学問の道を歩む
- 2012年 5月 18日
- スタディルーム
- 学問論石塚正英
東大法学部教授だった三谷太一郎氏は、昔ある雑誌でこんなことを書いている。歴史研究者は想像力を触発するような史料に遭遇すると、その史料のために、いや、その史料を引用したいがために、一本の作品を構想する、と。三谷氏は、1960年代に国会図書館憲政資料室でそのような気分を味わったのだが、学問する意義とは、ある意味では、びっくりするような資料とか出来事との偶然の出会いに象徴されるように、きわめて個人的な、内面的なものに関連するのではなかろうか。
マックス・ウェーバーは、学問する意義は「自分の仕事が」「いつか時代遅れになる」こと、「学問上の『達成』はつねに新しい『問題提出』を意味する」ことに関連する、としている。この見解は、学問を社会的なものとみる立場から出てくる当然の結論ではある。しかし、学者の仕事は「事実上終りというものをもたず、またもつことのできない事柄」だとウェーバーが述べるとき、ぼくは、その「終り」という言葉に注をつけたくなる。例えば、ウェーバーの表現は、学者の仕事にはつねに先行者と後継者が存在し、その二者の間で連綿とつづく鎖上で仕事が進歩していく、と理解できる。けれども、往々にして、先行者と後継者とでは、なぜ学問するか、の動機やその目指す目的などが相違していることがある。学問上のある仕事について、第三者からは先行者から後継者へと仕事上の授受が成立しているかに見えても、実際は、先行者の仕事は、本人の内的な動機づけ・目的意識の世界では一つの区切りつまり「終り」をもっていることだってあるだろう。
ぼくは思うのだが、社会的に有意義な学問研究の中には、“社会的”以前に、その仕事に携わる学者本人にとって有意義なものが多い。事実がまずあってそこから学説なり理論なりが導かれるのか、学説や理論こそが事実をつくりだすのか、ぼくにはよくわからない。だが少なくとも、学者の仕事の意義は、三谷氏の場合、無色透明の“事実”ではなく、内的に触発される限りでの、彼の価値観と強く結びつく限りでの“事実”に大きく規定されている。三谷氏は自身の仕事について、社会的な意義とはとりあえず別個に、三谷氏なりの内面において一つの区切りをもった意義をみいだしているはずだ。それが他者に引き継がれるかどうかは、別問題なのである。 学者の仕事は、自身の個性としての内的動機づけ・目的意識に支えられているからこそ、研究分野やテーマが同じだからといって他のだれにも引き継げないのだ。ある学者の仕事が「事実上終りというものをもた」ないことと、彼の仕事が一つの区切り=「終り」をもつこととは、けっして矛盾しあわない。ウェーバーの言葉を借りて言うならば、社会的にはどうであれ内面的には、学者の仕事にも真に「達成」する可能性はあるのだ。たとえば、ぼくのフェティシズム研究のように。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study499:120518〕
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