26日、都教委糾弾ビラまき「服毒本!? を回収せよ」
- 2012年 4月 24日
- 交流の広場
- 増田都子都教委作成副読本
皆様
おはようございます。犯罪都教委&1・5悪都議と、断固、闘う増田です! これはBCCでお送りしています。重複・長文!? ご容赦を!
月末恒例ビラまきを、今月は26日(木)8:00~9:00、都庁第二庁舎前で行います。
今回は、以下のように都教委が全都立高校生に配布している・・・使用を強制している、とも言われています・・・日本史「副読本」の歴史偽造のヒドさを糾弾します。普通『教育委員会作成の副読本』と言うと、まぁ、毒にも薬にもならないものですけど、これは「服毒本」としか言いようのないものです。
産経新聞が「贖罪史観に一石」と大喜びしているので、初めて、きちんと読んでみて、これはいわゆる藤岡信勝・八木秀次らの「歴史偽造、自由主義史観」に貫かれていると分かりました。
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<都教委よ、 トンデモ 副読本・・・服毒本? を回収せよ!>
★マッカ-サー証言は、「日本の侵略戦争」を正当化しない!
都教委は、必修化した日本史の副読本として4万3千人の都立高校生に、都民の税金で『江戸から東京へ』を配布しました。この「本」の近現代史部分に数多くある「歴史偽造」は、中学生用の歴史偽造教科書である扶桑社・育鵬社も顔負けです。
一例をあげます。日本がアジア太平洋「戦争を始めた」のは、ハル=ノートによって、日本が絶対に受け入れることができない中国からの撤兵を突き付けられたからであって、日本を追い詰めたアメリカのせいである、と主張。しかも、このハル=ノートの原案は「ソ連のスパイの疑いがあ」った人物が作成したのだから「ソ連がかかわっていた」・・・つまりは、ソ連のせい!? 悪いのは、他の国だ。 つまりは、ワルガキの論理!? です。
そして、あのマッカーサー将軍が「戦後のアメリカ議会において、日本が開戦したことについて『in going to war was largely dictated by security』と証言しており、この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある。」(P125)!? つまりは「日本は侵略戦争をしたのではない」とマッカーサーが証言した、と誤導します。
この証言は1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会で、朝鮮戦争に参戦(義勇軍)した中国への対処に関する質疑の中で言及したものである、という「歴史」学習には必須の年月日さえ、この副読本は記載していません。
この証言の中心は、中国に対して経済封鎖すれば、日本を追い詰めたように有効である、という主張で、日本免罪論ではありません。この証言に続くのは「those countries which furnished raw materials for their manufacture — such countries as Malaya, Indonesia, the Philippines, and so on — they, with the advantage of preparedness and surprise, seized all those bases(マレー、インドネシア、フィリピンなど、日本での製造に必要な原料を提供する国を、日本は事前準備し奇襲の利点により握った)」ですから・・・
結局、マッカーサーは「日本は、日本の『安全上』、侵略(資源強奪)戦争をした」と証言しているのです!
こういうトンデモ「歴史偽造」の多い副読本は、都立高校生の歴史認識を誤らせる「服毒」本!? です。都教委は都立高校生と都民に謝罪し、直ぐ、回収するよう要求します!
☆社会科教員が「歴史偽造」教科書を批判するのは当然!
都教委は「歴史偽造」扶桑社教科書批判を教えたことを理由とする、
増田都子教諭(当時・千代田区立九段中学校)に対する不当免職を撤回せよ!
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ついでに(笑)、ビラには字数の関係で入れられなかったのですけど、関東大震災時の朝鮮人虐殺、南京虐殺に関する部分もご紹介します。http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/nihonshi/24textbook.pdf
P105【関東大震災の史跡を訪ねてみよう】
(横網町公園の東京都慰霊堂の写真と紹介)
「これらの周囲には『関東大震災遭難児童弔魂碑』や『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑』がある。
『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑』は大震災の混乱の中で多くの朝鮮人が虐殺されたことを悼み、1973(昭和48)年に建てられた。」のみ!?
誰が「朝鮮人犠牲者」を「虐殺」したのでしょうか? なぜ、そんな「虐殺」がおこなわれたのでしょう? その後は、どうなったのでしょうか? この事件の学習に、最も大切なことは何一つ書かれていません。
P117
【日中戦争の展開】
「日本は中国に軍を派遣し、当時の中国の首都南京をめざした。12月には南京を占領したが、このとき日本軍が中国の兵士や非戦闘員を殺害する事件が起こった(南京事件)。」
なぜ、「日本軍」は「中国の兵士や非戦闘員を殺害する事件」を「起こ」したのでしょうか?・・・『起こった』ではなく、「起こした」のです・・・その態様は、どんなものだったのでしょうか? この「南京事件」・・・「南京大虐殺事件」と書くべきところです・・・から、現代に生きる我々は、何を学ばなければならないのでしょうか? この「事件」の学習に、最も大切なことは何一つ書かれていません。
この「服毒本」の執筆者は(近現代史部分が、どの教諭の執筆かは分かりませんけど)
中家 健 都立小石川高等学校主幹教諭
高野修一 都立八王子東高等学校主幹教諭
中里裕司 都立日比谷高等学校主任教諭
河合 敦 都立白鴎高等学校主任教諭
本杉宏志 都立青山高等学校主任教諭
外山至生 都立武蔵高等学校主任教諭
柴田祥彦 都立国分寺高等学校主任教諭
監修者は
竹内 誠 東京都江戸博物館館長
高村直助 横浜市ふるさと歴史財団理事長
佐伯眞人 元文部省視学官
川瀬 徹 都立武蔵高等学校副校長
佐瀬千賀良 都立稔ケ丘高等学校副校長
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