「風景」としての東北を、人を置きざりにするフッコーを拒否せよ
- 2012年 5月 22日
- 評論・紹介・意見
- 「フッコー」原発漬け大木 保
おいしい原発漬け中毒症を治す対処法は、漬物タンクの解体にある!–
最近とみに、女性のメイクが過剰になってきたと感じるのはわたしだけでしょうか?
みなさんはそれについて、どのようにおかんがえでしょうか?
それが良いか悪いかということではなく、
この傾向は、究極の超消費社会において、
ブランド志向が行き詰まって、高揚感をうしなったこととつながっているようにおもわれます。
よく知られるように、もはや行き場のない購買衝動をなおかかえるしかない人が
無意味な買い物を止められない買い物依存症という病理をあらわすようになった時点で、
時代は、ひとびとの心的な限界をこえたことを意味しています。
したがって、このあらたな傾向は、時代の強迫性を無意識に回避するために
購買衝動から「自己の商品化」へと無意識に変化してきたととらえることもできるでしょう。
メイクアップという自己の「見てくれの高感度化」によって、
社会とのつながり(その半分程度は異性への性的すり寄りではあろうが・・)をようやく得られると、
無意識に、だが強迫的に、感じているようにおもわれる。
強迫的であるからこそ、そろっておなじように過剰なメイクに走る行動をみせているわけであろう。
この傾向がいっときの流行・ファッションとして終えるのか、あるいは
ケータイ症候群や買い物依存症とおなじく心的な病理としてなんらかの姿で完成されるのか?
すなわち、どこまでも強迫性をともなってくる超消費社会の
「次なる変容・病理」を意味するのか?
わたしたちの総体である、この時代が、執拗にそれを要求しているともいえるのではないだろうか。・・・
— さて、この国のエライ人たちの頭は、東日本大震災も福島原発崩壊も、ただこわれた「風景」として了解している。
だから風景を変えれば復興だとおもっているのだ。 すなわち
政府、自治体、利権団体、金融資本こぞっての箱物建設こそが、「みごとな復興」とよばれることになる。
まさに阪神淡路大震災のときと変わらず、またしても、フッコー景気でお盛んだそうだが。・・
被災地東北はあのときから、 「風景」としての「東北」であることを 拒否してきたというのに。
ただ目に映る景色しか了解できない者たちの、鈍く濁った視線を 拒絶せよ。
もはや 哀しみを封印した 微笑まじりの御礼の言葉が むなしいだけのことと おもいしらされたはず。
そこでは、被災されたひとたち個々が直面している「生き難さ」について思い至る思考が欠落している。
名ばかりの「被災者A 」でしかないことに、おのれの憤怒をおし殺しているものは、
みずからの存在をかけて
人を置きざりにする 「フッコー」を はげしく 拒否せよ!
「個の尊厳と自由」をないがしろにするものたちを 拒絶せよ!
— そしてこんどは悪魔の冗談のように、ひとの難儀を逆手にとって、
個々の生き難さにつけこんだ「再稼働」のプロパガンダが聞こえてきている。・・
関電の大飯原発をかかえる地域の人たちが当面の暮らしに困った末に、
再稼働をもとめるのであれば、まだ日本的な依存の発揮という点で理解できなくもないが、
(それさえ、行政が補助金を箱物に浪費せずに、たくわえておれば
いままさに生活支援を十分にできるはずなのだ。)
国策と電力独占資本による「原発漬け」にどっぷり漬かってきた地域行政は、原発ムラ維持のために
生き難さにつけこまれ、拒むに拒めない住民を人質にオタメゴカシの「サイカドー音頭」をとって恥じることがない。
「おまえたちは正気でサイカドー音頭を歌っているのか?」と、国民から呆れられるだけだ。
死んでもいいからのませろと言って、わめく中毒症患者と似た思考回路ではないか。・・・
— また、大阪市長は関電筆頭株主である権利をたてに、
原発にいまさらの物言いをつけてヒーロー気取りなのだが、
大阪市が関電統合時に大株主にすわって接待三昧のほかお手盛り監査をつらぬき、
ただ幹部の天下り先としてきたこと。
そしてなにより、現在にいたるまで
関電の原発推進に一役買ってきた大阪市の責任を問う方が先ではないのか。
国民の税と法外な電気料金で集めた巨額の資金をタネに形成された原発ムラ翼賛体制を
即刻解体することこそがもとめられているのであるが、
維新ゴッコに夢中で 「何でもいっちょ噛み」の市長さんは、
「市長の机になんや良いカードみつけたから、これでカッコいいパフォーマンスしてから、
相手しだいで落としどころをさがせばええか!」という示談好みの弁護士癖を遺憾なく発揮して幕を引くのだろう。
— かつて日本を「明るい原子力の未来」という戦略的PRの下に、原発をおしつけた米国はというと、
すでに三十年以上前から、
資本主義の胴元である格付け会社「ムーディーズ」が、 原発を投資不適格と位置づけ
原発に投資した企業の社債の格下げをおこなってきている。
その間の新規発注はゼロであったことにはおどろきさえ覚えるが、
もっともかれらは「 安全や健康」に配慮したわけではなく、
ただただ資本主義の鉄則にてらして原発がもはやコストとリスクが過大であると判定を下しただけなのだが。・・
その後ブッシュが大統領になると、とたんに原発を国策のなかに組み入れた経緯がある。
いずれの国も権力は恣意的に振舞われるものであるようだ。・・・
— 日本では、御用ちょうちんのマスメディアが、「ミスリードでもなんでもかまわない!」
広告スポンサーさまにおべっかをつかってのご奉公に熱心なことである。
国民をさげすみ消費者B としかみない、人間の「信」を捨てたものたちは
みずから心的破綻の道をゆき、やがて企業としては衰退瓦解してゆくほかはない。
このようにして 恥も外聞もなく 「人間はどのようにも生きてしまえる!」ものである。・・・
それゆえに、わたしたちはいまこそ、それぞれが
のほほんとして、 何者をもおそれず、 ひるまず、
みずからの 存在を懸けて、
「個の尊厳と自由 」 の旗を かかげ、あるいは懐にのんで、すすまなければならない。・・・
ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0894:120522〕
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