百万人の官邸包囲 ―2012年6月・私の夢―
- 2012年 6月 27日
- 評論・紹介・意見
- 半澤健市民主党政権
《「政権交代」は「大政翼賛体制」の成立》
私は09年夏の「政権交代」を、二大保守政党による「保守独裁体制」の成立と考えた。戦前の「大政翼賛体制」とその本質は同じであると考えてきた。しかしTVコメンテイターから新橋街頭の酔客までが、「政権交代」に「幻想」を抱いていた。だから「政権交代」3年後の現在、永田町で繰り広げられている「準政変劇」を見て「裏切られた」と思うのである。そして悲しみと失望を感ずるのである。私は「それ見たことか」というために書くのではない。そういう私も一縷の望みを「政権交代」に期待した者の一人である。更には「茶番」に見えるこの騒動にも、ある種の民意は反映されているのである。
3年前に、私が「大政翼賛体制」の形成と考えた理由は何か。それは政党間の「対立軸」が消滅したからである。正確には「消滅したと人々が錯覚した」からである。
《三つの対立軸は80年以後を貫通》
「対立軸」は三つある。
一つは、対米従属か対米自立か。外交の基本問題である。
二つは、市場原理主義を是とするか否か。経済の基本問題である。
三つは、下からの民主主義か上からの民主主義か。政治運営の基本問題である。
三つの対立軸は私の発明ではない。期間を長くとればこの争点は戦後67年を貫通している。少なくとも1980年代後半に、東西冷戦が終息に向かい新自由主義が現実化した時期以降の、グローバルな争点であり続けている。戦後日本で権力と人々が様々な言説と実践によって対峙してきた対立軸である。しかし人々はそれを「消滅した」と錯覚しているのである。権力もそう宣伝しているのである。
《一見、そうとも見えるのだが》
事実はどうか。「日米同盟の深化」に反対する政党はほぼ皆無である。
市場原理主義は中曽根内閣に発祥し小泉・竹中路線で完成した。野田佳彦が代表する「松下政経塾」理念の核心は新自由主義である。「みんなの党」や「維新の会」はその新派であり別働隊である。
「下からの民主主義」とは人々による手作りの政治のことである。「上からの民主主義」とは、官僚が書いた青写真を国会や議会の「議決」で制度化するメカニズムである。
ところで、自分の属する自治体の議会を傍聴したことがある人は手を挙げてもらいたい。組織動員に応ずるのではなく自発的に選挙運動をやった人は手を挙げてもらいたい。そもそも自分の家族―特に子供と―と政治について論じた人は手を挙げてもらいたい。少なくとも私の手はオズオズとしか挙がらない。
《消滅どころか益々露になった》
「対立軸は消滅した」。そんなことはない。対立軸は厳然として実在している。
故障多発で「未亡人製造機」の異称をもつ米新型ヘリコプター「オスプレイ」が、沖縄に持ち込まれ、しかも本土での飛行訓練が日程に上がっている。それはなぜなのか。
消費税大増税が、なぜ「社会保障と税の一体改革」という偽名で罷り通るのか。
財界は「自己責任」こそ経済発展の根幹だという。その中核たる東電が原発事故の調査報告において、「国策だった」と言って「自己責任」を逃げまくっている。政府御用達の政府事故調にまで批判されるような報告書がなぜ罷り通るのか。
見よ。三つの対立軸は消滅したどころではない。それは益々露わになっているのだ。
それなのに「消滅」したという錯覚がなぜ起こるのか。これが我々の問題のアルファでありオメガである。
《錯覚はなぜ起こるのか》
1945年の「大日本帝国」の敗戦まで、我々の先達は自分の頭で考えなかった。主権者であり統帥権者でもあった天皇とその臣下である官僚―その典型が軍事官僚である陸海軍指導者である―に我々の先達は盲従したのであった。一面では暴力装置に屈し一面では嬉々として自発的にその部品となった。
戦後日本は「変わった」。私はそう思って戦後を生きてきた。しかし「3.11」を機にあらためて、私は戦後日本が「自分の頭で考えず」、ちっとも「変わらなかった」と強く思うようになった。
日本の戦後は、米国の核の傘によって外交の自立を忘れた。原爆への怒りは忘れられ悲しみだけを教訓とする思考が定着した。原爆投下がアジア諸国で喝采されたことを見ないようにした。原爆と原発が一つのコインであると認識できなかった。
「世界に冠たる」経済成長を達成したと錯覚した。その結果、真の福祉と平等への思考が停止した。金融資本とシカゴ学派の言説である「市場原理主義」のイデオロギーに易々と屈服した。
政治は三流でも経済と官僚が一流であれば国家経営に問題は生じないと考えた。かつてガルブレイスが穏やかに表現した「拮抗力」という対抗勢力はどこへ行ったのか。彼らは結局、体制に絡め取らたのである。組織力最大の労組は権力の一部として人々の抑圧に参画している。
《小さな希望はある、しかし》
かくして、この国の実態は「企業・政治家・官僚・軍人・報道」のネットワークに支配された国民国家となった。
「政権交代」が全くのゼロであったと考えるのは正しくない。「構造改革」が未完であり促進すべしとするグループと、「構造改革」による格差拡大を止めよとするグループがいた。その二派はいずれも民主党に投じたのである。
後者の人々の格差拡大反対のベクトル―「ウォール街を占拠せよ」と同根―が我々の小さな希望である。その希望を拡大する担い手は、戦後成長を担った私の世代ではないような気がする。遺憾の極みである。
私の世代は、今ある種の「能動的ニヒリズム」に捉えられている。それは「我が亡き後に洪水よ来たれ」、「後は野となれ山となれ」の思想である。その思考は、野田や橋下や石原の言説や行動に共感しやすい要素がある。かつての企業仲間との会話で私はそれを強く感じている。30年代にはワイマール憲法をあっという間に独裁者へ売り渡した歴史もある。
《「私の夢」は唐突であろうか》
原発再稼働・オスプレイ配備・消費増税への反対という三本の矢で結集する。一本の矢でもよい。この「ゆるやかな統一戦線」に沿って百万人が首相官邸を包囲する。
「2012年6月・私の夢」は唐突であろうか。(2012年6月26日記す)
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