演劇は政治を変えられるか ―新国立劇場で『負傷者16人』を観る―
- 2012年 5月 12日
- 評論・紹介・意見
- 『負傷者16人』半澤健市演劇
《パレスチナの闘士とホロコーストのユダヤ人》
新国立劇場小劇場で2012年5月3日に『負傷者16人SIXTEEN WOUNDED』という芝居を観た。
舞台はオランダのアムステルダム。時代は「オスロ合意」前後の1990年代中頃。仲間との喧嘩で傷ついた若者を老いたパン屋が救う。頑なな若者とパン屋の心が通い合う過程で二人の正体が見えてくる。若者は闘争のパレスチナから来たムスリム(イスラム教徒)であり、独身のパン屋はホロコーストを体験したユダヤ人であった。
憎悪と不信が、話し合いのなかで次第に溶解していく。若者はパン屋の弟子になり美しい恋人も得た。人生経験と思想を異にする二人は理解し合い、父と子のような生活に入れるかにみえた。私生活が、政治と宗教を乗り越えたかにみえた。パン屋の愛人は娼婦だが彼は本気で求婚する。そこへ若者の兄が登場する。彼は弟に再び闘争への復帰を促す。
それを知ったパン屋は思いとどまるよう若者を懸命に説得する。ここの激論がハイライトである。しかしその夜、若者は身ごもった恋人を残して出て行く。
ヨーロッパの諸都市で同時多発テロが起こった。「アムステルダムでは最も被害が多く爆破犯のほか死者10人、負傷者16人」というテレビニュースのナレーション。屋外に聞こえる救急サイレンの音の中に幕が降りる。
原作者はエリアム・クライエムEliam Kraiem、父親がイスラエル人、母親がユダヤ系アメリカ人。翻訳は常田景子、演出は新国立劇場の芸術監督でもある宮田慶子。キャストは若者マフムード(井上芳雄)、その恋人ノラ(東風万智子)、パン屋ハンス(益岡徹)、その愛人ソーニャ(あめくみちこ)、若者の兄アシュラフ(粟野史浩)。
《三つの感想》
三つのことを考えた。
①政治の現実に個人の善意と友情は立ち向かえるのか
この劇では立ち向かえなかった。若者とパン屋は引き裂かれる。しかし作家はイスラエルに肩をもってはいない。イデオロギーの勝負に持ち込まない。イスラム研究者の内藤正典(同志社大教授)はこう書いている。
「ヨーロッパ社会は、ムスリムと彼らの信仰であるイスラムが暴力の源泉だと、ますます頑なに信じこんでしまった。しかし、これだけは言っておかなければならない。暴力の源泉は宗教ではない。たとえばパレスチナでの暴力を、ユダヤ教とイスラムという宗教間の衝突だというのなら、それは根本的な誤りである。イスラム帝国として600年以上にわたって中東に君臨したオスマン帝国(1299~1922)は、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、根絶やしになどしていない。帝国は、今日のイスラエルにあたる地域も支配し、ユダヤ教徒との共存を実現していた。暴力による支配を厭わなかったのが近代ヨーロッパであることに、疑問の余地はないのである」。(本公演パンフレット、以下引用は同じ)
なるほどそうかも知れない。ならば歴史は進歩していないのか。退歩しているのか。歴史の中で、かけがえのない人生が奪われているのである。
②演劇に何ができるのか
作者のクライエムはこう言っている。
「日本、ヨーロッパ、南北アメリカでは、世界を認識する見方が根本的に異なります。ですが、本作で私は根本的な共通性に訴えようとしています。『負傷者16人』では、逃走中のパレスチナの若者と、第二次世界大戦が終わって45年を経てなお身を潜めているユダヤ人を取り上げ、その文化の違いを可能な限り掘り下げてみました。ですが、やはり私の真の関心は2人の間の相違ではなく、あくまで類似性があるはずだという信念が本作を支えています」。
演出の宮田慶子は言う。
「現代戯曲の面白さは、何といっても、作家も舞台の作り手である私たちも、そして観てくださる観客の皆様も、皆がまさに同じ時代に生き、共通の情報をもち、その上で個人としての考え方知識や経験まで、すべてを巻きこみ、取り込みながら、舞台が進行することです」。
作者も演出家も演劇は無力ではないと主張している。文学にできることがあるといっている。言葉の力は物理的ではない。しかし確かに人の心を動かすことができると私は思った。それは細い一本の糸となって実世界に影響を与えるだろうと私も思った。
③惨劇が商品となり消費される
本作品の米国ブロードウェイ初演は、9/11から2年7ヶ月後の04年4月だった。それを観た青鹿宏二という演劇専門家は、「よいタイミングでなかったが、作者のヒューマニズムを強く感じた」と述べている。それから8年、日本語になった作品を快適な座席で東京の小市民が観ている。ホロコーストと中東の悲劇が消費財になっている。演劇の牙が丸くなってテレビのニュースショーのように受け止められている。
この構図は何なのか。同じ感覚を私は、井上ひさしの東京裁判三部作を観たときにも感じた。観客の会話、巨大な劇場、豪華な舞台、それと演劇の深刻さの対比がうまく納得できない。この意識は偽善的または自虐的であろうか。澱のような気分から私は離れられない。
■『負傷者16人』は新国立劇場小劇場で2012年5月20日(日)まで上演中。
詳細は新国立劇場(電話03-5352-9999)へ。
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