元素発見競争と命名から透けて見えるもの―ゲルマニウムの場合を中心に―
- 2012年 4月 11日
- スタディルーム
- 元素命名犬伴 歩
はじめに
昨年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第1原発事故以来、放射能汚染の報道ではセシウムという元素名をニュースや新聞でしばしば見聞きするようになった。飛散したセシウム以外にもヨウ素、キセノン、ストロンチウム、プルトニウムという元素名も出て来た。呑気なことに私は、原発事故までセシウムやキセノンという元素の存在は知らなかった(ヨウ素131はチェルノブイリの原発事故の際、子どもに甲状腺がんが多発したことで聞いてはいた。ストロンチウム90については幼い頃、「死の灰」による汚染マグロのニュースで聞いた記憶がある。プルトニウムもプルサーマルや核兵器開発問題で耳にしていた。キセノン133は臨界事故が起きた際に発生する放射性元素とのことで、福島第1原発事故直後にキセノン133が千葉市で最大40万倍になったと報道された)。
このようなわけでもう少し頭を整理しようと、メンデレーエフの原素長周期表を久しぶりに見ることにした。これを見るのは高校2年生の時の化学の教科書の裏表紙にあったもの以来だから、40年以上たっていることになる。あの頃、私は文系に進学することにしていたので、化学はお付き合い程度の気持ちで授業に臨んでいた。当然、成績は甚だ芳しからざるものであった。今になって思えば、もっと積極的に勉強しておけば良かったと思うのだが、今さら悔やんでも始まらない。その私が長周期表をじっと眺めていたらいろいろなことに思いがめぐり、これはということになって、改めて考えて見るとなかなか興味深いことが浮かび上がって来た。原素の名前、つまりその命名についてである。
Ⅰ
長周期表を見たところ、炭素や硫黄、鉄や亜鉛といったなじみ深い原素名は日本語であり、外国語名をそのままカタカナで表記したものは、ギリシャ神話から来たらしいもの、科学史上の偉人にちなんだらしいもの、地名によっているらしいものなど、どうもいくつかに分類できそうだ。そこで意を決して、元素番号1番の水素から109番のマイトネリウムまで元素を一つ一つサイトで調べて分類してみようと思い立った。近代科学の成立以前の古くよりその存在が知られていたものは、例えば鉄がiron、ドイツ語ではEisenというようにそれぞれの国の言葉を持っているようだ。私なりの基準で分類した結果は以下のとおりである。
命名別元素の分類(元素番号109まで、発見・特定された年代には異説あり)
A:17世紀までに発見・特定されていた元素
炭素・フッ素・リン・硫黄・カリウム・カルシウム・鉄・銅・亜鉛・ヒ素・銀・錫
・アンチモン・金・水銀・鉛
B:18世紀以降に発見、特定、命名された元素の命名の由来による分類
ア-古代ギリシャ・ローマの神話や星などから命名された元素
ヘリウム・チタン・セレン・ニオブ・パラジウム・テルル・セリウム・プロメチウム・タンタル・イリジウム・ウラン・ネプツニウム・プルトニウム
イーその特性・性質を表わす古代ギリシャ・ラテン語で命名された元素
水素(ヒドロゲン)・リチウム・ベリリウム・酸素(オクシゲン)・ネオン・ナトリウム・アルミニウム・ケイ素(シリコン)・塩素(クロリン)・アルゴン・クロム・マンガン・臭素(ブロミン)・クリプトン・ルビジウム・モリブデン・テクネチウム・ロジウム・カドミウム・キセノン・セシウム・バリウム・ランタン・プラセオジウム・ネオジム・ジスプロシウム・オスミウム・タリウム・アスタチン・ラドン・ラジウム・アクチニウム・プロトアクチニウム
ウ-国名に由来する元素
ガリウム・ゲルマニウム・ルテニウム・ポロニウム・フランシウム・アメリシウム
エ-地名・地域名に由来する元素
マグネシウム・スカンジウム・ストロンチウム・イットリウム・ユウロビウム・テルビウム・ホルミウム・エルビウム・イッテルビウム・ルテチウム・ハフニウム・レニウム・白金(プラチナ)・カリフォルニウム・ハッシウム
オ-大学や研究機関名に由来する元素
バークリウム・ドブニウム
カ-人名に由来する元素
サマリウム・ガドリニウム・キュリウム・アインスタイニウム・フェルミウム・メンデレビウム・ノーベリウム・ローレンシウム・ラザフォージウム・シーボーギウム・ボーリウム・マイトネリウム
キ-その他
ホウ素(アラビア語)・窒素(英語noxious )・バナジウム(北欧神話)・コバルト(独民話)・ニッケル(独民話)・ジルコニウム(アラビア語)・インジウム(インディゴ色素)・トゥリウムまたはツリウム(ゲルマン神話)・タングステン(北欧語)・トリウム(北欧神話)
ク-由来が分からなかった元素
ヨウ素(妖素、英語iodine)・ビスマス(英語bismuth)
注:Aの内にもリン(phosphorus)のように英語表記すればギリシャ由来のものももちろんある。
長周期表上の大多数の元素は近代化学の成立以降(啓蒙思想の普及後、「近代化学の父」と呼ばれたラボアジエ(1743~1794)が活躍した頃か)に発見されたり単分離されたものは、発見者や発見機関が命名権を持つとされているので、発見者たちの心情も命名から伝わってくるようだ。第二次世界大戦以前の発見はほとんどが近代科学を育んだヨーロッパ勢によるので、やはり彼らが範とするギリシャ・ローマの神話や古代ギリシャ語の単語に由来するものが圧倒的に多かった。第二次大戦後、アメリカでノーベル賞の受賞者が急増したように、先端科学研究の中心がアメリカに移ると、近代科学の偉人にちなんだ命名が流行になったようだ。第二次大戦以前の発見で人名に由来する原素は、ロシアのサマルスキーにちなんだサマリウム、ガドリンにちなんだガドリニウム、それにキュリーの名をとったキュリウムの3つだけだが、キュリウムは1944年の発見だから、戦後に命名されたアインスタイニウムやメンデレビウムなどと一緒のグループに入れてもいいようだ。それにしてもイデオロギー的な名前、例えばスターリニウムとかヒトレリウムなどというものがなくて本当に良かったと思う。
だが命名が国名や地名となると話は少し変わってくる。そこにノーベル賞やオリンピックのメダル獲得競争と同じような国別の元素発見競争となると、国家や民族の優秀性を誇示するがごときナショナリズムが絡んでくるからだ。古くは1828年に命名されたロシアのラテン語名ルテニアにちなんだルテニウムがある。普仏戦争でドイツによって一敗地にまみれたフランスで1875年に発見された元素は、古代ローマ時代のフランスを指すガリアに由来するガリウムと命名された。そのドイツといえば、フランスに勝利してビスマルクの治下で繁栄を謳歌していたが、1885年に発見された不可思議な性質をもつ元素はドイツとその周辺のラテン語の古名ゲルマニアにちなんでゲルマニウムと命名されている。また1898年、キュリー夫妻は新放射性元素を発見し、かのゲルマニウムのドイツ帝国などに分割されて悲運の許にあったポーランドの再興を祈るかのように、夫妻はポロニウムと命名した。そして第二次大戦末期の1944年にアメリカでは、原子爆弾の製造を目指したマンハッタン計画が進められていたが、その過程で発見された放射性元素にアメリシウムと命名している。
その他1949年にフランシウムと命名された元素があるが、フランシウムと定まるまでにはいくつかの紆余曲折があった。フランシウムの場合はこういうことらしい。プロイセンを中心としたドイツ諸邦軍とナポレオン3世の帝政フランスが衝突した普仏戦争の年である1870年、セシウムの次に位置するアルカリ金属である元素番号87になる元素があるはずだと想定され、暫定的にエカ・セシウム(エカとはサンスクリット語で第1という意味とのこと)と名付けられることになった。時は下って1925年、新興ソ連の化学者ドブロセルドフは他のアルカリ金属のサンプルから弱い放射能を観測し、これはエカ・セシウムがサンプルを汚染しているに違いないと結論付け、エカ・セシウムをロシアにちなみ新たにロシウムと命名した(しかしこれは誤りでカリウム40だったことが後に判明した)。翌1926年、英国のドルースとローリングは、硫酸マンガン(Ⅱ)のX線写真を解析し、観測されたスペクトル線をエカ・セシウムと推定、87番の元素であると発表し、アルカリニウムと命名するよう提案した。時はさらに下り1930年、オーバーン大学のアリソンはリチア雲母とボルックス石を磁気光学機器で解析し、元素番号87番の元素を発見したと主張した。彼はこれに故郷バージニアの名をとってバージニウムと命名している。だが1934年、カリフォルニア大学バークレー校のマクファーソンは、アリソンの間違いであると断定している。1936年にはルーマニアのフルベイとコショワがボルックス石をX線装置で分析したところ、いくつかの微弱な輝線を観測し、これこそが87番元素だと推定し、彼らが居住していたモルダヴィア(ソ連が解体して現在はモルドヴァ共和国)にちなみ、モルダヴィウムと命名することを提唱した。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した1939年、パリにあるキュリー研究所に在籍していたマルグリット・ペレーは、89番元素アクチニウムのサンプル精製の際に崩壊エネルギーを観測していたが、アクチニウムのアルファ崩壊によって87番元素が生成するものと推定し、これにアクチニウム-Kと命名している。第二次大戦が終息した翌1946年、ペレーの命名に対しこの元素が全元素の中で最も電気陽性(cation)であるとされたので、カチウムと命名するべきだとの提案がなされた。これに対しペレーの上司イレーヌ・ジョリオ=キュリーはcatが含まれることを嫌い反対したので(猫嫌いだったのか)、ペレーはフランシウムとすることを提案、1949年になってようやくフランシウムが公式に採用されることになった(前出フルベイの師でノーベル賞受賞者のペランは、モルダヴィウムの方を支持し続けた)。これによってフランスの名を冠する元素はガリウムとともに2つになった次第である。ちなみにフランシウムは自然界で発見された最後の元素であり、その後に名付けられた元素はすべて実験によって作られた人工のものとのことである。
国名に由来するものは以上だが、ナショナリズムの匂いがするものは他にもある。地名に由来するものである。イットリウムやテルビウムなど原石が発見された地や鉱山名からの命名には問題ない。またユウロピウムなどもあまり問題はないかもしれない(だがフランスのドマルセがユウロピウムを発見したのは1896年とのことで、「黄禍論」はその前年にやはりフランスで最初に公表されたというから、関わりがあるかもしれない。単なる思い過ごしであれば良いのだが)。スカンジウムとかコペンハーゲンのラテン語古名ハフニアから取ったハフニウムには、北欧人の矜持のようなものを感じ取ることができる。やはりパリのラテン語古名ルテチアにちなんだルテチウムや、最近ではヘッセンの古名ハッシアに由来するハッシウムなどもある。地名ではないがゲルマン・北欧伝説に出てくる北の最果ての王国トゥーレ(ゲーテの詩『トゥーレの王』にツェルターが曲をつけたものが有名)にちなんだトゥリウム(ツリウム)という元素も1879年に発見されている。この頃のドイツ帝国ではナショナリズムが高まりを見せ、トゥーレの名を冠したトゥーレ協会といった国家主義団体や学生団体もあったと記録には出てくる。後のナチスの人種主義と直接に繋がるものではないが、やはり北欧ゲルマン神話・伝説に由来するコバルトやニッケルといった命名とは異なる、面妖なものが感じられる。
その中でレニウムに注目しておきたい。レニウムは1925年、ライン河のラテン語古名レヌスにちなんだものである。第一次世界大戦の結果ヴェルサイユ条約で1320億金マルクという天文学的数字の賠償金を課せられたドイツは、その過大な負担にあえいでいた。滞りがちな賠償金支払いに業を煮やしたフランスやベルギーは1923年、ドイツ工業の中心地帯ルール地方を軍事占領する挙に出た。これに対してドイツはサボタージュなどの不服従で対抗するが空前の大インフレに陥ってしまい、ワイマール共和国は混乱して結果的にナチスの台頭を招くことになるのであるが、ルール占領はザールの施政権喪失とともにドイツ人の愛国心とナショナリズム(そして反ユダヤ主義も)を高めることになった。ドイツ人にとってライン川は「父なるライン」であり、フランスとドイツを分ける国境の守りの要でもある。ライン川の東からがドイツの地であるとの観念がドイツでは強い。こういった背景があってレニウムの命名なのであろう。科学の対象は世の動きとは一線を画するが、科学や科学者は一概にそうとは言えない。
Ⅱ
筆者が小学生の頃だからもう半世紀も以前のことだが、ゲルマニウム・ラジオ(鉱石ラジオともいった)が特に男の子の間で爆発的に流行したことがある(ゲルマニウムという言葉はこの時初めて覚えたのだが、ゲルマンの意味は知るよしもなかった)。文具店や模型店で製作キットや完成品が売られていて、お年玉が入ると買ってきては楽しんだものだ。ケースを開いてみると、コイルとバリコンとちょっとした配線だけの実に簡単な構造で、電源がないのにイヤホンを通して放送が聞こえてくることが不思議でならなかった。ゲルマニウムは代表的な利用例がゲルマニウム・ラジオであったように、安定性が優れたケイ素がこれに取って代わるまでトランジスタに使用されていた。それから幾星霜、電圧降下が少ないということからダイオードや光検出器に使用され、またガンマ線の放射線検出にも使われており、国は福島原発事故後に食品の放射性セシウム検出法として、1ベクレルまでの精密な測定が可能なゲルマニウム半導体検出器の使用を直ちに規定した(ただし1台1500万円位からと大変高価なので普及するには至っていない)。その他エネルギー分解能に優れていることや、石英レンズに入れると屈折率が上がるとか、赤外線を透過するなど光学用途にも多用されているそうだ。
ところがこのような先端科学技術分野ではなく、卑近な日常の範囲の新聞や雑誌の宣伝広告でゲルマニウム何とか・・・・と謳ったものをよく見かける。街を歩いていても、ゲルマニウム温浴うんぬんという施設もある。とにかくゲルマニウムは効く、身体に良いらしいのである。そこでネットでゲルマニウムと打ち込んで検索してみた。そうしたところ出てくるわ出てくるわ、無数と言ってよいほどゲルマニウムの不可思議な性質による効果を謳った通販セールス・サイトがずらっと続いていたのである。美容・ダイエットからネックレスやブレスレット、身体に張り付けるゲルマニウム・チップ、治療器、その昔あの淡谷のり子が宣伝していた美顔ゲルマニウム・ローラーもいまだに健在だったし、中には泰西の霊泉ルルドの泉はゲルマニウムの効能らしい云々というのもあり、日本各地の温浴・岩盤浴ガイドもあった。なんとも面妖な感があり、独立行政法人国民生活センターもゲルマニウムの健康への効果については科学的な根拠を示す文献やデータは確認できなかったとの見解を表明している。あまり根拠のはっきりしてないことをまことしやかに煽り立て、商売に使っているのだろう。それにしても、このような商法に使われるほどゲルマニウムはなぜこんなに「人気」があるのだろうか。それはゲルマニムという元素そのものが持つ、半金属(金属と非金属の中間的性質を持つ)であり半導体でもあるという特異な性質(他にケイ素とセレン、その3元素だけとのことである)と希少で高価であることにもよるのではないだろうか。また「ゲルマン民族の大移動」の連想から、怒涛のごときパワーを感じ取っているのかも知れない。
ゲルマニウムの発見と命名の経緯は以下のようである。ドイツ帝国が成立した1871年、メンデレーエフは長周期表中の空所について論文の中で、カルシウムの次の場所に位置すべき未知の元素は、ホウ素と類縁関係があるはずであると予言し、これにエカ・ホウ素と仮称をつけた。また同様に長周期表第4列の亜鉛とヒ素の間の存在として、エカ・アルミニウムとエカ・ケイ素を想定した。1875年エカ・アルミニウムはフランスのド・ボアボドランが発見、前述したように彼はこれをガリウムと命名した。敗戦からのフランスの再興を祈念しての命名であった。エカ・ホウ素については1879年、スウェーデンのニルソンが発見しこれをスカンジウムと名付けた。そして残っていたエカ・ケイ素は1886年、フライブルク鉱山アカデミー教授のクレメンス・ヴィンクラーが銀鉱石のアージロド鉱の中から単分離し、それをゲルマニウムと命名した次第である。
Ⅲ
それではなぜこの元素がゲルマニウムと名付けられたのだろうか。ヴィンクラーが発見した当初、ゲルマニウムの特性がすべて把握されていたわけではない。また今日のように、特に半導体の性質を活用する先端技術の分野はまだ存在しなかった。しかし他の物質にはない金属と非金属との中間的性質を示すなど、不可思議な性質は計り知れない可能性を持っていると考えられており、英仏両国に比べ新興国ながらも潜在力と可能性を秘めた国ドイツと重なるところ大であった。それゆえゲルマニウムと命名されたわけだが、ではなぜドイツではなく、ゲルマニアなのか。つまり当時のドイツ人にとってドイツとは何であったのか、ドイツ帝国成立後のドイツの社会状況から探ってみることにしたい。
ヴィンクラーは学生時代、ザクセン州のフライベルクにある鉱山学校で鉱山学を学んだ。この鉱山学校は伝統を誇る専門学校(単科大学)であり、ヨーロッパ中から俊英を集めたといわれている。彼はここで鉱山学のみならず冶金学をも修めている。1873年に彼は鉱山学校の教授に就任し、以後終生この職にとどまっている。彼の学風は地味で粘り強いものであったようで、当時花形分野として脚光を浴びるようになった有機化学には向かわず、ずっと無機化学にとどまり、重量分析・容量分析・電界分析の改良など、広い分野で成果を上げた。また1875年には接触式硫酸製造法を発明している。彼の学問的名声が高まってくると、権威ある大学から招聘の誘いもあったが、これに動かされることはなかった。生涯において彼は数多くの論文を著し、学問的な成果も多岐多数あるが、その中で頂点をなすのがゲルマニウムの発見であり、それは長期間にわたる粘り強い分析の結果導き出したものであった。科学史家のアイドによれば、彼は「典型的なナショナリスト」であったという。ナショナリスティックだからこそゲルマニウムと命名したわけだ。しかしナショナリズムといってもかなり広い概念で、時代によって地域によっても、内容・役割ともに大きく異なっている。それではこのゲルマニウム命名のナショナリズムはどのような性質のものであったのだろうか。そのためには1871年に成立したドイツ帝国の社会の情勢を見てみる必要がある。
ドイツ帝国の成立はドイツ社会を産業化させることになったが、それはこれまでドイツ社会に保持されてきた、手工業的な小都市とそれを取り巻く農村という伝統に根ざした生活のパターンを打ち破った。産業拠点としてベルリンやハンブルクなど大都市が発展し、そこでは新たに大都市の住民階層が形成されることになった。産業社会の進展とともに特に都市の中間層は増大し、存在感を強めることになる。この中間層とは産業社会を実務的に支えるホワイトカラー、技術者、管理職などで、ドイツの産業社会化によって急速に膨張し、彼ら独自の社会意識が形成されるようになる。それ以前のドイツ市民社会の中心をなしていたのは「教養と所有」に裏打ちされた、いわゆる名望家市民層であった。大学やギムナジウム(進学のための高校でエリートを養成)の教授、医師や法律家、将校や企業経営者に代表されるエリート層(高学歴ゆえにアカデミカーと呼ばれた)である。ドイツ帝国の成立以降、事情は変化する。産業社会化によってドイツ社会は多数の実務従事者を必要とするようになった。そしてヴィンクラーがゲルマニウムを発見した1885年頃から、さらに皇帝ヴィルヘルム2世が帝国主義政策に大きく舵を切った1890年代になると、産業化にあわせて中・高等教育への進学率上昇も顕著になっていった。なかでも産業社会に直接関わる実務・職業教育を受ける者の伸び、とりわけ工業技術系専門学校(単科大学)や実科ギムナジウムで教育を受ける者達の増大があった。彼らが大都市中間層を形成することになる。彼らは専門職業教育を身につけ、都市生活者として独自のライフ・スタイルと社会意識をもつようになるが、その意識は従来のエリート市民のものとはかなり異なるものであった。
おもにエリート的市民層がリードした従来の市民文化は、18世紀末からの古典主義、そのあとを受ける形で優勢になったロマン主義的な特徴をもつ芸術文化や啓蒙主義以来の汎欧・自由主義的な性質も併せ持っていた。この上澄みのような文化と対照的に新興中間層のそれは、近代社会を形作ってきたいわばデカルト的な「ある(存在・解釈)」ということよりもニーチェ流の主体的な「なす(行為・生成)」ことを標榜する、つまり一般・普遍性(汎欧的文明)より独自性(ドイツ文化)を謳う、いわばナショナリスティックな傾向が強かった。この傾向は当時センセーションを起こしたアヴェナリウスやディーデリヒスらの芸術運動、郷土文学、多様なコロニー運動、ヘッケルの一元論主義、シュタイナーの人智学、果てはヘルツルの「ユダヤ人国家」にまで、旧来の個人主義的な市民文化的あり方とは異なる点で共通性を見ることができる。ドイツ帝国の成立と産業社会の進行によって、固定的だったドイツの階層社会も揺らぎ始めたのである。
科学技術の振興は産業による国力の増進、帝国主義政策とは切り離せないものであった。欧米先進各国は新素材・新製品の開発・商品化を競っていた。この時期に開発された新素材はソーダや合成アンモニアをはじめ合成染料、セルロイドや合成ゴム、ベークライトなど近代社会の日常生活に大きな影響を与えたものはきりがないほどである。1880年代における化学産業の発展を促した有機化学の目覚ましい進展ばかりでなく、基礎科学の研究、新元素の予言や発見競争もこの風潮の中にあったのである。普仏戦争でのドイツの勝利はフランス的文明に対するドイツ文化の優位を顕わしているとの風潮が追い風となり、科学上の新発見や発明は国家の威信、民族の優秀性のバロメーターともなった。ドイツでは化学工業が特に発展し、例えば合成染料の分野ではインディゴ(藍)に代わるバイヤーの紺色染料、アカネ(茜)に取って代わったグレーベとリーベルマンの紅色染料などタール染料はドイツの化学工業の地位を不動のものにした(1900年には合成染料の90%は輸出に向けられ、アメリカの作業着であるジーンズは合成インディゴによる。日本の藍染めや茜染め、紅花染色も壊滅的打撃をこうむった)。1880年代・90年代の科学上の発見・発明競争は1896年に創設されたノーベル賞によっていっそう激化することになる。ノーベルも罪なことをしたものだ。ちなみにバイヤーは1905年にノーベル賞を受賞している。
ゲルマニウムの発見から2年後の1887年、テンニエスは古典的名著となる『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』を書き上げている。この社会学の泰斗(ドイツ社会学会長の任に長らくあったが、1933年にナチス政権が成立すると解任された)はこの著作において、社会は本質意志に基づいて形成されるゲマインシャフトと選択意志によって形成されるゲゼルシャフトに二分されるが、歴史の進行、産業化の過程でゲゼルシャフトが優勢になるとした。現実にドイツ社会もゲゼルシャフト(打算的な利益社会)化して、ゲマインシャフト的な生き方(今よく耳にする「絆」ということか)、共同体の伝統や習慣、調和的なあり方が断ち切られて、実利性の追求が幅を利かせるようになっていく。それからちょうど10年後の1897年、ベルリン郊外のおもに中産階級の子弟を中心にしたワンダーフォーゲル運動が発足した。化学工業はすでにドイツ帝国の成立以前から公害を撒き散らしており、重大な環境汚染源であったが、ワンダーフォーゲルはこうした公害が現実となった産業都市から脱出して、ドイツの山河を跋渉し農村や伝統的小都市の生活に触れる体験活動である。またそこから発展した青年運動は、新進芸術家達が活動するさまざまの生活コロニー運動とともに、当時の社会のゲゼルシャフト的産業社会化への抵抗、ロマン主義的なオルタナティブ文化の模索という側面が色濃い。さらに当時の学校教育に異議を唱えたリーツの田園教育舎、そこから分かれた青年運動の指導者ヴィーネケンの自由学校共同体などもこのオルタナティブの流れの中にあった。これらの動き、とりわけワンダーフォーゲルや青年運動はナショナリスティックな一面があるが、決して「反動的」なものとは言えない。エリート市民層、新興中間層、労働者階級などに分断された階層社会でもあった当時の閉塞状況にあって、そこからの脱却のためのオルタナティブの試みといえようか、ナショナルにはこういう含意があった。そして分断された社会状況に対する「民族共同体」の理念も出てくる。起業熱に浮かれるように、従来の文化や伝統を軽視するゲゼルシャフト化したドイツの現状に対するオルタナティブ的ドイツとしての「民族共同体」である。
さてゲルマニアとは古代ローマの時代、ゲルマン人の居住地の中でもローマの支配に屈せず、自由ゲルマニアと呼称された地域であるドナウ川以北、ライン川以東、ウィスラ川までのあたりを指している。『ゲルマニア』の著者タキトゥスは、彼が生きた時代のローマの退廃を嘆き、失われた昔日のローマ人の誇りと矜持の復活を念じて、この美点が「未開」の自由ゲルマニアにはなお健在であるとした。この理想化された自由ゲルマニアの理念は、19世紀末ドイツの「民族共同体」の理念にそのまま投影されることになるが、1848年の三月革命の頃からドイツ国家・ドイツ民族をあらわす、鷲の紋章を身に付け剣を手にした女神として擬人化された「ゲルマニア像」が盛んに製作され、国家間の覇権競争に打ち勝つため全ドイツが一丸となるための象徴の役割も果たすことになった。(同様にフランスでは自由の女神マリアンヌ、英国は女神ブリタニア、米国は自由の女神コロンビアとして擬人化している。)このようなドイツ帝国の風潮・雰囲気が萌芽しつつある頃、ヴィンクラーも同じ空気の中で日常を過ごしていた。それゆえゲルマニウムなのである。なおこの「民族共同体」が対外敵視、人種的優越(フェルキッシュ)なものとして狂暴化するのは第一次大戦の敗北体験と戦後混乱を経て、急速に大衆社会化が進行する過程においてであり、19世紀にあってはまだロマン主義的・空想的な色彩が強かったと言えよう。
Ⅳ
ところでルテニウム、ガリウム、フランシウム、ゲルマニウム、アメリシウムがあるなら、ニッポニウムなる元素があってもよいはずである。実はニッポニウムも元素番号43番、元素記号Npとして存在した時期があった。1908年、小川正孝博士(のち東北帝国大学総長)がこれを発見したとして発表した。しかし後にこれは自然界には存在しないものであることが判明して、長周期表から抹殺されることになってしまったのである(この幻の43番元素は1947年に米国でサイクロトロンによって作られた最初の人工元素で、古代ギリシャ語の「人工的なもの」という意味のテクネーにちなんでテクネチウムと命名された)。しかし最近の研究で、小川が発見したのは75番元素、ライン川から命名されたかのレニウムらしかったとのことである。ではニッポニウムは全く絶望的なのだろうか。実はニッポニウムが誕生する可能性も大いにあるのだ。長周期表110番以降にはウンウンクアジウム、ウンウンヘキシウム、ウンウンオクチウム、ウンウントリウム、ウンウンペンチウム、ウンウンセプチウムと続く一群がある(ウンウンとは未確認ゆえ確定できていないことを指す、つまり仮称)。これらの中で113番のウンウントリウムは米国・ロシアの共同研究チームと日本の理化学研究所(理研)がそれぞれ独自に発見したと発表し、現在確認作業が続けられている最中とのことである。理研の場合、2004年に森田浩介先任研究員のチームが1回目の実験で、毎秒2兆5千億個の亜鉛原子をビスマス原子に80日間衝突させて、陽子数113個の超重元素1個を確認したが、1万分の3秒後には軽い原子に変わってしまったという(ちなみに米ロチームのものは1,2秒存続したという)。森田チームは2005年の2回目の実験で再確認に成功し、現在3回目の挑戦が続いているとのことである。この放射線を発する元素を理研が最終確認すれば命名権は理研に与えられるので、理研関係者がどう命名するか大いに興味が湧くところである。ニッポニウムかジャポニウムか、はたまたリケニウムか、それとも全く別の名称だろうか。いずれにせよどんな名称にするかで命名者の意識が窺えよう。ノーベル賞やオリンピックのメダル獲得数にマスコミを始めとして一喜一憂している状況の中、2001年発足間もない総合科学技術会議はノーベル賞戦略(今後50年の内に30人のノーベル賞受賞者を出す)を打ち出し、小泉内閣はこれを閣議決定した(民主党政権になって、受賞者の人数を具体的に上げるのは品がないということで人数は削除した)。すかさず日本学術振興会がストックホルムでロビー活動を開始している。こうなるとニッポニウムとなる可能性は相変わらず高い。はたしてどうなるのだろうか。自然界に存在する元素が発見し尽くされた現在、研究施設などでの新元素合成競争はますます熾烈になり、命名競争も続くだろう。だが新元素の存在時間は秒単位ときわめて短く、今のところあまり実用性はないらしい。それも巨大な設備と一度の実験に莫大な費用が必要だとの話も漏れ聞こえる。それでも新元素の合成にこんなにこだわるところに、科学者の純粋な研究心以外に根深いナショナリズムも透けて見えてくる。
科学技術の国際競争といえば、ゲルマニウム発見の時代は合成新素材や新製品の開発競争の時代でもあったように、21世紀に入った今日でも競争の様相は全く変わっていない。最先端産業に欠かせない戦略物資であるレアアースやレアメタルに代わる新素材の、果ては宇宙空間までも使った開発競争を始めとして、メガソーラー・バイオマス・地熱・潮力などの再生可能エネルギーや相変わらずの原子力依存のエネルギー源の開発、クローン技術、遺伝子組み換え技術、幹細胞の実用化、薬効あるDNAを求めて暗躍するプラント・ハンター等々と挙げればきりがない。特許の問題も絡み、先端科学や先端産業をめぐる国家間の競争はむしろずっと熾烈さを増している。ゲルマニウムの時代の競争が二度にわたる世界大戦と原爆投下を招いたように、十全な配慮を欠いた科学技術開発やエネルギー源への渇望は、先の福島第1原発事故でも目の当たりにしたように、科学技術それ自体は人類に多大な恩恵をもたらす反面、重大なリスクも内包していることを白日のもとに晒すことになった。科学の盲信は極めて危険である。一つ間違えば生物の滅亡、地球の破滅と紙一重の科学技術も多いのではないか。私たちは科学上の「画期的」な発見・発明のもつ大きなリスクにもっと用心深く、臆病でなければならないのではないか。この競争へと駆り立てるものの中に、机上の計算で核廃棄物が都合よく再利用でき万事好都合といったことで、MOX燃料を使用する新型転換炉に「ふげん」(既に廃止)、高速増殖炉に「もんじゅ」(現在半停止)などと命名する思い上がりとともに、科学それ自体からは逸れた名誉欲やナショナリスティックな感情が前面に出てはいないか。そして何よりも産業界の要請が優先されてはいないか。これが科学技術それ自体の発展を歪めてしまっているのではないかと危惧している。オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の研究で2004年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏は、発光現象に純粋な好奇心から研究したのであって、これががん細胞やアルツハイマー病の細胞の特定に利用される「魔法のマーカー」として実用化されるとは、ご本人は夢想だにしなかったと語っている。また2002年11月に開かれた総合科学技術会議の席上、ノーベル賞物理学を受賞した小柴東大名誉教授は、「産業に利するところのある研究を進めることは当然だが、日本が人類共通の知的財産に付け加えることができるんだという意味で、大国としての基礎科学の応援を国家規模で考えていただきたい」と語っている。お二人の言葉を今一度嚙み締めたいものである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study473:120411〕
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