青山森人の東チモールだより 第213号(2012年5月22日)
- 2012年 5月 24日
- 評論・紹介・意見
- 東チモール青山森人
祝!東チモール民主共和国、独立10周年
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
独立10周年……訂正させてください、独立回復10周年
5月17日朝、オーストラリアABCのラジオニュース番組の中でもうすぐ新大統領に就任するタウル=マタン=ルアクさんへのインタビューが放送されました。英語による質問にタウル=マタン=ルアク次期大統領はポルトガル語で答えました。
インタビューする女性が、「今週、東チモールは独立10周年を祝いますが………」と質問の切り出し方をすると、タウル次期大統領はその質問に答えるまえに、「訂正させてください。今週、東チモールは、われわれが1975年11月28日に独立宣言をしたところの『独立回復』10周年を祝うのです」と訂正を入れたのです。
そう、この国では正確にいうと「5月20日」は独立日ではなく「独立回復の日」で、「11月28日」を「独立宣言の日」と定めているのです。毎年「5月20日」の季節になると、この二つの“独立の日”についてわたしは想いを巡らしてしまいます。今年は、タウル次期大統領の「訂正させてください」というポルトガル語によってこの想いには引き込まれてしまいました。
「独立」と「独立回復」はどう違うのか。「回復」とは「元のとおりになること」「失ったものを取りもどすこと」です。つまり「独立回復」とは「独立」が以前にあったことを意味します。その「独立」とは1975年11月28日に宣言されました(宣言した当時のフレテリン議長・シャビエル=ド=アマラルは3月6日に死去)。つまり「独立回復」の「独立」とはインドネシア軍が東チモールを全面侵略する12月以前にあったことを意味し、東チモールはインドネシアから独立したのではないことを意味します。
オーストラリアでは東チモールのニュースは頻繁に取り上げられます。そしてABC局は東チモールに「インドネシアから独立した…」という冠をほとんど条件反射的にかぶせています。日本でも、たまに「東ティモール」が取り上げられるとき、ほとんどのマスコミは「インドネシアから独立した…」と表現します。
「インドネシアから独立した東チモール」というマスコミによる表現に、「東チモールはインドネシアの一部になったことがないので、東チモールはインドネシアから独立しようがない」とわたしはこの『東チモールだより』のなかで何度も指摘してきました。東チモールがインドネシアの一部になったことは、インドネシアとオーストラリアを除いては、国際社会や国連もそして東チモールも一度たりとも認めなかったからです。「インドネシアから独立した東チモール」と尚もいうマスコミは、当時のインドネシアとオーストラリアの論理に立っていることになり、なぜその立場をとって東チモールの立場をとらないのか説明してほしいものです。
12年前のことを思い出します。わたしの下宿するビラベルデの家にタウルさんも寝泊りしていたころのこと。マスコミや国際社会が「インドネシアから独立する東チモール」という類の表現を使用いていることについてわたしが文句をいうと、「東チモールを支援してくれるなら、かれらがそう言ってもてもわたしは気にしない」といいました。不毛な論争に付き合う気はないという意味なのか、かれらに何言っても無駄だが支援はありがたくいただく、という意味なのか、わたしもそれ以上、タウルさんにこの話題をもちかけませんでした。当時、暫定国連統治によって、タウルさんら指導者たちは会議漬けにされて極度の精神的な疲労におかれている時期でした。
大統領の立場としてタウルさんは昔のように気にしないわけにはいかず、「独立10周年でなく、独立回復10周年です」と訂正することによって、インドネシアという国名を出すことなく、東チモールはインドネシアから独立したのではないと婉曲的に釘をさしたといえます。
「回復」でなく「実現」という表現ならスッキリするのに
しかしながら、わたしは「独立回復」の「回復」という表現に消化不良となるのです。独立宣言は1975年11月28日になされたことは紛れもない歴史的事実ですが、「回復」するその「独立」は果たして存在しただろうか。「独立宣言」はあったが、「独立」は24年間インドネシア軍によって妨害され、さらに国連が暫定統治する2年半待たねばならなかったのではないか。独立宣言をしたフレテリンにしてみれば自分たちに統治体制はあったと主張するかもしれませんが、実際は内部紛争と戦争状態のなかフレテリンが国を治めた実績はなかったのではないか。ならば「独立回復」という表現は無理があるのではないか。「5月20日」を「独立実現の日」と呼んでくれたらスッキリするのになぁ……この季節になるそう想ってしまうのです。
政党同士の紛争やイデオロギーの違いを乗り越えるために、シャナナ=グズマンを議長とするCNRM(マウベレ民族抵抗評議会)、のちのCNRT(チモール民族抵抗評議会)が最高機関として解放闘争を指導しました。CNRM/CNRTは、国連の立場、つまり東チモールはポルトガルの施政国であるからインドネシア軍による占領は不当であるという立場を強調し、東チモールで起こっていることはポルトガル植民地領土の国際紛争の問題でありインドネシア領土内で起こっている問題ではなく、国連決議に基づいて国際紛争を解決するよう国際社会へ訴え続けてきました。解放軍のタウル=マタン=ルアク参謀長も国連人権委員会へこの立場を主張する手紙を書いています(拙著『東チモール抵抗するは勝利なり』参照)。「独立回復」という表現は、かつてのこのCNRM/CNRTの立場と微妙にずれているような気がします。
歴史の解釈は立場によってまちまちですが、東チモールが国として「5月20日」を「独立回復の日」と定めたのなら、それはそういうこと、それで決まりです。しかし「独立回復」という表現と、政党政治を乗り越えた解放組織CNRM/CNRTの歴史とが、ピタリと重ならない違和感をわたしは覚えるのです。
タウル=マタン=ルアク新大統領が誕生、そして……
「独立回復の日」10周年記念の主賓は、なんといってもインドネシアのユドヨノ大統領の来訪です。もしユドヨノ大統領が来なかったら10周年記念の盛り上がり方は半減したといって差し支えないでしょう。沿道に並んで東チモールの子どもたちが(もちろん動員された学童たち)ユドヨノ大統領を、インドネシア国旗をふって笑顔で迎えました。ユドヨノ大統領への盛大な歓迎ぶりを比較すると、旧宗主国ポルトガルのカバコ=シルバ大統領でさえもその他大勢の来賓の一人でした。東チモールはインドネシアを最大の友好国とする意気込みに満ちていることを国の内外に示しました。東チモールはアセアン(東南アジア諸国連合)加入のためにユドヨノ大統領はなくてはならない架け橋なのです。
2012年5月20日、零時40分ごろ、10年前に独立式典の行われた同じ場所・タシトゥールに設置された大統領就任式典のための特設会場で、タウル=マタン=ルアク元ゲリラ参謀長は大統領就任の宣誓をしました。タウル=マタン=ルアク新大統領の誕生です。あいかわらずタウル大統領のそばには、護衛するマウ=カナさんがピタリとくっついています。大統領を護衛するマウ=カナさんは背広でビシリときめ、映画に登場するシークレットサービスのような存在になりました。
同日7時半ごろから9時15分ごろにかけて、今度は大統領府で「独立回復の日」10周年を記念する国旗掲揚式典が行われました。大統領宮殿の新たな主人となったタウル=マタン=ルアク大統領のすぐ右隣には、ユドヨノ大統領夫妻が座わりました。タウル新大統領はジョゼ=ラモス=オルタ前大統領より若い50歳台半ばの大統領です。新鮮に見えました。新しい時代が到来したという期待感が漂うなかでの今回の記念式典でした。タウル新大統領は、国連や各国代表を前にして感謝の意を述べつつ、まずは国内問題を重視する姿勢を示しました。
毎年この式典のお楽しみ、鼓笛隊の演奏がなかったのは残念です。その代わり今年はタシトゥール特設会場で歌や踊りの大掛かりな催し物が大勢の若者たちを集めました。
タウル=マタン=ルアク新大統領が誕生、そして……、去年10月からタウルさんの選挙参謀となっていたジョゼ=ベロ君ですが、タシトゥールの式典に出席しタウル新大統領の就任を見届け、これにて任務完了。ジャーナリストとしての活動の復活が待たれます。“祭り”は終わりました。
大統領府の元主(あるじ)・ラモス=オルタが愛車を運転して私人として静かに退場。
2012年5月20日、大統領府にて。ⒸAoyama Morito
大統領府の式典のあと、大幅に増築改造された抵抗博物館の開所式が行われた。テープカットのとき踊りを披露したお嬢さんたち。
2012年5月20日、抵抗博物館の正面建物前にて。ⒸAoyama Morito
抵抗博物館の開所式で演説する大忙しのタウル=マタン=ルアク大統領。演説に入る前にテトン語で「あとで訳を見られるようにするから、すまんがこれからポルトガル語で演説する」と会場にいる東チモール人に親しく話しかけるように断りを入れた。この式典にはカバコ=シルバ大統領夫妻がきており、博物館はポルトガルの全面的な協力のもとで生まれ変わったので、ポルトガル人をたてる必要があった。なおタウル大統領は、ポルトガル語は外国語として教えるべきだ、ポルトガルの現実ではなく東チモールの現実に合わせて教えるべきだ、とポルトガルの新聞に語った。公用語として教えられてきたポルトガル語だっただけに、ポルトガルとしては大きなニュースなのではないか。言語問題についてタウル大統領が今後どのような発言をするかにも注目していきたい。
2012年5月20日、抵抗博物館にて。ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
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