朝日新聞がつまらない
- 2010年 8月 14日
- 評論・紹介・意見
- 朝日新聞海の大人神奈川新聞
もう小学生の時から、朝日新聞一本やりで50年にもなるが、一昨年4月の紙面改定以来、全く読めなくなってしまった。20年以上前から、実感としては、質が低下している印象はあったが、それでも、読売、毎日よりは、外報面、文化面で優れている印象があった。もちろん、過剰にアメリカと中華人民共和国に気を遣って、中華民国を無視したり、インドネシア情報が欠けているとか、バランスの悪さはあったが、相対的には取材対象の幅も広くスタンダード紙としての位置は確保されていたと思う。
三大紙体制の一角を占めていた毎日が凋落してからも、しばらくは朝日がスタンダードだとは思えた。しかし、朝読戦争と言われる読売との拡販競争の時代になってから、じりじりと質が低下してきた。読売は、この時代、渡辺恒男が主筆となって、確かに一時期、「オピニヨン」を志向して若干質は向上した時期があった。だが、朝日には紙面の改定は沢山あったが、記事の質の向上の時期はなかったのだ。
それを埋めるように、まず、日経が経済紙としての味を残しつつ、一般紙としての地歩を確立し、続いて産経が台湾・中国記事を梃子にアジア経済の離陸とともに面白い新聞に脱皮した。朝日はアジアへの関心で出遅れ、金融が世界を支配する時代に、とうとう、「朝日を読んでも世界金融はわからない紙面構成に改定」したのだ。社会人である私などは、朝日新聞を読んでも、「日本政治の課題」も判らないし、「日本経済の全体像」も掴めない。中学生新聞と謂う趣きなのだ。
今の朝日は、一面の記事の見出し、三本か四本を眺めるだけの新聞に為ってしまった。少し寂しい。もちろん、他の全国紙でお奨めの物があると謂うことではない。読売が、朝日以下であることは変わらない。毎日や東京は、仕込み記事と時々の特ダネだけの新聞、つまり、定期購読する新聞では無くなっている。日経は、経済紙としても諸説ごった煮の情報紙として生き残ろうとしている。日本経済の凋落と随伴する構えで、明らかに共同や時事のような、通信社のように「情報パッケージの多様化と小分け売り」に活路を求めている。産経は多分活字商売は諦めるのだろう。
これが、テレビやラジオ、インターネットを巻き込んだマスメディアの再編劇の一部である事は明らかである。しかし、人員を一番抱えているのが新聞である事、つまり、新聞を排除した情報産業の再編も有り得ない事は明らかである。高機能携帯電話、電子書籍、高機能健康管理用具の発展とともに産業企業の形はどうなるのか、今のところ不明である。さらに、著作権の設計問題がある。
著作権は今後10年で、二度の設計変更は避けられないだろう。一度目は著作権の強化として、二度目は著作権の無力化としてである。実際、中華人民共和国はそのように対外関係を組織せざるを得ない、国内的要因を抱えている。そして、現在の世界は価値論的世界ではなく、価格論的世界として、宇野弘蔵の言う「1917年革命以降の時代はすべて、現状分析の対象」であるポスト資本主義の時代と為っているのであるから、巨大国家資本主義=中共国を世界は無視できないだろう。
還暦の爺さんの生活習慣は、起きたら新聞を読むことなのだ。それが読めなくなって、苦情を天下に申し立てているのだ。目も悪くはなっているが、読めなくなったのは、新聞も悪く為ったからなのだ。
証拠として、良くなった新聞の事も挙げておきたい。沖縄の新聞が地方紙であっても優れている事は定評のあるところだが、此れは何年も前からだ。今年になって良くなった新聞、読む気が増した新聞として、神奈川新聞を挙げておきたい。二年前より、昨年の方が神奈川新聞は良くなった。しかし、質は率直に言って、昨年は地方紙だった。
しかし、今年の神奈川新聞はある意味で(当然限定付きだが)、朝日新聞より読める新聞になっている。今年は記事全般が充実している。理由は判らない。明らかに神奈川地方紙でありつつ、沖縄タイムス、長崎新聞との合同企画「安保改定50年」の刺激を受けつつ、急激に記事全体が全国紙以上の全国的目配りの利いた物になっている。恐らく、人員を増やす余力が有る筈は無いから、共同の配信を受けつつ、編集が頑張っているのだろう。それが、県内取材をする記者の気力にも反映しているのだろう。
神奈川新聞は好循環(経営の事は判らないが)、朝日新聞は悪循環と謂うのは実感だ。存在している空間は異なっても、ちきゅう座も「言論・情報の公共空間」と謂う側面は一緒、他山の石とするべきだろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion090:100814〕
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