司法制度改革の大破綻
- 2012年 4月 21日
- 評論・紹介・意見
- 司法制度宇井 宙裁判員制度
総務省は昨日(4月20日)、司法試験合格者数を年3000人程度としている政府の目標が多すぎるとして、法科大学院の定数削減や統廃合の検討を含めた見直しを、法務、文部科学両省に勧告した。
政府は2002年の閣議決定で司法試験の合格者数を「10年頃に年3000人程度」とする司法制度改革推進計画を策定し、現行司法試験が始まって3年目の08年には合格者が2000人を超えたが、以後合格者数は頭打ちとなり全く増えていない。にもかかわらず、新米弁護士が急増したため、司法試験に合格しても法律事務所に就職できない弁護士、弁護士業では食っていけない弁護士が急増し、昨年司法修習を終えた弁護士志望者のうち約2割が就職難で弁護士会への登録料や会費が払えないことから、弁護士登録をしなかったという衝撃的なニュースも報じられた。
「問題だらけの法科大学院は速やかに廃止せよhttp://chikyuza.net/archives/14653」という拙文で詳しく論じたので繰り返さないが、法科大学院制度はすでに矛盾の塊と化している。このような百害あって一利もないような制度を政府は一体いつまで続けるつもりなのか?
1994年の米国の「対日年次改革要望書」をきっかけに始まった司法制度改革は、経済的・社会的規制の撤廃・緩和、市場原理の無差別的適用、大企業の税負担軽減を目指す税制・財政・社会保障“改革”、労働力の解雇・使い捨てを円滑化するための労働法制・雇用政策“改革”といった新自由主義的“改革”の総仕上げとして立案・推進されたが、それは法科大学院・新(現行)司法試験制度と裁判員制度を2本柱としており、法科大学院は2004年、新(現行)司法試験は2006年、裁判員制度は2009年からスタートした。
これら2本柱のうち、法科大学院=現行司法試験制度の破綻はすでに明白である。それではもう一方の柱である裁判員制度はどうであろうか。裁判員経験者に対しては裁判員法により、在任中のみならず退任後も無期限に、評議の経過その他職務上知り得た秘密の漏洩はもちろん、裁判内容や裁判制度に対する批判も一切禁じられている(これ自体、表現の自由の侵害である)ため、裁判員制度の問題点が明らかになりにくくなっているが、実は問題だらけなのである。私はこれまで、「裁判員裁判と死刑」(2010年 10月 27日)、「裁判員制度と良心的拒否」(2010年 10月 30日)、「裁判員裁判と少年法」(2010年 11月 26日)、「発達障害と裁判員制度」(以上、いずれも「評論・紹介・意見」掲載)といった拙文で個別的な問題点を指摘してきたが、ここで改めて、裁判員制度の問題点を整理しておきたい。
すでに専門家からは、裁判員制度の持つ憲法上の問題点として、以下のような諸点が指摘されている。
①国民に対する参加の義務付け規定は、個人の尊重と幸福追求権の保障(13条)、奴隷的拘束や苦役からの自由(18条)、思想・良心の自由(19条)、信教の自由(20条)に違反する疑いが強い。
②被告人に対する裁判員裁判の強制は、公平な裁判所の裁判を受ける権利の保障(37条)に違反する。憲法第6章「司法」に陪審や参審に関する条文がないのは、裁判はすべて裁判官だけに取り扱わせるという趣旨であるので、「裁判所において裁判を受ける権利」(32条)にも違反する。
③裁判員の加わる裁判は、裁判官の独立を定めた76条3項にも違反する。
④「裁判員として行う判断について意見を述べると懲役、罰金」(裁判員法106条2項)を定めた規定は、裁判長の訴訟指揮や裁判員制度に問題を感じたり、冤罪だと思ったとしても、裁判員がメディアに訴えることができないことを意味する。すなわち制度の問題点を明るみに出せず、公的議論が封じられるので、表現の自由(21条)にも違反する。
⑤裁判員に面会を求めたり手紙を出したり電話をかけたりするだけでも「威迫」(裁判員法107条)と言われかねず、裁判員制度を取材しようとするジャーナリストは威迫罪成立の危険に常にさらされる。報道の自由、国民の知る権利(表現の自由)(21条)に違反し、「国民に開かれた司法の実現」の看板に逆行する。
⑥裁判員は生涯にわたり評議の秘密保持義務を負わされるので、表現の自由(21条)に違反し、これまた「国民に開かれた司法の実現」の看板に逆行する。
⑦裁判員選任手続きの一律非公開や、裁判員の氏名公表の一律禁止は、公開裁判(37条)の原則にも違反する。
そもそも裁判員制度は「国民の健全な社会常識を司法に反映させる」ことを表向きの目的としていたが、そうであれば、なぜ刑事裁判、それも死刑や無期刑の可能性がある重大事件だけが対象になるのか、なぜ一審のみであるのかが全く説明できない。国民の常識を反映させるのであれば、民事事件やもっとありふれた日常的な刑事事件(窃盗、傷害、詐欺など)の方が適切であるはずで、逆に殺人のような非日常的な事件は常識では理解しがたいケースが多い。むしろ、国民の「統治主体意識」育成の名の下に国民の処罰意識を育成・強化するという政治的な狙いがあるのではないかと推測される。
また、裁判員裁判では裁判員の負担軽減のために「迅速・平易化」が大原則とされている(裁判員法51条)が、これは被告人・弁護側の防御権・弁護権を損ない、被告人の「公正な裁判を受ける権利」(憲法37条)を侵害する危険性が極めて高い。この危険性は、「精密司法から核心司法へ」というイデオロギーによって合理化された公判前整理手続によって事前に争点と証拠が絞り込まれる結果、本当の争点や必要な証拠が切り捨てられてしまう危険性が大きくなるだけでなく、弁護人の活動が事前に制限され、公判段階における弁護側の主張・立証が制限されるなど、必要な弁護活動が大幅に規制される危険性が高い。つまり、裁く側の都合ばかりが強調されて、被告人の権利や公正な裁判そのものが犠牲にされているのである。
裁判員は名前が公的には一切明らかにされず、公判記録にも判決書にも名前が載らないことから、公開裁判の原則に違反し、無責任裁判に陥る危険がある。また、先にも指摘したように、裁判員は任務終了後も厳しい守秘義務を生涯にわたって課せられるため、自分の経験や意見を具体的に第三者に語ることを禁じられ、秘密漏洩罪の恐怖に怯えなければならない。このように憲法上の根拠がない義務を強制すること自体疑問である。
このように、司法制度改革の2つの柱であった法科大学院=新司法試験制度と裁判員制度はともに重大な問題を抱えており、法科大学院=新司法試験制度に続いて裁判員制度もその矛盾が誰の目にも隠しようもなく露呈するのも時間の問題であろう。このような問題と矛盾に満ちた制度は一刻も早く廃止すべきである。
<参考文献>
小田中聰樹『裁判員制度を批判する』花伝社
高山俊吉『裁判員制度はいらない!』講談社プラスα文庫
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0872 :120421〕
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