フランス革命後のドイツ社会思想――フォルスター・ヘルダー・フィヒテ・カント・ノヴァーリス(8)
- 2012年 6月 26日
- スタディルーム
- フランス革命ヘルダー二本柳隆
4.ヘルダーにおけるナショナルなものの基本的性格
前節で述べたように、ヘルダーの社会観をなしていた前提には、近代自然法の流れがあったものの、ホッブズやルソーの捉え方と異なって、歴史的・実在的・具体的・実証的な仕方だった。こうした捉え方は、ヘルダーにおけるナショナルなものの捉え方と密接にかかわっていたといえる。
ヘルダーは若い頃から、ナショナルなものに対し、おおいに関心を示していた。(1) そして、『異説』ではこ考えていた。すなわち、人間各自の個性を表現するのが困難で複雑であるように、ナショナルなものを見極めるためには、何よりもまず「暮らし方、習慣、必要、国土や空の特性」(2)といった自然的、生活的風土が考慮されなければならない。それゆえヘルダーの視座では、古代ギリシャ、アジア、ヨーロッパから、またヘルダーの入手した資料に基づいて近代のアフリカ、アメリカに至るまで、否、そればかりでなく、地球に生活するあらゆる民族に眼が注がれることとなった。「ヘルダーの眼は(中略)至るところ、どの時代にも国民性をみた。国民性は――かれはそれを〈国民〉あるいは〈人民〉と呼んでいるが――ヨーロッパだけでなく、アジア、アフリカ、アメリカ、海岸の島々、近代のみならず、中世においても、最も遠くへだたった古代にもあった。」(3)
まことにヘルダーの視座は遠近的でダイナミックなものであった。ヘルダーにおいて、自然的生活風土は、ナショナルなものの素地であって、さらに、その国民=民族の「体制」や「歴史」をも重んじなければならない。「諸国民の性格、これを決定するのは、その体制と歴史の事実だけである。」(4) ヘルダーにおいて、ナショナルなものは抽象的・普遍的ではなく、具体的・個別的に捉えられる。ヘルダーは言う。「人間の完全さというものは、すべて国民的、時代的であり、よく見れば個性的である。時代、風土、必要、世界、運命によってきっかけを与えられなければ、何事をも作りあげることができない。」(5) 人間の完全さというものは、ヘルダーによれば抽象的・普遍的なものではなく、国民的、時代的、個性的なものによって規定される。思うに、人間の完全さというものは、それぞれの国民、歴史、時代によって異なっているだろうから。
このような視座は『異説』以後も貫かれる。『構想』ではこう説明されている。「いずれの人類、いずれの動物も、いずれの植物でも、その固有の風土をもっている。」(6) したがって、「開化民族と非開化民族との相違は種類の上ではなくて、単に程度の問題である。民族の輝きは(中略)場所と時代において変化する」(7)と述べている。
ヘルダーのナショナルなものの捉え方に顕れている歴史的、実在的、個別的、実証的な態度は、当時のヨーロッパを支配していた思潮、啓蒙主義に対する異議の申し立てであった。アイザイア・バーリンによれば、啓蒙主義者たちは、文明は「理性的探究によって発見し得べき永久の普遍の客観的法則によって秩序立てられていると信じたが、すべての行動、状況、歴史上の時期、文明はそれぞれ固有の特性を持ち、それ故にかかる事象を均一な要素に解消したり、普遍的法則の物差しで分析叙述する試みは、その研究対象が歴史上のものにせよ自然界のものにせよ、各自の特質をなす重要な差異点を抹殺する傾きがある、とヘルダーは主張した。」(8)
ところで、ヘルダーにおけるナショナルなものの具体的、個別的なあり方をもっとも典型的に示していたのは「言語」であった。『構想』においてヘルダーは次のように主張している。「人間の理性と文化とは言語から始まる。」(9) 「ただ言語のみが人間を人間らしくする。」(10) 「われわれはすべて、ただ言語によってのみ理性を獲得し、また言語によって伝統を獲得する。」(11) 「言語によって、また言語によってのみ視察、認識、回想、占有等、思想の連鎖は可能になる。」(12) ヘルダーが言語を通して訴えたかったのは、人間の認識、思想、文化の起源が言語にあるということばかりでなく、ナショナルなものがいかに具体的で個別的なものかを示すことにあった。「一民族において名称が多いか、または実行が多いか、(中略)多くの民族は男女両性に固有な言語をもっている。他の民族においては、単に私という言語で全く階級を区別している。活動的な民族は動詞の法を多くわけている。より詩歌や文章などをつくるのにたけた民族は、抽象して向上させた事物の性質を無数に説いている。」(13) ヘルダーによれば、仮に複数の人間が同じ衣裳を身にまとっていたとしても、話す言葉によって、その人間が属している民族を理解することができる。つまり、「言語は必ず、個々の民族の言語」であり、「民族は一つの言語共同体として、実に顕著な独自の生を持っている。」(14) 換言するならば、個々の民族の言語から「各民族の詩歌はその特有な感情、本能ならびに見方に対して最もよい証拠である、その考え方の自己の歓喜される口からでた真の註釈である」(15)と捉えられていたのだ。
この際明らかにしておきたいことは、ヘルダーにおけるナショナルなものとしての言語の問題は、当のドイツに向けられていたことである。この視座の貫徹こそ、ヘルダーの社会思想にとって肝要だったと強調しておきたい。ヘルダーは述べる。「われわれはよそものの言葉を語り、それがわれわれ固有の思想からわれわれを離れさせる。」(16) フランスで「一国民がその父祖の言葉以上に貴重なものを所有しているであろうか。言葉のなかにこそ、伝承、歴史、宗教、つまり存在の諸原理を含む世界が残らず宿り、その心魂がすべて籠もっているのだ。」(17) さらに、別の著書でも、こう言われている。「わたくしはドイツの同胞に向って叫ぶ――真の民衆歌謡の残片も急速に忘却の淵にのみこまれている。(中略) 所謂、文化の夕闇が歌謡についての一切の癌のようにくいつくしつつある。」(18) また、違う著書には次のようにある。「われわれはわれわれの道を歩もう。わが国民、わが文学、わが国語について人に勝手に言わせておけ。それでもこれらのものはわれわれのもの、われわれ自身である。それで十分だ。」(19) このような意味で、「自分自身を知ること、(中略)自分たちの役割を重視すべきことをヘルダーはドイツ人たちに訴え」(20)たかったといってよい。
こうしたことを歴史的に捉えるとこなる。「政治の割拠主義をもったドイツの統一的求心力は、イギリス、フランスにみられるような権力運動でなく、権力以前としての人類文化史的起源であり、地理的近似性であり、言語であった。その中でもとくに言語は統一に働きかける強靭なしかも確実な力であった。」(21) 換言するならば、「ヘルダーの国語愛についても同じことが当篏る。ドイツ語の擁護は夙に17世紀初頭マルテイン・オーピッツによって積極的に取り上げられ、それ以来神学者、文人、哲学者の意識的の一部となっていた。(中略)宗教改革後の2世紀の間、これらの人びと(メンケ、ホルネック、モシュローシュ、ローガウ、グルフィウス――二本柳)はルッターの旗幟の下にラテン語及びフランス語に対して執拗に闘い、勝利を収めたのである。そして彼らよりも著名な人びと、プーフェンドルフ、ライプニッツ、トマシウス、ヴォルフ、ハーマン、レッシングもまた、この久しきにわたる戦闘に参加したのである。ここでもヘルダーは、当時既にドイツの伝統的態度として確立していたものを土台に活動を始めたのである。」(22) まさに、「ラテン語及びフランス語に対して執拗」に闘うことこそが、ヘルダーのナショナリズム論につながるのである。その際、ドイツのことが強くヘルダーに意識されだしたのは、革命後であったといってよい。
次節では、ヘルダーのフランス革命観とナショナリズム一般とについて触れてみよう。
註
1.前節、註9を参照。
2.Herder, Auch eine Philosophie der Geschichte zur Bildung der Menschheiit, ibid., S.502. 登張正美・小栗浩訳、99ページ。
3.J.H.Hayes, The historical Modernnationalismus, New-York, 1951, p.29.
4.Herder, Auch eine Philosophie der Geschichte zur Bildung der Menschheiit, ibid., S.503. 登張正美・小栗浩訳、100ページ。
5.Herder, ibid., S.505. 登張正美・小栗浩訳、102ページ。
6.Herder, Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit, ibid., S277.
7.Herder, ibid., S.348.
8.バーリン、小池訳、281ページ。
9.Herder, Idenn, ibid., S.141.
10.Herder, ibid., S.357.
11.Herder, ibid., S.362.
12.Herder, ibid., S.368.
13.Herder, ibid., S.364.
14.和辻哲郎「近代歴史哲学の先駆者」、『和辻哲郎全集』第6巻、岩波書店、1967年、404ページ。
15.Herder, Idenn, S.333.
16.Herder, Saemtliche Werke IV, S.389. Berlin, ibid. 小池訳、342ページ。
17.Herder, Briefe zur Befoerderung der Humanitaet, Saemtliche Werje XVII, S.58. Berlin, ibid. 小池訳、316ページ。
18.Herder, Saemtliche Werke XXV, S.11. Berlin, ibid. 小池訳、342ページ。
19.バーリン、前掲書、345ページ。ヘルダーの出典については未見。バーリンは、H・レヴーブリュル『ライプニッツ以後のドイツ』(パリ、刊行年記載なし、168-97ページ)から引用したことを断っている。同上、347ページ。
20.バーリン、同上、342ページ。
21.上山安敏、前掲書、280ページ。
22.バーリン、前掲書、291ページ。なお、本章第1節の註5をも参照。
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