脱原発運動の現状と展望
- 2012年 6月 1日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
(1) 脱原発運動とテント
A 君が国会前で座り込みをしているという連絡という通信文を送ってくれたのは何年前だっけ。憲法改正というのはおおごとだから興味もあったが、それでも唐突な印象もあった。今回は経産省の一隅でテントを張っての闘争だが、結構長く続いているね。とりあえず様子を見に来たよ。
三上 そうだね。9月11日からだからかれこれもう260日を超えた。僕らも内心は驚いている。闘争や運動というのは予期せぬことがあるが、今の場合はよろこばしいことだね。正直にいえばいつまで持つか分からない中でやってきた。いまでもいつ政府の強制撤去がくるかわからない。穏やかに見えるけどそういう緊張は日々あるわけだよ。運動だから波は当然あるわけだけど、持久戦の様相を呈してきているから、その困難性という側面も見えてきた。この面がこれからの課題としては強くなると思う。政治的焦点、例えば再稼働問題が前面化すればテントひろばも活性化する。けれども、政治的な焦点が少しでも遠のいたように見えれば運動は拡散して行ってしまう。今は、焦点が福井県やおおい町、あるいは関西というように再稼働の焦点になっているところに移っている。それは必然だけれど、そうするとテント保持には意識的な力がいる。それにしても1、2月は寒かった。天候も今年はすっきりしないね。やはりどこかが変だという印象はあるね。
A 天候は不順だね。昔なら天変地異が起こると思われたのだろうね。でも、今年の冬は特に寒かったから友人たちも君の事を心配していたよ。
三上 それはうれしいね。テントには全国からいろいろのものが送られてきた。うれしかったね。友達のもあったよ。友達は随分と差し入れにきてくれたしね。まぁ、寒かったけれど、寒さは何とかなるものだね。こころの寒さということに比べりゃね。2月の終わりのころか、雪が降ったね。時期も含めて自然と2・26事件を連想したよ。青年将校というか、反乱軍の連中が占拠していたところとも近い場所だしね。もう何十年も前のことだけど、自然と連想した。歴史はこんな風につながっているのかと思う反面、今の若い者がどんな関心を抱くのかとかいうことも。深夜や早朝の朝の雪化粧の中で事件の光景を思いうかべると身が締まると言うか、ぐっとくるところがあったね。冬の寒い時はテントの中で夜な夜な議論が盛り上がっていた。一杯飲みながらだけども、それは愉しかった。何時間も延々と議論するなんて何年ぶりかだ。終電の間際まで続いた。
A テントを張った動機というか、それを聞きたい。
三上 一口にいうのは無理だね。中心になって面々だっていろいろの考えがあるのだろうと思うよ。僕の考えを述べて置こうか。昨年の「3・11」には原発震災も含まれていて脱原発というか反原発の運動も盛り上がった。特に高円寺で若い人たちのサウンドデモは衝撃的だったね。脱原発運動が急速に盛り上がり、運動としての裾野が広がった。一方で運動は集中点を欠いているという危機感もあってこういう運動を構想としては思っていた。以前の日比谷テント村のイメージが残っていて、ああいう可視的な意思表示の空間を作り出し行きたいと思っていた。ただこれは頭で思い浮かべていても、実際のところ可能か、どうかは半信半疑なところがあった。実際のところどれだけ持続できるかはわからなかった。ある意味では当然のことだけど。当初はそんなに深くは考えてはいなかったけれど、生産点等の社会的拠点を媒介しないで政治的な意志空間を存続させることは今までにない試みだからね。全共闘運動は大学という生産点に類似するものを媒介にしていた。日比谷のテント村は時間が限定されていたしね。このことは今後、考えて行きたいことだね。
A 今度のことでは君の反応は速かった。テントは9月の頃だけど、脱原発の運動はそれ前からやっていたね。
三上 僕は「9条改憲阻止の会」というグループで活動を続けてきた。大震災の後にこの会は福島に水や野菜等を届ける救援活動をまずやっていた。東日本緊急支援会議というのでね。僕らがボランティアみたいのことをやることに批判もあったけど、今、できるこということでそれをやった。これは組織替えなどがあったけれど、現在も存続している。存続させようとしているというところかな。他方で脱原発の運動もやっていた。重層的な展開というイメージだけどね。脱原発をめざす政治的運動ということと原発事故に対する具体的対応とが大きな枠組みだけど、これは二重のというか独自の課題としてやっていくしかない。原発事故対策は大震災からの復旧や復興と連なる面もあるけど、独自のところもある。具体的な対応が要求される、特に子供たちを被曝から守るということにおいてはね。重層的に脱原発の運動をということで両方をやっていたが、この脱原発の運動の方が発展してきてテントひろばの創設を担った。やっぱり、運動の広がりというか、裾野の拡大とともに政治的集中点の必要という意識もあった。脱原発への径路をあきらかしつつその運動の発展をということかな。この政治的集中点として再稼働阻止を提起し、そのことと関連してテントも出現したのだと思う。問題意識としては運動の裾野を広げながら、集中点をも明瞭にして行くということがある。
(2) 原発をめぐる議論から
A 原発の是非という議論はあまり聞こえてこない。推進派は今までのやり方あこぎすぎて真正面の議論なんかできない。権力を使っての隠微な既得権益の擁護だけでからつまらない。いわゆる「原子力ムラ」はあまり変わってはいない。君の通信では再稼働をやって原発保存の既成事実化を歩んでいるというのがあったね。その中で吉本隆明の提起がある。『週刊新潮』記事がある。君は吉本と親しかったわけだからね。そこら辺はどうなの。
三上 これについてはよく聞かれるね。吉本さんの見解についてはね。科学技術や文明論的観点からの核生成の解放(核エネルギー)の撤去はない。核生成の解放を制御する方法も科学技術の発展である、従って存続の中で制御の方法も講じるべきだという見解だね。防御装置を平行してつくれということでもある。防御装置というのは原子炉であったわけだが、これを平行して作れという
ことだね。これは科学技術の可能性についての一般論として展開しているのか、現実議論としてやっているのかよくわからないところがある。核エネルギーの制御技術の可能性ということも一般論なら否定は出来ない。可能性としてはね。これだけでは科学をめぐる理念的というか、原理主義的な議論になってしまう。それならば科学技術として制御技術の現在ということが問題になる。現実性だね。そこでいえば制御の方法(科学技術)は存在していない。完璧な防御装置はない。これは安全と言われた原子炉の現状をみればいいわけだが、使用済み核燃料のことを見てもいいわけだ。そうであれば核生成の解放(核エネルギー)は危険な存在ということになる。これまで核生成の解放されたものは原子炉で制御しているから安全という議論だったけど、これは幻想にすぎない。現実に対して対象的になった意識か観念的な期待意識かの境界でさまよっているのか不明瞭な意識なのだ。なぜこういうことが生まれたかは明瞭である。人間が核生成の解放をしたことは制御の方法も手に入れたことだという科学技術に対する幻想が存在した。これが幻想なのか真なることなのかは誰も実証できないことかもしれない。僕は現実を見よというほかない。今、僕らが経験していることを見よというしかないのだ。核生成の解放は制御技術もなく、安全装置もなく、核汚染という危険を抱えている。その意味では今の段階で人間の生存にとっては許されないエネルギーと言っていいわけだ。それを科学技術の可能性に託して存続の中での解決に委ねるのか、その現実性から見て撤退という考えになるかだね。この判断を科学技術論の枠組みのみでやることに僕は批判的だ。そうなると科学に対する信仰という匂いを僕は感じるからね。これはある意味で近代的な信仰で、むしろ哲学的・思想的判断が必要だと思う。その観点からは僕は後者をとるね。ドイツの知識人の判断は後者だけどあれでいいのではないか。
A 君が『リッチ』(批評社)で書いている「科学技術の可能性と現実」は読んだ。君は同じ趣旨のことを言っている。あれは噂では一部で吉本のインタビューが載り、それに君らの原稿が載るということだったけど…。
三上 そういう依頼で原稿を書いたことは確かだ。吉本さんのインタビューは聞いていた。何故か、本の発刊直前に中止になった。それが何故かを詮索する立場にないし、僕にはそのことはどうでもいい。僕があの論文で触れていた事は核エネルギーが核生成の解放の結果であること、しかも制御技術はできていないもので、現段階では「人間が使ってはいけないエネルギー」ということだ。仮説として制御技術が出来る可能性はあるかも知れないが、現実ということでそれは不可能に近いわけで出来ていないと断定していい。そうしたらそんな危険なものは続けないほうが科学的判断なのだということだ。科学的なものは後戻りできないという議論もあるけど、これも一般論としてということになる。科学的なものでも押しとどめることも、撤退することもある。核兵器が科学技術的に見て発展した技術だから、押しとどめも撤退もできないということはない。遺伝学など人間が哲学的・思想的判断で押しとどめる領域はあるわけだ。それに急いで産業化してきたことの問題も指摘した。こちらのことを議論することも重要だね。原発の存在という場合に産業化ということがあるわけで、これの成否を論じなければならない。核エネルギーを軍事面に利用したのと、経済面に利用したことがある。この後者は平和利用と呼ばれてきた。核エネルギーの産業化ということがそのことだね。
A 日本の左派の科学者というか、マルクス主義系統の科学者は核の平和利用ということにあまり異を唱えなかった。異議申し立てをした少数の人は居たにしてもね。社会主義国(ソ連や中国)の核実験や核兵器はいいというのが横行していた時代があったわけだからね。左派系統の学者は核エネルギーの平和利用に疑念を挟さまないできたということがある。
三上 原子力エネルギーの軍事利用には反対でも平和利用(産業化)は賛成という考えが支配的だった。当初からこれの危険性、いうなら放射能の危険性はある程度認知はされていた。技術的に制御できると言ってもそれが難しいこともね。でも、これらは少数派であって原発は夢のエネルギーとさえ言われた。核兵器の方は広島や長崎のことがあってその危険性は経験的にわかったが、原発の場合はチエルノブィリと福島の事故でやっとそれが経験されるということだったのだと思う。原発の場合には理念的に危険性は分かっていても、経験的に分かってはいなかったということが安全神話の流通する基盤をなしていたように思う。人間というのは経験しないことはなかなか信じないからね。いくら理念的に言っても人の中には入らないことがある。原発の危険性を訴えても伝わらない。産業化は経済成長論と結びついていたことのあるよね。この高度成長論は原子エネルギーの産業化を支えてきた社会的力だったが、この転換が意識される時代に福島第一原発の事故が起こったことは象徴的といえるね。
A 原子力エネルギーが危険な存在であることは理論的にせよ存在はした。核兵器のようにではないにしても、その認知はあったわけで、その産業化というか、それがこんなに急速に進められてきたことが問題だというわけだ。
三上 既に述べたことだが、原子力エネルギーの平和利用がそれなりに流通したのは根底にその危険の経験的認識が薄かったということがある。一部の科学者や知識人がそれに警鐘を鳴らしていたことは事実であるが、核兵器のような危険性の具体的な経験が少なかったということがある。これを利して安全神話は流され、それなりに浸透していた。原子力エネルギーの存在的矛盾の認識がなかった上に、科学的な産物だから産業化することにもそれほどの疑念はなかった。今に思えば、なんでこんな危険のものの産業化を急いだかということになるのだろうね。こんなに急いで産業化しなければ、問題は起きてはいない。そいう意味では原発の産業化の問題が問われるね。背後にはマルクス主義も含めて科学技術の産業化にはあまり疑問を持たないできた思想の歴史があるように思う
A 近代の産業革命の歴史は自然科学の産業化の歴史でもあった。自然科学的なもの発展と産業の発展は結びついていた。その批判はあまりなされてはこなかった。
三上 近代産業の発展はその制階級関係という社会制度の問題を登場させた。階級の問題は19世紀以降の緊急の思想的課題だったということがある。これは長い歴史を持っている。資本主義から社会主義へという議論だね。これに対して産業革命というか、産業経済の発展がもたらす問題はそれほど批判がされてはこなかった。産業革命の基盤になった科学技術の産業化についてもいえることだ。産業革命の根底にあった科学技術の社会化(産業化)に対する批判も含めた認識が必要なのだと思う。階級関係を絶対化することで産業革命の社会的矛盾にはあまり目がいかなかったということの反省だね。公害問題が出てきてから幾らかは意識されるようにはなったけどね。こういう批判は進歩に対する批判であるというのが常識化していた。退行なんて言葉もあまり簡単に使えない。吉本さんはよく退行という言葉を使ったけど、一方で過去に向かっての離脱とかいうことも提起していた。脱近代には超近代の方向とアジア的段階の離脱という方向が必要だと。アフリカ的段階の提起もしているわけで、もっとここはよく考えた方がいいところだ。でも、これはこれは根底的というか長い射程のある議論で、高度成長論のような議論が必要だ。
(3)核エネルギーと経済の高度成長時代の転換
A 原子力エネルギーの産業化が急がれた背景には電力というかエネルギーの問題がある。電力というエネルギーが産業も含めて社会的存在にとって重要な位置を占めていることもある。生活の構成というか、再生産にとって電力は重要になり、その電源として原子力というのは大きな役割が与えられてきた。
三上 この点につては原子力がクリーンなエネルギーだとか、コストが安いとか言われてきた。原子力神話はいろいろあるけど、原子力エネルギーの産業化は高度成長の神話と結び付いていたという事が根本にある。経済の高度成長は経済活動の拡大であり、その根底には大量生産と大量消費という構造があった。これは経済の高度成長の実質をなすものだったけれど、原子力エネルギーの産業化はそれに見合っていたのだね。高度成長をエネルギー面で象徴するところがあった。高度成長経済というのは第二次産業経済の発展であり、生産力の発展を基盤にしていた。大量生産や大量消費という生産と消費の構造が社会の高度化として理解されていたのだね。そこから、先の産業的ビジョンというか、社会のビジョンは描けなくなっている。高度成長経済が行き詰まって、それから失われた何年という停滞が続いている。ここの問題をどう考えるかは難しいというか、難所であるね。今、というか現在を考える場合の急所なのだと思う。今の政府や産業界の面々が原発問題で決断できない背景にはこれがある。
A 高度成長時代の幻想に呪縛されているというか、それは今もあるわけだけど、ここから人間はなかなか自由になれない。
三上 社会の体制や制度の問題如に関わらず人類の生産力は不足しているという考えが強く支配してきた時代があった。人類が自然との関係で強いられている窮乏状態はあるわけで、そこから脱するための生産力の発展は普遍的に必要と考えられてきた。かつては生産力理論と言われたけれど、生産力の発展は善であるという考えは人間を強く支配してきた。貧窮や窮乏からの脱出というのは大きなテーマだったからね。過剰生産というのは体制や制度と結びつけられて批判されてきたことはある。例の恐慌論と結びついた資本主義批判だね。過剰生産恐慌は資本主義という制度の問題と結び付けられていたわけで、社会的な生産そのものの過剩ということは返りみられなかった。エネルギーというのも同じでそれ自身が過剰ではないかという事は考えられてこなかった。電力不足というけど、むしろ今、電力は過剰ではないかという疑問は出されてこなかった。こっちの方をこそ問題にすべき段階にきているのだと思うよ。
A 原発についての正確な情報を政府も原子力機関も東電も出さなかった。これは意図があってのことだと思う。結果として日本の権力機関の閉鎖的、非民主的なことも暴露された。でも、脱原発までは時間がかかる。その中でどういうことを展望している。
三上 脱原発というかそれは時間がかかる。でも地震というか、それは待ったなしでやって来そうなところがある。脱原発が地震の来る前に間にあって欲しいということがある。みんなが願っていることだね。福島第一原発の事故がこの範囲で済んできたことには幸運もあるわけでもっとひどくなる可能性もある。福島第一原発事故は原発の危険性を人類史的に経験させたわけで、以前のことはともかく、このことに対象的になって欲しいと思う。原発の存在についての知識も広がったし、それはこれからも深まって行くと思う。だから、安全神話のようなことが以前のように流通することはない。原子力ムラが専門的な権威を持つこともないだろうね。原子力エネルギーが産業的にどうしても必要という議論もその実際のところが明らかになって行くと思う。これは電力需給論だが、今まで電力会社の独占体制で隠されていたことが露呈して行くと思う。国家独占資本主義と言ってもいいが、独占企業と官僚、それに政治が癒着した体制が隠していたことが出てくる。これに地域の社会権力と之結び付きがこれかが露呈してくる。脱原発運動は長期戦になるから、それを推進してきた体制、社会形態を含めて変革していくのと結び付くと思う。
(4)脱原発運動と社会性
A 原発問題を歴史の流れの中で見るとき、歴史の流れを見る主流的な視点と合わなかった。自然と人間の関係の見直しと歴史観の見直しという両方からということになるが原発問題はその契機になっている。現在の社会の転換はそういうスケールで考えられているということか。
三上 脱原発ということには科学や科学技術その産業への適用を核にした経済社会の現在の評価があり、転換はそれを踏まえている。この転換への抵抗というのはいろいろある。高度成長論はその象徴だけど、旧来の歴史観いうことかな。今の政治家たちの政治的混迷には歴史の流れをとらまえられないことがある。民主党政権の面々は、これは自民党の場合もそうだけど、原発問題に踏み込めない。その問題に入る事を回避している。結果として現状維持と言うか、既成利得権に支配されている。原発という原子力エネルギーの産業化には膨大な既得権というか、既得権益が出来あがっている。これを超えて行くに政治的・社会的ビジョンが必要であるけど、絶望的なほどそれがない。原発問題と復興問題を媒介にして日本社会の転換を進めるいい機会なのだけれどもね。腹立たしい限りだがそういうことだね。僕らは原発の推進母体として経産省や原子力ムラを明瞭にし、そのことを明らかにする戦術としてテントを経産省の一隅に立てた。今回の再稼働の動きを見ていると政府には政治的能力がなく、官僚が裏でお膳立てをしてきたシステムが分かった。その官僚は既得権益と結び付いていて原発問題での支配力がある。だが、彼らも表に出られない。
A テントを経産省前に立てたのは君がここ何年かやってきた日本の権力としての官僚批判と結び付いているのか。国会前より、霞ヶ関というのはそれを明確にしている。
三上 これには偶然の要素もある。日本の政治が国会というか立法府、そこに責任を持つ政府で動いているといよりは官僚群という構造があることは多くの指摘がある通りだね。天皇の官僚として政治的権限を振るってきた明治時代以降の伝統もあるからね。戦後はそれをうまく使ったアメリカの日本コントロールもある。日本は名目的な法治国家、名目的な民主主義国家であるけれど、実態は官僚制的民主主義国家だ。だから、国民の意思というよりは官僚の意思が優位にあるという構造がある。原発は官僚が進め政治家はハンコを押してきただけと言われるがこういう実態がよくわかるね。官僚は佐藤優じゃないが階級といっていい。これが既得権益と深く結びついているからね。原発推進の司令塔と言うか、戦略室がどこにあるかということだね。脱原発運動はこういうことを契機にしながら、日本の体制や権力構造を変えていくことを展望している。
A 原発からの撤退ということが、脱原発だけど、それと同時に日本の社会の転換を勝ち取ると言うのが君のビジョンだね。脱原発は分かりやすいが、日本社会の転換というのはイメージしにくいところもある。
三上 第二次産業経済中心の高度成長経済からの転換ということが大きなイメージなのだね。最近よく目にする成熟型社会への道でもいい。僕は産業革命以降の社会の転換を過程しつつあると思っている。その場合にここには人間と自然の関係のことを問題にするということが根底に置かれる。すごく抽象的に聞こえるかもしれないが、アフリカは未開としてヘーゲルやマルクスの歴史観からは排除されていた世界像だが、そこまで射程を延ばした近代=現在を超えて行くイメージになる。科学技術の産業化を中核にした無限の成長社会ということの転換にはこういうイメージが重要になる。原発は無限の成長社会のエネルギー面の象徴だったわけだから、その転換を象徴させることもできる。この転換は生産や消費の生活の再生産を軸にした方への構造転換ということになる。
生活の再生産という視座からの生産や消費の構造の転換ということになる。生活トか豊かさとかが何だという問いかけを持って、生産や消費の構造、いうなら産業が問われることだね。これには二つの道がある。歴史の流れというか、そこから社会のビジョン(構想)を得てくることだ。これは金融危機などの現在の社会的危機からそれを導いてもいい。情勢論的な視点を含んでもいいがそれをも超えてのことだね。地域通貨の提起などが出ていてビジョンが形成できる素材というか契機は増えている。近代というか、現在の超克という歴史的ビジョンが必要だが、この点でいえば吉本さんは贈与論とか母系社会論とかいろいろ提起していた。僕は「もう一つの世界」ということを考えているが、そのビジョンの形成を考えたい。他方で、現実の脱原発をはじめとする様々の運動からそのビジョンを作りだして行くことができる。絶えざる現実の運動からだよ。そこでは原発いらない福島の女たちの提起もふくめて生活の現場からの運動が提示するものに可能性を見ている。現実の矛盾の現れとしての運動にはいろいろのことが出てくる。この具体的運動の集合というところで現実に生起するものをつかんで行く。現実の矛盾というのは局所的、というか部分的にでてくる。社会というかそこでの僕らの存在は局所的で部分的だからね。その総和が社会というか、歴史を決めているのだから。この二つの条件から社会的ビジョンの形成に注力を注ぐしかない。この二つの契機がビジョンとして結び付かないというか、そこが難しいところだけどね。政治的主題という意味では脱原発と沖縄の自立、それに憲法を結び付けて行けばいいのだろうと思う。これらを軸にした政治的ビジョンを提示してもよかったのかな。
(5)再稼働の動きとテントの今後
A 全原発が止まっている状態がある。でも体制というか権力側は再稼働を目指している。君にとっては今、一番重要なことだろうが、そこら辺を最後に聞かしてくれないか。
三上 5月5日までの再稼働はとりあえず阻止した。夏の再稼働、夏の電力需給論で政府の側はそれを目論んでいる。5月5日の再稼働阻止の動きの中で僕らは今後につながる多くのヒントを得たと思う。これについては細かいことは省くが原発立地の自治体のある地元、隣接する地元、全国という三つをつなぐ再稼働反対の運動を一体化して行くこと、一体化といっても重層的な展開になるのだけれどそれをイメージしていくことになる。その場合のキ―は福島の現地の声ということになるのだと思う。そこでもう一つ重要なのはテントの位置と維持だね。テントは多くの人の出入りがあること、それが基本的な力であるが、運動の中心点が移動すると、テントから出掛けていくことになる。当面は福井現地での地域住民の運動の全国的な支援というか、全国的に包む形での展開になる。地元という概念は変わってきているが、それでもまだ旧来の地元というのは残っているわけでこれを全国的に包む形での展開になる。そうした中で、ということは中心点が移動する中でテントを保持して行くことにはそれなりの困難がある。
A 先ほどのところでテントが政治的意志空間として特異なものだと述べていたね。そのことと関連するのか。
三上 君もよく知っているように政治的な意志表示としての集会やデモというのがある。これに対応してゼネストというのがある。生産点などの占拠による意志表示は歴史的にはその系譜にある。でも、経産省前テントひろばはちょっと違う形態であると言える。政治的な意志空間ではあるが、生産点などの日常性に支えられての空間ではなく、政治的意志の集合なのだ。外国のオキュパイもこれと似ている。政治的な意志表示は非日常的なものだから、その集合と拡散もそういう道がある。デモや集会だってわっと集まるけど、拡散もする。ここの意識では持久は意識されるけど、場所としての持久はそれほど意識されない。持久戦的な側面が強くなる中でのテントの保持をしなければならないという時、場所の持続ということが意識されている。この問題にはテントひろばの構成と維持という問題が全部出てくることになる。イベントや政治的動きがあるときはテントも活性化し、人の出入りも自然と多くなる。意志空間としてのテントの保持もしやすい。けれども、こういう契機が拡散していくと、時間の問題もあるが、テントの場所的な保持は難しくなる。これをどう凌ぐかということがある。これはテントを作ったときは意識されていなかった(テントがそんなに長く続くとは思っていなかったから)。この場合に持久を可能にするのは何かが問われている。今、現実に意識されざるを得ない局面にある。さしあたっては問題が共通に認識されることが出発になる。9条改憲阻止の面々はテント保持によく頑張ってきたと思う。この夏を睨んだ持久戦のことに知恵を出したい。逆に言えば権力の側に試されているところがあるわけで、僕らの知恵の出しどころなのだね。(5月29日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0903:120601〕
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