念。多くの友人がテントを訪ねてくれるが会えない時はごめんなさい。
時たまではあるがテントの周辺を散歩することがある。散歩の場所としてはいいところが多いが、しいて上げれば日比谷公園と日比谷図書館。日比谷図書館には書店もあり、なかなか手に入りにくい本が揃っている。書店は喫茶店も併設だからコーヒーを飲みながら本を手にするのもいいだろうと思う。また、公園に向かいに東京新聞の本社ビルもあり、ここでは東京新聞などのバックナンバーが手に入る。1カ月以内のものという限定はあるが、買い忘れた新聞、もう一度読みたい記事の掲載されていたものなどを求めるに便利である。
今日は夕方から首相官邸前でも再稼働に対する抗議集会や申し入れ行動があった。どちらに顔が向いているのか疑念の消えぬ野田首相だが、韓国まで出向いても外国の要人に相手にされぬありさまが報道されている。野田首相は福島第一原発事故の収束宣言を昨年にやっているが今の状況をどのように説明したのであろうか(?)「すべての首脳が原発は必要と意見で一致した」と報じられているがこれは李韓国大統領の発言に過ぎない。野田首相は本来ならこうした場で福島第一原発事故の状態を正確に伝え原発廃止の先頭に立つことを宣言しなければなかったはずである。蛙の面に…ということなのだろうか。
現在、稼働している原発は北海道の泊原発3号機のみになった。原発ゼロの状態の実現に近づいている。政府はこれを怖れ泊原発稼働停止の前に大飯原発3・4号機の再稼働を目論んでいる。これらはいろいろ報じられているから詳しく述べないが、泊原発3号機が稼働停止までの約1カ月余が重要な期間となった。一つの山場が訪れたということだろうか。面の皮の厚い面々たちの暴走を食い止めるいい知恵も浮かばない。それが率直なところだが、でも細いみちから開けてくることもあるはずだ。
テントでは時間ごとに、人ごとにいろいろの議論が展開されている。首相官邸前の行動から帰った人を含めテント内では消灯前までの議論が続いた。僕らは40代以下の人たちとの考えの食い違いを意識してはいる。が、実際のところは彼らの考えが分からないということが多いのだと思う。若い人たちと自由に討議したり、意見交換したりする場がないことに起因することも大きい。ここは現在社会の難しさということでもあるが、言葉の違いから出発するほかないことに気が付くことも多々ある。でも、こういう議論できることが貴重なのだと思う。消灯時間の過ぎ、不寝番で起きている間、話のことが余韻として残っていた。続きはまたということになったが次の機会が楽しみだ(M/O)
<テント日誌3/26(月)――経産省前テントひろば>
東電管内の稼働原発0に 残るは1基
経産省前行動→東電前アクションと盛り上がる
3月26日(月) 晴れ。もう春のはずなのに今日は冬型気圧配置とかで寒い。
この日の未明、日付が変わる頃に柏崎刈羽原発6号機が停止し、東電管内の稼働原発は0となった。この記念すべき日も二重の無念とともにある。福島原発の過酷事故とそれによる夥しい放射能被災、たくさんの人々の苦しみとともにこの日があり、しかも東電の謝罪と責任をもって原発をやめるということではなく、あらたな再稼動への画策とともにこの日はあるのだ
という思いがよぎる。それでも全原発停止の実現は画期的なことであり、脱原発への大きな一歩であることは間違いない。再稼動を阻止して、残り1基を停め、全原発停止→廃炉へと進み、脱原発社会へと進んで行かねば、と改めて気持ちを引き締める。
今日は沢山の方々が全国から来訪される。沖縄・福岡・岡山から茨城・栃木・福島からと。
そして午後6時から、経産省前行動をおこなう。今日は4日間連続行動の最終日である。続々と経産省前正門前に立ち並び、50~60名程にもなる。とくに、双葉町・富岡町から避難されている女性達の心の底からの怒りと切々とした訴えが胸を打つ。
そうしてそのままみんなで7時からの東電前行動へと向かう。
東電本社の向かい側の空間には既に多くの人が詰めかけている。東電前アクション・たんぽぽ舎・経産省前テントひろば・原発いらない福島の女たち・福島原発事故緊急会議・再稼動阻止全国アクションの共催ということで、最後には200名程の黒山の人だかり。
前日、福井市で雪あられの中行われた700名の行動の報告もある。避難されている方々からの訴え、郡山や会津から駆けつけて来られた方達からのアピール、等々、本当に糾弾して糾弾してもなお足りないほどの怒りが、東電本社に投げかけられる。折しも、東電本社ビルの壁に
「東電解体!」「原発なくせ!」「再稼動阻止!」等の文字が投影され浮かび上がる。
会津磐梯山のもとの踊り、怒りと抵抗の気持ちを爆発させる踊り、<かんしょ踊り>が輪になって始まる。<福島を返せ!>と叫ぶがごとくに。
そして大飯原発の再稼動をなんとしても阻止しよう!という気持ちが高まる中、集会は終わった。
それでも尚、抗議し続ける人影が絶えない。
春だというのに真冬のような寒さが押し寄せる中、明日の行動を思いながらテントに引き上げる。 ( Y・T )
尚、この日午前11時に「8.6 ヒロシマ大行動」のメンバーと「とつきとおか未来を孕む女たちの抗議行動」の椎名千恵子さんがヒロシマとフクシマの怒り、そして同じ思いを持った皆さんの署名「すべての原発の即時停止・廃止を求める署名」28,437筆を内閣府に提出しました。
この署名の要求項目は、以下の通り
一.すべての原発を即時停止し、廃止せよ
一.国と東京電力は、福島第一原発Jこの一切の被害を補償せよ
一.情報操作をやめ、労働者と住民の安全を最優先せよ
一.すべての核兵器と核関連施設を廃絶せよ
日本全国から集まった署名が13,437筆、
その他、國際総労働者連帯協会(UID-DER)の協力により、
トルコからも15,000筆の署名をいただきました。
署名にご協力いただきました皆様に心よりお礼申し上げます。
<テント日誌 3/25(日)>
~経産省前4日間連続抗議行動 「東電管内原発ゼロ前夜祭」~
― 経産省前テントひろば 197目 ―
今日は、東電管内の原発が全機が止まる記念すべき日の前夜祭。前日には、「再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション」が東京・日比谷、柏崎刈谷原発がある新潟、泊原発がある北海道で同時開催された。デモ参加人数は主催者発表で、日比谷が9000人、新潟600人、北海道1500人、あいにくの天気だったが、再稼働に反対する多くの人達が抗議の意思を表すために、デモに参加された。今日も前日に引き続き、全国各地で原発の再稼働反対を訴える集会・デモの開催が予定されている。東京は朝から良い天気。東京では、二日続けてのデモとなるが、大飯原発のインチキストレスと安全委員会による不当な「妥当」という見解に抗議の意思を明確に示すためにも多くの人に参加してもらいたい。
私は、テントひろば主催で金曜日から始まった「4日間連続抗議行動」の3日目が、16時から経産省前で行われる予定になっていたために、デモには参加せず、宿泊当番の準備をして霞ヶ関へ向かった。16時に経産省前に着くと、すでに15名くらいの方が集まっていて、ちょうど集会が始まるところだった。司会のYさんの話では、東京の集会とほぼ同時刻に大飯原発の前でも経産省前テントひろば、たんぽぽ舎のメンバーも参加している抗議集会が開催されているという。前日の「再稼働を許さない さようなら原発1000万人アクション」に引き続いて、全国各地で再稼働に反対をする声が上がり、抗議行動が連動して行われている事を実感する。
集会の冒頭に、司会のYさんからこの日の朝日新聞の朝刊に掲載された「大飯原発の地元の福井県で原発の安全性を審議する福井県原子力安全専門委員会の委員12人のうち、4人が2006~10年度に関西電力の関連団体から計790万円、1人が電力会社と原発メーカーから計700万円の寄付を受けていた」というニュース(http://www.asahi.com/national/update/0325/OSK201203240241.html?ref=rss&utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter )が紹介された。
記事によると、金銭を受け取った5人の委員はいずれも安全性評価への寄付の影響を否定しているとの事だが、(「そりゃ、そうだろ。泥棒は、私は泥棒ですとは言わない。」)大飯原発3、4号機の再稼働について福井県は、県原子力委に助言を求める見通しらしい。私から言わせてもらえば、「大飯も伊方も最初から『再稼働ありき』の出来レース。全くインチキのストレステストを無責任な安全委員会を使って『妥当』と評価させ、業界とズブスブな地元の安全委員会に追認させた上で地元了承をとり、最終的に政府が『政治判断』というマジカルワードを使って再稼働するというシナリオ。おそらく、大飯・伊方以外の原発も全く同じ構造で再稼働させる気なのでしょう。」
地元住民の方々は、自分達の安全を無視して再稼働の話が進められるこのような状況をどのように受け止められるのでしょうか?福島第一の事故があったにも関わらず、利権を守るために国民の安全を無視する形で、産官業学が一体となって、なりふり構わず、再稼働しようとしている事に、我々国民は怒り、今こそ反対の声を上げるべきだと思う。
この日の霞ヶ関界隈は日曜日という事もあり、人通りは少なく、経産省の建物も灯りがついている部屋は、数えるほどしか無かったが、それでも、抗議に集まった約20人の市民が、順番にマイクを握り、休日出勤している経産省の官僚に対し、それぞれの言葉で、原発の再稼働を止めるように訴えた。彼らの心に我々の声が届き、今までのやり方を見直し、原発を止めるために行動を起こしてもらう事を切に期待をしたい。
抗議行動に合わせて、テントには多くの方が来て下さり、抗議集会の後は、第1テント、第2テントの中で、それぞれ遅くまで話に花が咲いていた。私は第2テントの話の輪の中に加わった。その中で、TPPと法律改正の話から、大店法の話と小規模小売業の話になり、福島出身のTさんが、「国や自治体が助成をして、地域のシャッター通りに福島から避難してきた自営業者の人に住んでもらい、商売をしてもらえば、活性化にもつながると思う」という話をしていた。
縦割で仕事をする役人だけでは決して出てこない素晴らしいアイディア。なんとか、このような良いアイディアを実現出来ないかと思う。立場が違う人達が色々な事について、真面目に話をすることで、良いアイディアが生まれる。様々な人が集まり、忌憚なく意見を交換出来る場所という「テント」の良さを実感した。
11時にお開きになり、見張り番ら守る施策を一刻も早く実現出来るよう、これからも声を上げていきたい。
(Toku-san)
<テント日誌 3/24(土)――経産省前テントひろば196日>
もうすぐ原発0稼働 勝ってかぶとの緒を締めよ
3・24一万人超の行動 テントビラは飛ぶように人々の手に
一千万人署名達成祈願、日比谷集会。小雨模様の中「テントひろば」のビラをみんなでまく。
このデザインこの群像諸人物配っていても、ユニークで強く、誇らしい。野音入り口で、呉越同舟のビラ配り。しかし、脱原発・反原発以外の集会破壊分子は、公安関係のみか。
「今日、右翼くるよ」と公安に囁かれていたので、ビラ配りの後、テントへ戻ろうと思ったところ、「走れ! コウタロウ!」が聞こえてきた。一目だけでもあの歌手を見ておこうと会場に入り、そうこうしているうちに、たんぽぽ舎で活躍中のTさんにお会いし、いつものごとく、ご教授いただく。
「みんなが目を背ける原子力ホロコースト論なんだけど、同志というよりは先輩がいないわけではないようなんです」「肥田舜太郎さんの一番新しい新書に、事故ならずとも、北海道・沖縄の一部を除いて、放射能被ばくによる障害、疾患者の発生率は、原発周辺で多いことは、否定できない、と書いてありますよ」「放射線や電磁波と遺伝子の関係、ちゃんと知りたいです」「アメリカの遺伝子組み換え企業の海外進出の危険性も誰かにスペースたんぽぽでやってもらわなくちゃならんかね?」などなど話しているうちに、気がついたら、デモに出てしまっていた。
[別の声]その間、デモの出発を待つ市民団体の隊列にテントのビラを4人でまく。ビラを受け取る手が次々と出てきて飛ぶようにまけていく。
一万人を超える規模と聞いても、まだまだと感じるほどに、デモなれしてしまっている。去年の同じ頃、(3・11前)大物のくまさんと同じ場所をあるいていたが、たったの20人くらい。常盤橋での解散集会もそそくさとみんなでテントに帰る。
[別の声]テントの前では、組合関係のデモが通っていくのに合わせてシュプレヒコールを共にしながらテントのビラをまく。デモ隊の中から次々とてが差し出されてこちらも飛ぶようにまけていく。その後、テントひろばの4日間連続の経産省抗議行動の2日目として、30人ほどで抗議行動。川崎や富山の人もアピール。
経産省本館前で、F代表がストレステスト批判を強い調子で演説中。受付のYさんに「右翼こなかったですか?」「右翼も左翼も邪魔しにこなかったよ」。 頼まれ仕事をしようとしていると、一通の封筒が届いた。「くまさんへ。U Mの署名。合唱曲『悪魔の飽食』にこめること。松村高夫。・・・緩慢な大量虐殺! フクシマにより、人類史はこれまでとはまったく異なる段階=「緩慢なる大量虐殺」の段階に、本格的に(序曲的には広島・長崎でしたが)入ったと考えざるを得ません。・・・ 」U.Mさん、コピーほんとうにありがとうございました。
それから椎名さん、Yさんの指導で、かんしょ踊りのレッスン。再度、三度と、経産省前抗議行動は、催される。明後日は、テントひろばも共催に名を連ねる、東電前抗議行動へ参加する。そのとき、東電管内の原発は稼働0となる。そして、日々、経産省前抗議行動は、続く。
責任ある政府代表が、全原発の廃炉宣言をするまで、てぬかりなく、抗議行動を続ける。第2テントでは、集会後の懇親会が夜更けまで開かれた。ぬかるな! ”It had all just begun! ”(Q 記)
★『ひろばー全国・全世界から ~思い・交流・討論・共感~』
メール → tentohiroba@gmail.com
[このひろばは討論の場でもあります。意見・主張をお寄せ下さい。誠実で真剣な討論は、より深い 共感へと達するものと確信しています。意見交流のために可能ならばメールアドレスを付記してい ただければ・・・との声も届いています。]◎『原発いらない』Tシャツ、何も考えてない人たちもファッション感覚でみんな着たくなるようなやつつくって売り出したらどうかな! (S・A) →神奈川の人達は早くからTシャツアクション(1文字ずつ書いた揃いのTシャツで1列に並ぶと ッセージになる。街中でも簡単にデモンストレーションになる。)とか、「さよなら原発」と書かれた簡単なバッグを作成販売されています。このバッグは大変好評で、とても広がっています。
3・10の郡山の会場でも販売されていました。 (テント日誌担当者)
◎撤去されそうになったら15分で駆けつけます。twitterで呼んでね。
◎はじめまして。「原発とめよう群馬」メンバーの秋本と申します。明日テントひろばの皆さんに お会いしたいと思います。何か差し入れをしたいと思いますが、何か必要なものはありますか?
◎【必見】オーストリア・ツヴェンテンドルフ原発・・・一度も稼動しなかったので《内部を360度パノラ マで見られる・貴重な映像》 オーストリアのツヴェンテンドルフ(Zwentendorf) 原発は1972年にマーク1型沸騰水型原子炉を 持つ原子力発電所として建設が開始されましたが、1978年の国民投票で稼動をしないことになり、 一度も動かさず。 この原発の内部を詳しく見ることのできるページです 。《後半の方ジャングル必見です》 ・・・ http://zwentendorf.com/Tour_AkwZwentendorf/tour_AKW_Zwentendorf.html( A・Y )
<テント日誌 3/23(金)―経産省前テントひろば195日目>
テントの中でワークショップ「かんしょ踊り」
雨の中、経産省前行動(4日連続行動初日)
恒例の朝の散歩に今日は一人で向かいました。日比谷公園の草花にも春の気配が感じられ、カモメ広場の噴水の水の煌めきも寒かった日とは心なしか厳しさのようなものが抜けて見ていて気持ちが良い。それでも空は雨を予感させるどんよりさが折角の散歩の気分を損ねてしまいます。朝5時、東京タワーの灯が曇天の空に輝きテントに帰る頃にはポツリポツリと降ってきてしまいました。ん?ん、残念!
今日は椎名さんの指導の元に「会津磐梯山?カンショ踊り」のワークショップが予定されていて、生憎の雨でしたが10人以上の方にお集まり頂き第二テントの中で行うことになりました。椎名さんから手ほどきを受けた後にYさんが見本となって踊ることになりましたが、Yさんは先日10日の郡山での交流会でテントの仲間と一緒になって踊っておられましたが、中でも一際明るく元気にされてました。
ワークショップに参加された中に、「君が代起立斉唱強制」拒否で処分され、ずっと裁判闘争を続けておられる元教師グループの、シニア世代の女性達5~6人がおられました。
ワークショップも終わりかけた頃、原子力安全委員会に参加されていた方が息を切らして帰って来られ「原子力安全委員会がたった5分で終わり、大飯の調査委員会が終了してしまった!」と興奮して伝えて下さった。
先日、私が傍聴した委員会も班目委員長の異常に早口な資料読み上げに続いて、あっ!という間に終わった事を思い出します。その時も5分位で終わってます。
雨は降り続き、憂鬱な気持ちが晴れません。
夕方からは雨の中、20名程が集まって経産省正面玄関前での抗議行動が行われました。
テントひろば4日間連続行動の初日です。もちろん、今日の原子力安全委員会での説明と抗議が行われたのは言うまでもありません。
それが終了後も少し間をおいて、数人によるマイクアピールが遅くまで続いていました。
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テント日誌 番外編
3月11日(日)
『その日の空は鎮魂の色。白い涙が降っていた』part-3
それぞれの想いの中の黙祷。
朝から快晴の福島。今日は「原発いらない!311福島県民大集会」の日。その前にビッグ・アイでは「原発いらない!地球(いのち)のつどい」の2日目です。僕はと言えば『野菜カフェはもる』の模擬店のための野菜運びです。
二時間しか開けないのにも関わらず沢山の方に興味を持って頂きました。その中で人気なのは「祝島」のヒジキ。食べた方の美味しいとの評判につられて、多くの方の手に取って頂きました。あっという間に時間が過ぎて慌しく片付けを済ませ、仲間の女性と開成山球場へ向かいました。
会場に着くともう既に始まっていて「加藤登紀子」さんの歌が流れる中、福島の皆さんを探し、佐藤幸子さんと椎名千恵子さんの側に席を取ることに。
運命の14時46分。
参加者全員の黙祷。あの日のテレビで見た光景が頭を巡り、眼には熱いものが…。決して繰り返してはならない命の悲劇!しかし、この後に待っていた更なる悲劇にこの国は為す術を無くしたように一年経った今でも何も変わっていないのです。
しばらく言葉にならない沈黙の中にいると僕の携帯が鳴った。元気な声で「Yさん、どこにいるの?」どんなに苦境にあっても明るさを失わない佐々木慶子さんだ!ドイツに招かれて昨日帰った彼女は二日目のイベントとして『沈黙のアピール』をされたのだけど、忙しく動き回って参加が出来なかったのでした。
慶子さんを幸子さんや千恵子さんたちの席に案内し、最後まで皆で集会に参加をしました。
集会の最後にFoEドイツのフーベルト・ヴァイガー代表による1万羽の「折鶴」の贈呈式が行われました。ドイツの方が見よう見まねで折って下さったものでしたが、これがその後に僕と関わる事になるとは思ってもいませんでしたのですが・・・。
この日の参加者が主催者より発表され、参加者は1万6千人とのことでした。
閉会後、デモ行進に移る事になりました。この頃になると少しづつ雨が落ちてきました。
参加者の都合で遠方からの参加者を先に出発させるために、福島在住者などは最後の隊列となりました。とは言っても、福島の方、若い方々。それに続く多くの方の最後に学生の隊列とこれだけでも2000名近くになる隊列でした。
福島女性たちの一隊は最初は遠慮がちではありましたが、出発前から気合が入っています。リレーアピールや歌を歌ったりの中、僕が後ろの隊列のシュプレヒコールの原稿をお借りして彼女達に手渡すと、俄然スイッチが入ったようにボルテージが上がります。福島の皆さんと若い方々の声がリンクしてこだまします。
そしてデモの中盤に突然、主催者の方がデモの終了を宣言したのでした。その理由を皆で質すと「予定の時間になったから」と言うのです。僕がそれはおかしいのではと言うと、幸子さんが「最後までデモをさせなさい!途中で終わらせるとは何事か!」と抗議すると、警備の警官が主催者に「どうするのですか……」と弱々しく声を掛けるのでした。
女性たちの圧倒的な気配にタジタジになりモタモタしているのを横目で見ながら、「行くぞぉ?!」と声を挙げながら、そのまま進んで行くことになりました。
終着地の郡山市役所は殊更、解放区の様相を呈していて歌や太鼓・踊りながらのアピールが続き、いつまでも止みません。最後の学生の隊列が戻るとその熱気は最高潮です。
若い皆さんの思いに送られるようにその場を離れ、懇親会会場へ向かうことになりました。
デモの最中は天気も大きく崩れずに済んだのは本当に良かったのですが夜になって雨、更に雪へとなってしまいました。
懇親会と思い到着するとそこにはFoEドイツのフーベルト・ヴァイガー代表以下3名の関係者がいました。以前にお会いしたFoFジャパンの吉田さんのお顔も。
一人一人自己紹介を兼ねお話をされましたが、状況の変化と共に僕自身も初めてお聞きする内容もあり、ヴァイガー氏も驚きを持って聞き入っておられました。この模様はアワープラネットの白石さんが取材されていますのでご興味のある方はお調べ下さいませ。
ここでとても重要な事がヴァイガー氏より提案されるのですが、その事は後日に発表になることでしょう。僕もそれには大きな期待を持ってお話を聞いておりましたし、できることがあれば協力したいとも思いました。
最後に先程の「折鶴」がドイツから贈られた1万のうち5千が「子どもたちを放射能から守るネットワーク」に寄贈されることになり、そのうちの半分位を経産省前テントひろばに持ち帰り、活用されたいとの申し出がありました。
そこで僕が東京に持ち帰ることになりました。今は第二テントに置かれており、どのように活用するかを待っている状態です。
福島に行く時は幸子さんを乗せ、帰りはドイツの方の想いのこもった「贈り物」を載せる光栄に緊張感は増すばかりでした。
お話が尽きぬ時間を過ごして福島市への帰路につくことになりました。しかし運転中は雪。別の緊張が僕を包むのでした。野菜を届けなければならないので「はもる」に。それを届けてから慶子さんのお宅に伺い宿泊もさせて頂きましたが、いつもの事ながら「何もしないからね」と言いつつ美味しく暖かい食事を出して頂き、感謝に絶えない想いと温まった心と身体のままグッスリと床に就きました。ー続くー ( F記 )
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0834:120331〕
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