小田原・真鶴「韓国併合100年」写真展&講座「韓国併合100年と日韓市民共同宣言」
- 2010年 8月 14日
- 催し物案内
- 増田都子
件名催しが以下のようにありますので、ご都合のつく方は、どうぞ、おいでください!(写真作成は「韓国併合100年市民ネットワーク」)
●小田原会場/ 8/20(金)~31(火) 小田原国際交流ラウンジ
小田原市栄町1-15-19 栄町駐車場3F
0465-24-7760
8月22日(日)14:00~ この写真展会場で
小田原近現代史講座・特別編「韓国併合100年と日韓市民共同宣言」
講師:増田都子
●真鶴会場/ 9/10(金)~12(日) 情報センター真鶴
神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴433-1
0465-68-1111
いずれも 初日:12時~ 最終日:~17時 入場無料
●「主催:パコ・ネット、共催:ピース・ボイス、撫順の奇蹟を受け継ぐ会/湘南支部」
以下、江東区で行われた写真展会場でご覧になった「韓国併合100年市民ネットワーク」会員のかたのブログから転載許可を得ましたので、一部ご紹介します。ご関心のある方は、ぜひ、URLをクリックして全文をお読みください。
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http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/3f6a71ba604d046dce8700c3ed721be8
7月18日(日)江東区立総合区民センター展示室で「韓国併合100年写真展」が開催された(主催:平和をつくる会・江東 共催:韓国併合100年市民ネットワーク)。この写真展は、京都、我孫子、高岡、渋谷など全国各地で開催されているが、なかなか日程が合わず、わたしは7月になってやっと西大島の会場で見ることができた。梅雨明け宣言が出て気温は一気に31度と真夏の気候になった。
展示されている写真は100点あまり、韓国・独立記念館や麻布の在日韓人歴史資料館提供のものが多い。1875(明治8)年の雲揚の江華島襲撃から2009年の高知県幡多地区9校の高校生たちの津賀ダム平和祈念碑除幕まで足かけ3世紀の日本の侵略と在日の生活の歴史を、写真で見ることができる。
日清戦争で、日本陸軍は王宮を武力で占領し大鳥公使が国王に清国軍を駆逐する任を日本に委託することを強要した。そして1895年には明成皇后(閔妃)を殺害し、1905年には第二次日韓協約で外交権を奪い、ついに1910年に韓国を日本の植民地にした。これに対し韓国人は抵抗し、1890年代に初期義兵闘争を蜂起し1909年安重根がハルビン駅頭で初代統監・伊藤博文を射殺した。幸徳秋水は「舎生取義 殺身成仁 安君一挙 天地皆震」(仁と義のため自分を犠牲にしたその行動は皆を励ました)という漢詩をつくった。幸徳自身もわずか2年後の1911年に大逆事件で処刑された。
写真の解説を読んでいて、いままで点だった知識が線につながった部分があった。
たとえば韓国併合の10年ほどあと、まず1919年2月8日に神田の在日朝鮮キリスト教青年会で独立宣言が発表され、ここに出席した多くの学生が韓国に戻り1か月足らずで3・1運動を始めた。そして16歳の柳寛順らが参加した。その後も間島惨変など東北部での武装闘争が続く。
大韓帝国を植民地にしてから、日本は、土地を奪い、米を奪い、労働力を奪い、朝鮮語や朝鮮の文化を奪った。米や金属類の供出、徴用の写真があった。徴兵制度実施感謝参拝という残酷な神社参拝の「強要」写真まであった。
敗戦まぢかに大本営を長野県松代に疎開させるため地下で建設工事が進んでいた話は知っていた。動員された朝鮮人は7000人、日本人の3000人より多かったことまでは知らなかった。
敗戦後も在日韓国朝鮮人の苦難は続く。死者まで出た阪神教育闘争、日立就職差別、指紋押捺拒否問題などだ。
最後は高知県幡多地区の高校生の活動である。幡多地区9校の高校生は1983年ゼミナールを設立し、韓国訪問や韓国高校生の高知訪問受け入れを行っている。2009年8月には、戦時中に朝鮮人労働者の犠牲者を出した津賀ダム平和祈念碑除幕を行った。
歴史的写真から学ぶ点も多いが、わたしはそれ以上に図版が興味深かった。たとえば「併合記念画報」(大阪新報 1910年9月28日)は真中に大きく明治天皇の肖像、その右下に李王(純宗)、左下に李太王(高宗)と三角形に配置され、右側に西郷隆盛、副島種臣、板垣退助など32人の写真、右側には伊藤博文、山縣有朋、陸奥宗光など日本人27人、朝鮮人18人の写真が並び、下には韓国の13州の地図と日韓年表が記載されている。
(中略)
韓国併合条約が調印された8月22日には豊島公会堂で日韓市民共同宣言大会が開催される。また8月27-29日に韓国でも同様の大会が開催される。
総合区民センターの外に出ると、炎天下なのに制服警官が並んでいた。街宣右翼に対する警備のようだった。最近は、反天連や朝鮮学校教科書無償除外反対のデモなどで、街宣右翼だけでなく、在特会や主権回復を目指す会の妨害活動が目立つ。排外主義一辺倒の主張を繰り返すだけでなく、ときには侵略された民族の側に立って100年の歴史を振り返ってほしいものである。
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