学問の道を歩む―3―
- 2012年 6月 26日
- スタディルーム
- 学問論石塚正英
1998年7月、私は20世紀が終わる前に、どうしても出版しておきたい単行本の編集に取りかかった。それは、過去に発表してあった論文群を次の3点の著作にまとめる作業であった。「ソキエタスの方へ――政党の廃絶とアソシアシオンの展望」、「アソシアシオンのヴァイトリング」「歴史知とフェティシズム――信仰・歴史・民俗」。すべて450枚から500枚程度にまとまった。そのうち、第1の著作を社会評論社から、第2の著作を世界書院から出版することにした。第3の著作は、その時点で未だ発表前の論文が2点ほど含まれていたので、いましばらく寝かせておくことにした(のち理想社から刊行)。そのうちの第2の著作(1998年10月刊行)に記した「あとがき」を、ちきゅう座関係者に読んでほしく、以下に引用してみたい。
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あとがき
ヴァイトリングを研究し始めた時期は、全国で学生運動が盛んだった1969年のことである。当時19歳の学生だった私は、神田の古書街で自由民権運動に関する論文の載っていた雑誌『歴史評論』を購入した。たしか、家永三郎の「植木枝盛と居酒屋会議」という論文だった気がする。その雑誌に偶然、ドイツの農民革命家ゲオルグ・ビューヒナーに関する論説(伊東勉のもの)が併載されていて、それを読み出したのが、ヴァイトリング研究に入り込む直接契機になったのだった。直後から神田洋書センターに行っては関連のドイツ語文献を漁ることになるのであった。
あれから30年たった。今年で私は49歳になる。前作『社会思想の脱・構築――ヴァイトリング研究』(世界書院、1991年)を刊行したおり、その巻末に「わたしのVormärz社会思想史研究・中間報告」を書き添えた。そこでは、私のヴァイトリング研究史( 著作目録とその解説)をおおまかに跡付け、爾後の研究課題を提起してみた。そのときに提起した課題は、多少スピードを減じつつも、実現されてきた。その成果が今回の著作というところである。
それはそれとして、この30年、私は一つのテーマを追ってきたのではない。並行して少なくとも三つは研究してきている。一つはむろんヴァイトリング研究を含めたVormärz 社会思想史研究である。そのほかに、ド・ブロスのフェティシズム研究が大きい柱として存在する。これには石仏フィールド調査等比較宗教民族学的研究も付け加わる。また、現代世界史のトピックスであるアフリカ独立・建国にまつわる研究、人名に特化して括ればアミルカル・カブラルの解放思想に関する研究にのめり込んできた。ソキエタスとしてのアソシアシオン論は、私の場合、このアフリカ解放思想研究にも大きく関連している。そのほか、学生時代に始めてこんにちにまで絶えることなく継続しているマルクス研究などは、以上の3分野のすべてに関連していて、どこかに振り分けることなどできないものである。
そのような諸研究中、ヴァイトリング研究についてまとめた単著は、本書で5点目になる。ここらで、この研究は一服することにしたい。20世紀の最後を締め括る単著はこの一書になるとはかぎらないが、今後はフェティシズム研究を最優先することになろう。ヴァイトリングもマルクスも、カブラルも、これから当分はすべてフェティシズム研究に合流していくであろう。
最後になったが、出版元の世界書院には前作に引き続いてまたもや特段のご高配を頂戴することになった。梅田社主には心よりお礼を申し上げる。
1998年秋 石塚正英
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study518:120626〕
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