個の尊厳と自由の精神に対立する自らの 「国家」という意識(その2)
- 2012年 5月 11日
- 評論・紹介・意見
- 個の尊厳国家大木 保自由
「個の尊厳」にまさるものなどありはしないわけで、世界金融資本にいいように食いつぶされた国家の借財などを負担するいわれはない ・・
ハイパーリラックス(副交感神経亢進)といえば、
大きなとらえかたをすれば、世界中の人たちがいつのまにか拝金主義にはまっていたのですが、
欧州のギリシャやフランスの人たちは、ようやくにして自律神経のバランスをとりもどしたように、
「自国の帳尻あわせのためにしいられる犠牲」を拒絶するという真っ当な思考をしめすようになりました。
もとより、「個の尊厳」にまさるものなどありはしないわけで、
世界金融資本支配体制にいいように食いつぶされた国家の借財などを負担するいわれはないのであって、
声高らかに 「NO! 」 をつきつけることができたことは、
世界のひとたちにとっておおきな光明となるにちがいない!
— さて今回は、前回にひきつづいて
わたしたち自身が隠しもっている厄介な腹中の虫のような「観念」についてお話してまいりましょう。
くりかえしますが、
わたしたちがそれぞれに孤独と生き難さにおしつぶされそうな、この社会を、
「互いのかけがえのない存在をみとめあう、ゆたかな精神の自由・自立の社会」にするためにかかげる<個の尊厳と自由 > とは、また
“ まちがっても 、< 国家 > に収斂していくような 『共同意識』(ナショナリズム)に、
まさに < 個 > の自由度を抑圧するような 『ナショナリズム』にひきこまれない、
「のほほんとして拒絶できる」大衆としての尊厳をしめしてゆけるよう、成熟しなければならない。 ”
という意味での< 自由 >であり< 尊厳 > のイメージでもあるわけです。
すこし過去の日本にさかのぼって、
吉本隆明氏がするどく指摘した、この共同意識のすさまじいはたらきについてあらためてみていきましょう。
— 過去に、
わたしたちの尊厳と自由な精神を封じ込めた、みずからの「帝国日本」という「国家」意識は、
狡猾な権力がさしだした「愛国」に名を借りた「敵対意識と日本ナルシズム」の高揚へと収斂されていった。・・
その日本人特有のナルシズムに裏打ちされて、大陸侵略を容易にゆるし、
それがみずからを縛る強迫的共同観念となる域まで、国民大衆がとりこまれ、
やがて、国民こぞっての戦争に立たされ、
あげくに敗戦、 帝国の破綻をむかえることとなる。・・
すなわち、
敵対・差別意識と民族の超越性という共同観念と自己観念(ナルシズム)との同化が完結したとき、
みごとに狂気をはらんで孵化した日本ナルシズムが即、日本ナショナリズムに昇華して、
現実から遠く解離したことで 「 昂揚感(陶酔)」につつまれ、
それゆえにまた、破滅から免れなかった。—
以前にも書いたように、
そもそも、 明治の日清、日露戦争後の (下関条約)、(ポーツマス条約)以来、
「侵攻して決戦勝利すれば領地や賠償金が手に入る」という「帝国主義」思想が
国をあげて国民こぞって、
「とうぜんのように身近に認知」されるようになったことが、
国家意識(共同観念)と自己意識が同化する道を貫通させたとみとめられよう。
やがて国民の知覚的な認知にまで身体化してしまった「帝国主義」観念が、のちのちまで、
日本(人)の「個のゆたかな精神性」=「ひらかれた世界観」への成熟の道をとざしつづけることになる。
結果的に、その身近になった帝国主義思想をたくみに利用した昭和の北支派遣軍の
(当時の)統帥権侵犯ともいえる戦火拡大をも 時の政府がゆるす要因となったとかんがえられる。
— すなわち、昭和のはじめ頃ごろ、
政党はつねに他党の足をひっぱることだけに専念し、
国民は経済破綻にくるしみ、議会政治を見かぎろうとしていた折、
北支事変を契機に戦火が拡大して、ついには首都南京を攻略する。
この軍部独走による一時的勝利 を、日本中が歓迎した。
「勝利」にわく 国民はこんども 「戦勝の報酬」をのぞんだが、
蒋介石国民党政府が敗北をみとめなかったために、
戦争がまだつづいてゆくことに 国民はとまどった。
「勝ったはずの戦争がなぜ終わらないのか?」
これがいままでの帝国主義の戦争ではないことを国民は理解できなかったのである。
またこのときに、社会大衆党の西尾末広などは、
国家総動員法を社会主義の模型だといって賛成した。
西尾はそれが全体主義官僚支配思想であることを積極的に肯定したのである。
(そんな人物が戦後、その名も民社党なる党派をひきいたことは笑止千万だが、
戦後のいずれの党もこの程度におのれと国民に対して不誠実で、
戦争と敗戦の思想的な意味と責任を真摯にひきうけることはけっしてなかった。)・・
このように気がつけばいつのまにか、国中が総帝国主義化をはたしていたのである。
しかし、いざ総動員体制がうごきだすと、
だれもが戦争のための艱難辛苦の強制が予期した以上のものであることを、
すなわち、「この戦争がただ事ではない」ことに気づかされる。・・
しだいに、日常生活の中では、
異常に躁症状をきたしたひとたちが愛国行動以外をゆるさないという病理を見せはじめる。
多くの国民も、帝国主義思想とその実現という夢の代償として
世界列強を敵にして、
「世界に冠たる日本民族の超越性」という
現実解離した美化のイメージを欲求せざるをえないほど
強迫的な孤立に染まったとかんがえられる。
このとき、
帝国日本の国民大衆は、(のちに吉本隆明氏が洞察したように)
個の尊厳と自由な精神をみずから封じ込めてひさしく、
もはやナルシズムとしてだけの自己観念をたよりに、
戦争指導部がかかげる必勝のための共同観念(国家意識)「日本ナショナリズム」にのみこまれていったのである。
— 一方、そのときどきの内閣は軍部官僚主導とはいえ、
周囲の野党や知識人らの分からず屋たちとは違って、 こんにち考えられているよりも自重し、
ぎりぎりの情報外交に帝国の命運をかけていたのはたしかであった。
しかし残念ながら、指導部の世界情勢認識にはつねに「希望的観測」という、
孤立意識ゆえの< 認知バイアス > がかかっていたのである。・・
世界列強への恣意的な「対立と依存」(対ソ、欧米および三国同盟)、
後進諸国への優越意識による戦局の甘い見通しを捨て切れなかった。
なにせ元が明治以来のほとんど無自覚な帝国主義観念が継続されてきたことの結果である。
それは、昭和十五年(1940年)二月二日の
第七十五議会における衆議院議員・斉藤隆夫(立憲国民党)による渾身の「反軍演説」が
すでにだれの頭にもひびかなかったことに、みてとれるのである。・・・
— くりかえして言うと、
わたしたちがもっとも自覚しておくべきは、
この、みずからの中にわきあがる「国家」というやっかいな意識(共同観念)は
強迫性をともなって、 いまだに個々の頭に根深く執拗に潜む生きもののごとき意識であることである。
戦後GHQ右派にこの国を売り渡して 戦犯免除と権力を得た元高級軍人・政治家・官僚とおなじスタンスで、
御用マスメディアがたれ流す、
「止むを得なかった帝国日本と対米隷従」の紙面でみたされているのをみるにつけ、
過去に自己意識を破綻させられたあてどない者の、
強者へのあわれな擦り寄り行動がまねいた痴呆化現象というほかあるまい。
それはままた対人恐怖不安症のように、 世界の現実からいまだに逃亡・依存したがる
「昭和の亡霊」たる戦後体制派たちの長きに過ぎた無残な姿にほかならない。
それをまたゆるしてなかば同化してきた国民の、とりかえすことのできない時間をも見つめなければなるまい。・・
— 現在でも個人のレベルにおいて、そのような共同意識の国家観念を
大なり小なり、自己意識に密着させるようにしているひとたちもいる。
それは、メディアや支配層の為にする欺瞞的な国家観とはちがって、吉本隆明氏のみるように
古代以来の純粋な共同意識が埋もれ火のように秘匿されている人の特色とみなされようか。
しかしまた、社会の生活意識から解離して自己喪失を呈した分だけ共同観念に取り込まれようとしている、
心的な危うさに立たされた人とみることもできよう。
なぜなら大衆は日常性の中では自覚的な共同意識にいたることがないからであり、
ある意味では健全に日常性そのものを生きているからである。
—
その健全性に重きをおいてみれば、
「君が代の起立斉唱の義務と罰」をうたった大阪市条例が、
「さしたる混乱もなく過ぎた」ことは、
市長や御用メディアの思惑とはちがって、
この時代に至ってようやく、国民の総体が、
「君が代」にもはや、つよい負の歴史的意味も、
また逆にナルシスティックな美化の妄想をもいだけない、という
あらたな地点に立ったといえようか。・・・
それは、「個の尊厳と自由」の方向にむかっているのだろうか。・・・・・
(ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.)
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