支配階級に根を下ろす「たかりの文化」―シリーズ: 『スペインの経済危機』の正体(その2)
- 2012年 6月 29日
- 時代をみる
- 『スペイン経済危機』童子丸開
(http://doujibar.ganriki.net/webspain/Spain-2-ruling_class.htmlより転載。)
●「国家統合の象徴」が見せる破産寸前国家の惨めな姿
スペインは立憲君主国であり国王と王家はその国の象徴である。特に歴史的に複雑な関係を持つ多民族からなるスペインにとって、国家と国民の統合の象徴として、極めて重要な位置に立つ。今年で81歳になる現国王フアン・カルロス1世は、フランコ独裁終了後の37年間、まがりなりにもそのその重責を果たしてきた。腹心のアドルフォ・スアレスと共にフランコ死後の混乱を回避させ、新憲法を成立させて「法から法へ」の劇的なスペイン国家改造を成し遂げた主人公として、本来ならば世界の歴史に輝かしく刻み込まれるべき人物である。
一般のスペイン人はフアン・カルロスに対して複雑な感情を持つ。1932年のスペイン革命で共和制がひかれたときに王家は亡命した。まだ幼かった彼は内戦後にフランコの「跡継ぎ」としてスペインに迎えられ、独裁を支えたオプス・デイ(欧州と南北米州で巨大な力を持つ経済・宗教・政治を一体化させた権力集団:映画「ダビンチコード」に出た同名の集団とは異なる)に育てられた経過は誰でも知っている。また王家(ブルボン家の一員)にしても、国王自身の愛人問題、皇太子フェリーペの隠し子問題、そして後述する娘婿の公金横領事件など、さまざまなスキャンダルにあふれており、心の底では大半の人が苦々しく感じている。特に独立意識の強いカタルーニャやバスクでは、スペインの国旗や国家と並んで、民衆からそっぽを向かれることが多い。その他の民族地域でも、スペインという国家の一体感と自国文化の誇りのために、一応は面子を立てている、というのが実態だ。
そのスペイン王家とブルボン家にとって、この2012年ほど屈辱的な年は無いだろう。
国民の多くが収入減や失業にあえぎ国家破産の足音が間近に迫る2012年4月14日、フアン・カルロスがマドリッドのサン・ホセ病院に緊急入院した。アフリカ旅行中に「事故」に遭い、股関節の骨を痛めたということだった。その直前の4月10日に、13歳になる国王の孫(長女エレナの息子)フロリアンが、自宅で猟銃をいじくっているうちに誤って発砲し、自分の足に散弾を受けて入院したばかりなのである。いくら王家でも子どもが猟銃で遊ぶなど、これはこれで国民をあきれ果てさせるような「事故」なのだが、国王自身の「事故」はそれどころではなかった。もうスペイン中の開いた口がふさがらない状態となってしまったのだ。それが、南アフリカのボツワナ共和国で象狩りをしている最中に起こったことが明らかにされたからである。
欧州やアラブ諸国の富豪を相手に野生動物の狩猟を楽しませるRann Safaris社の宣伝用に、自分が撃ち殺したアフリカ象やサイや水牛の死体の前で微笑んでいるフアン・カルロスの写真が使用される。ちなみに、1頭の像を撃ち殺すのに同社に支払う費用は3万ユーロ(約300万円)から、とされる。実を言えば国王はスペインWWF(世界自然保護基金)の名誉会長を務めており、こういった絶滅の危機に瀕する動物の狩猟など、しかも国民の苦境を知りながら、どれほど「合法的に」料金を支払ったところで、とうてい許される立場ではなかった。
王家によれば、これはあくまでも私的な行動であり公金を使用してのものではないということだが、そもそも王家を維持する費用は国庫、つまり国民の税金から出ており、表向きは年間に29万ユーロ(約2900万円)、そのうち国王の「年俸」は14万ユーロ(約1400万円)である。もちろんこれには公的な行事の費用は含まれないし、これ以上のことは分からない。4月18日付のエル・ムンド紙によれば、国王にこういった狩猟の資金を渡してボツワナに招待していたのはサウジアラビアの投資家であった。
そして4月18日に松葉杖をついて退院する際に、フアン・カルロスはテレビカメラに向かってこう言った。
「ごめんなさい。私が間違っていました。もう二度としません。(Lo siento mucho. Me he equivocado. No volverá a occurrir.)」
無表情の5秒間。まるで先生に叱られた小学生のような言葉に、1978年「新政スペイン」誕生の立役者の面影は無かった。
これがこの国家の「象徴」の姿である。どこの国の王家にも華やかなスキャンダルはつきものだが、これほどに惨めな姿を見せて国民の怒りを買い馬鹿にされた「国家の象徴」は、世界史的にも珍しいだろう。そしてこの姿が、国家破産の危機にさらされる今のスペインを象徴しているようだ。
●公金にたかる司法の長
この国王の醜態に続いて不況に苦しむ国民の激憤をひき起こしたのが、三権分立の柱の一つ、最高裁である。5月になって最高裁長官でスペイン司法委員会委員長のカルロス・ディバルの悪行が暴露された。司法委員会の内部告発だが、彼が最高裁長官となった2008年以降、32回にわたって週末を含む「出張旅行」を行い、そのたびに公金を使って高級ホテルで豪遊していたことが明らかにされたのである。
行き先の多くが欧州の富豪が集う高級保養地マルベージャ(アンダルシア州)であり、わずか数時間の「公務」にかこつけて数日間の「出張旅行」を繰り返していたのだ。告発によれば、それらの「出張」で使用された公金は、2010年9月から2011年11月までだけで約57万ユーロ(5700万円)にのぼるという。ディバルは、それはあくまで公務の間のプライベートな時間についてであり、法律的にも政治的にもモラルの面でも、何一つ不当なものではないと自己弁護した。そして司法委員会は法的には問題ないものとして、この告発を資料室行き(お蔵入り)にした。
公私混同もここまでくればお見事なものだが、立場が立場だけにそのままにするわけにもいかず、結局ディバルは「私は残虐なキャンペーンの犠牲者である」と言い残して、6月21日に辞任に追い込まれた。しかし彼のあとを継いで司法委員会の新委員長となったフェルナンド・デ・ロサは「前委員長はプライベートなことが原因で癒しがたい傷をつけられた」とディバルを弁護した。
なんともシケた話だが、同種の話はフランコ独裁の時代から常に国民の間に「噂」として定着していたことであり、彼が豪遊を繰り返したマルベージャはスペインの権力者たちとスイス銀行をつなぐ町としても有名であり続ける。元市長の故ヘスス・ヒルがマルベージャ市の公金を自分が会長を務めるサッカークラブ(アトゥレティコ・マドリッド)の経営に流用していたことがばれて逮捕されたこともあった。そんな町なのだ。
この国の権力者たちにとって「公金」つまり国民の税金とは「たかり」の対象でしかなく、そこに法も何も無い。それが昔から当たり前だっただけだ。彼らにとっては「公」は最初から「私」であり、「たかり」はあくまで権力行使の一部であり、それを否定されるなら権力を操る立場に立った意味が無いのである。
国家統合の象徴と司法権力のトップが以上の体たらくでは、後は推して知るべしだろう。ここで再び王室を根底から揺るがす公金横領事件からスタートして、スペインの地方、中央、政界、財界、宗教界を支配する者たちの「金銭感覚」を探っていくことにしたい。
●スペイン上流社会の腐敗の象徴:ノース事件
パルマ公爵イニャーキ・ウルダンガリンは国王の次女クリスティーナ王女の婿である。王女と結婚する前にはバスク出身の「平民」だったが、FCバルセロナ(通称バルサ)のハンドボールチームの花形選手だった。結婚は1997年のことだが、その後も現役の選手を続けた。2000年のシドニーオリンピックではスペイン選手団の旗手を務め、自身もハンドボール・チームのキャプテンとして銅メダルを授与された名選手だったのだ。それにしても、バスク人でかつカタルーニャの象徴バルサに所属するイニャーキを王室に取り込むという、マドリッドに常に反感を示すバスク・カタルーニャの両地域に対する政治的な意図は明らかだった。しかしその結婚が全国的な王家離れを決定的にさせる未来につながることになろうとは、結婚式場のバルセロナのカテドラルで涙を流したフアン・カルロスには、想像もつかなかっただろう。
イニャーキとクリスチーナの結婚には最初から黒い噂が飛んでいた。実はイニャーキ・ウルダンガリンにはすでに結婚式の日取りまで決まっていた婚約者がいた。そこに王家が割って入ったのである。元婚約者とその家族にどれほどの「慰謝料・口止め料」が渡されたのか知るよしも無いが、「上流階級・特権階級の一員となる」夢に浮かれたハンドボール選手の人生は、その時点から完全に狂った方向に動き始めたのである。
このバルセロナの豪邸に住む「にわか貴族」に、私腹を肥やすことに目の無い地方ボスと大小の資本家たちが群がり始めたのは言うまでも無い。王家の権威と彼自身の名声は、その薄汚い「経済活動」にとって格好の隠れ蓑になる。スポーツ、芸術、文化の振興を通して地域社会の発展に寄与するという名目で、イニャーキが代表者を務める非営利団体「ノース研究所(Instituto Nóos)」がバルセロナに作られたのは、1999年のことだった。2003年まで何の活動もしていないが、2004年に行われた「バレンシア・サミット」の組織者として華々しく登場したのである。この「サミット」は『公的機関の後援、メセナ活動への企業支援、そして社会的責任の創出と実行に関する共通の利益についての研究を行うこと』を目的としているのだが、それが具体的にどういうことだったのかは、後述するバレンシアとバレアレス(マジョルカ島をを中心とする地中海の群島)の両州で起こったことを見ればすぐに分かるだろう。
このノースには、バレアレス州政府、バレンシア州とバレンシア市から合計で約600万ユーロ(当時のレートでは10億円ほど)の出資が行われ、その他、スペイン内外の数多くの企業とスペイン各地の自治体から、総計で1400万ユーロ(当時のレートで約23億円)の資金がつぎ込まれた。もちろんだが、それぞれがこのNPOに出資した金額の何倍もの利益が上がることを知っての話である。同研究所は2005年と2006年にバレアレス諸島フォーラムを開催し、イニャーキ自身も多額の公金と賄賂で私腹を肥やす生活に浸っていくことになる。
ここで、彼の悪事が直接にばらされるきっかけとなったバレアレス州の大型汚職・公金横領「パルマ・アレナ事件」を見てみよう。この事件は、後述するバレンシア州の同種の事件「ギュルテル事件」と同じく現在公判が行われており全容は解明されていないのだが、大雑把なところだけを眺めることにする。
この事件は、自然保護地域で2004年に建設が開始された公営の総合スポーツ施設「パルマ・アレナ」を巡るもので、その建設費用は、当初は4800万ユーロの予定だったものが最終的に1億1000万ユーロにまで膨らんだ。同州議会の野党議員によってそのうち4300万ユーロがいまだに未払いつまり負債として残っていることを明らかにされたのだが、この建設で、当時同州の知事であったジャウマ・マタス(国民党)の懐に建築業者や設計業者から多額の賄賂が飛び込んだことは言うまでも無い。そしてこのスポーツ施設建設計画に果たしたウルダンガリンの役割もまた明白だろう。
この事実が明るみになったことをきっかけに、マタスを軸にした黒いカネの動きが次々と現れてきた。マタスや同州政府幹部の資金洗浄と不正蓄財を誤魔化すために様々な書類を偽造して税務当局を誤魔化したとされる。また、マリアノ・ラホイ現首相など国民党本部の幹部たちとの不正な資金のやり取りも噂されているが、その実態はつかめていない。「特権階級」とはプロの犯罪者集団であり、簡単に尻尾を出すようなまねはしないし、あらゆる手段を動員してもみ消し正当化するものだ。
しかし、何も知らずに「雲の上」の世界に飛び込んだ「素人」公爵ウルダンガリンが、愚かにも多くの証拠を残してしまったことが、黒い霧の向こうにある特権階級の有様を垣間見させてくれる。彼の「ノース事件」は、上記の「パルマ・アレナ」事件周辺の公金の動きについての捜査途中で浮かび上がってきたものだが、もちろんイニャーキ自身はおろか国王の娘であるクリスティーナにまで及ぶものである。この夫婦は少なくとも3つの幽霊会社を使って税金逃れの工作を行っていたのである。また彼はノース研究所を通しての資金以外にも多くの不法な収入を得ていたと思われるが、明らかにされていないものが多いだろう。裁判所判事は、彼がスイスの銀行に違法に送金した70万ユーロの証拠をつかんでいる。
わずかに漏れたものの一つだが、カスティーリャ・ラ・マンチャ州のある企業主から「asesoria verbal」(訳が困難だが「口利き」としておく)の見返りとして30万ユーロを受け取っていた。クリスチーナが2004年に王家から受け取ったカネはわずか(公式にはだが)7万2千ユーロでしかない。そんなはした金で「雲の上」の生活ができるわけはあるまい。彼らがマジョルカ島にある豪勢な邸宅の改造費用にバレアレス州の公金60万ユーロを使っていたことが明らかになっており、また様々な「出張」での飛行機代や豪華ホテルの宿泊費(外国を含む)も全て同様である。
マドリッドの王家が娘夫婦の派手な生活とその源泉に気付いたのは2006年になってからだった。不安を感じた王家の財政顧問がパルマ公夫妻周辺のカネの動きを調査し、ありのままに国王に報告したのである。慌てたフアン・カルロスはイニャーキにバレアレスやバレンシアの連中との縁を切るように厳しく言い渡したようだが、「金のなる木」をあさる味をしめた彼に聞く耳は無かった。王の忠告を振り切って、ブラジルでの新たな「商売」に向かったのである。
一方で、2007年の米国でのバブル崩壊をきっかけにして、スペインでも不況感が強まった。次の回で明らかにするが、スペインのバブル経済は米国以上に問題が多く、経済が一気に崩壊に向かって進み、その中で乱れた金脈が国民の指弾を浴びるだろうことは誰の目にも明らかだった。国王が娘夫婦に最大限の圧力をかけ、スペインから追い出して米国ワシントンに住まわせたのは2009年春のことである。さすがに国王は、彼らのやっていることの実態をつかんで、それがどれほどの犯罪に当たるのかを知ったのだろう。彼が最も恐れていたことはこの不正が王家を崩壊に追いやることである。
当時その内幕を知らされていなかった国民は、王族がいきなり外国に引っ越したことに驚いたが、今になってみれば全てが明らかなことである。ワシントンで彼らは、ノース研究所への資金提供者の一つである通信企業テレフォニカの「顧問」として収入を得ている。現在、彼らは王室の公的行事へは参加できないままである。それにしても、2011年冬に「パルマ・アレナ事件」に付随してウルダンガリンの悪事が表ざたになるまで、王家もまた、醜聞を内々にもみ消す工作を行っていたのだ。これ自体が許しがたいことであり、さらにその国王自身が前述の「象狩り事件」で国民の厳しい指弾を受けているのである。(なお、事件追究のパルマ地方裁判所はクリスティーナの責任を問わないという発表をしている。)
この国の支配階級の悪徳ぶりは今に始まったことではなく、千数百年間の歴史の中で一貫しているものである。体制が王国であろうが、共和制であろうか、独裁制であろうが、民主制であろうが、「雲の上」の連中の性質と行動が変わることはない。たまたまその中に運よく(悪く?)入り込んでしまった愚かな元スポーツ選手のおかげで、我々はそのわずかな一端を具体的に知ることになったのだ。
●バブルに群がったバレンシアと国民党の悪党ども
「ギュルテル事件」は2009年に当時の全国管区裁判所判事バルタサル・ガルソンによって立件された大型汚職・公金横領事件である。バレンシアを舞台として地方と中央の大部分の国民党幹部が関わるとされるこの事件も、まだ係争中であり、全容が明らかにされるには程遠い状態である。そのガルソンは2010年5月に、その強引な捜査方法とともにフランコ独裁時代の反体制派殺害の捜査があだになり、司法評議会によって判事の資格を停止されてしまった。これによって、政界中央に捜査の手が及ぶことは困難になっただろう。
この事件は全国管区裁判所によって引き続き公判が行われているが、その中心にいたとされるのはフランシスコ・コレアという(元)実業家である。その人脈・金脈は、ホセ・マリア・アスナール元首相とその娘婿でオプス・デイの重要人物アレハンドロ・アガッグ、現首相のマリアノ・ラホイ、マドリッド州知事エスペランサ・アギレ、元バレンシア州知事フランシスコ・カンプス、バレンシア市長リタ・バルベラーなど、国民党の大立者のほとんどにまで及んでいる。当然だが、この裁判と追及に対しては、国民党に近い筋の司法界、経済界、言論界からの猛烈な反撃が行われている。
ガルソンによれば、事件の中心となる出来事はバブル景気に浮かれる2003年から2008年までに起こった出来事であり、このシリーズの第3回目で描く予定だが、バレンシア州での建設ブームの狂乱とも深い関係を持っているといえる。しかしこの事件に絡む人脈と金脈は極めて大掛かりで複雑である。
コレアは地方や中央で国民党の有力政治家と非常に深い関係を持つ多数の会社を経営し、公的資金を湯水のようにつぎ込んで行われた多くのイベントや開発計画に関わってきた。事件が明るみになったのは、スペシャルイベント社が中心になって、マドリッド州で行われた大掛かりな汚職(賄賂によって特定業者に公的事業を任せ脱税や資金洗浄を行っていた疑い)の追及が発端である。この会社は1996~1999年の第1次アスナール(国民党)政権時代にガリシア州の国民党の政治家パブロ・クレスポ(逮捕済み)によって作られたが、実際にはコレアが主要に経営しており、マドリッドのほか、バレンシアやアンダルシアをその活動拠点としていた。
そして、クレスポの経営する旅行会社パサデナ・ビアッヘスSL、バレンシアやマドリッドの国民党有力政治家が深く関係するオレンジマーケット社などを舞台として、多数の違法な金品のやり取りと汚職がくりかえされたとされる。そしてそこに必ず絡んでいるのがコレアである。しかしいまだ公判中のことでもあり、それらの詳細はまだ明確にはなっていない。その人物と事柄の相関関係の複雑さだけでもうんざりするほどである。
ただ、先ほどのノース事件と同じように、この国の上層部を覆う黒い霧の中をうかがい知ることができる具体例をいくつかあげることができそうだ。そもそもイニャーキ・ウルダンガリンのノース研究所に350万ユーロ以上もの公金を「出資」したのはバレンシアの州政府と市当局であり、ノースが2004年にバレンシア・サミットの旗振り役を務めたのである。州知事のフランシスコ・カンプスと市長のリタ・バルベラーが、『公的機関の後援、メセナ活動への企業支援、そして社会的責任の創出と実行に関する共通の利益』に絡んでいないと考える方が不自然だろう。
イベントとは言っても、数億~数十億円単位でカネが動く巨大な「事業」であり、さらにそのための施設を用意するという名目で、大量の土木工事と建築工事の発注ができる。巨額の公金と銀行からの借入金が飛び交う一大産業なのだ。そのイベント産業にスペインの支配構造を根底から作っているカトリック教会が関与してくるのは目に見えている。
2012年2月に全国管区裁判所判事は、このギュルテル事件に絡む13人の者たちが、2006年のローマ教皇ベネディクト16世バレンシア訪問時に起こった大量の公金流用にも関与していたことを明らかにした。この教皇訪問は第5回「家族世界大会」によるものだが、この「世界大会」はヨハネ・パウロ2世のときに作られたカトリック教会の行事で、オプス・デイによって強力に支えられている。1994年以来今年まで、欧州と米大陸で7回の「世界大会」が開かれているのだが、この2006年のバレンシア大会で過剰に多額の公金が「訪問準備」や「警備」、「テレビ中継」などに使用されたことが指摘されている。たとえば、バレンシア公営ラジオテレビ局RTVVは、様々に銘打った領収書が残されるものだけで約1500万ユーロ(当時のレートで約20億円以上)をその中継に使ったが、たどっていくとその半分ほどが「使途不明」である。
全国紙プブリカが2011年5月に明らかにしたところでは、例のフランシスコ・コレアが建設会社テコンサを通して、教皇を迎える費用(公金)の中から135万ユーロをくすね取り、イビサ島にある自分の別荘の費用として使用した。テコンサ社はバレンシアの街頭にテレビ中継を映し出す大型スクリーンやスピーカーなどを設置する費用として、740万ユーロ(当時のレートで約10億円)もの法外な収入を得ていたのである。しかし、この教皇訪問時に公金から消えた費用の多くの部分は行き先は明らかにされていないし、バチカンにどれほどの「献金」があったのかも不明である。
またアスナール政権時代にバレンシアで数多くの建造物が、役に立つか立たないかはともかくとして、計画され建築された。このギュルテル事件とは直接の関係は無いのだが、その中の最も悪名高いものの一つとして、バレンシア市の海辺に建てられた「芸術科学都市」がある。このとうてい採算の取りようもない壮大な建築物には1億ユーロをはるかに超える費用がかかったとされているのだが、その設計を担当した建築家のサンティアゴ・カラトラバ個人のために、何と9400万ユーロもの公金が消費されたのである。カラトラバは、この「科学芸術都市」が計画された1991年から2009年までの長きにわたって、旅行の費用から食事代、コピー代まで公金の使い放題を許されていたのだ。これもまたこの国の体質をよく現している。なお、カラトラバはスイスにその拠点を置き、チューリッヒのほかにバレンシアとニューヨークに事務所を持つ。
バブル時期にバレンシアで作られた道路から飛行場までの、無用としか言いようの無い建造物については次回に詳しく説明するが、アスナールが準備したバブルの狂演に踊った悪党どもの罪業の遺跡として、末永く記念されるものばかりだろう。
●金融危機を利用して金をつかみ取りする銀行幹部
2007年の不況開始以来、バブル崩壊で大量の不良債権を抱えたスペイン中の中小銀行や貯蓄銀行(cajaカハ、地方によってはcaixaカシャ、カイシャ)が、100億ユーロ(約1兆円)規模の公金注入で倒産を免れ、そのほとんどが合併して新しい金融機関に変わっていった。要は事実上の破産なのだが、その際に、それらの金融機関の元重役たちが「退職金」としてつかめるだけの大金をつかみ取りにして去って行った。それが国の資金(つまり国民の税金)で穴埋めされることを見込んでの話である。その典型的な例がカハ・メディタラネオとノバカイシャガリシアなのだが、この様子を少し見てみよう。
カハ・メディタラネオは例のバレンシアに本店のある貯蓄銀行だが、前述したバレンシア州知事フランシスコ・カンプスもこの経営に深く関わる。何せ、2011年7月に約25億ユーロの国金が注入されるその2日前に、この銀行はバレンシア州政府の手形20億ユーロ分も購入したのだ。それがバブル経済の後始末で巨大な規模の負債を抱えるバレンシア州の金庫に消えたことは言うまでもあるまい。そして国金注入の寸前に、代表のモデスト・クレスポ、会長のロペス・アバッドら5人の幹部が計1280万ユーロ(約13億円)の「退職金」をつかんで辞任した。そしてアバッドの後継者となったマリア・ドローレス・アモロスもまた、2012年に国有化される前に、退職後の年額37万ユーロの終身年金を確保したのだ。しかもアモロスはその以前に1千万ユーロを退職金として要求していたのだ。
ノバカイシャガリシアは2010年に経営不振に苦しむカイシャガリシアとカイシャノバの合併によって作られたのだが、これは12億ユーロもの国庫借り入れによって実現したものだった。その際にもカイシャガリシアのホセ・ルイス・メンデスが、退職金と年金合わせて1120万ユーロ(約12億円)をせしめた。こうして生まれたノバカイシャガリシアでも、2011年に4人の幹部が合計で2360万ユーロ(約24億円)の退職金を懐に納めて去っていったのである。最高は前会長のホセ・ルイス・パゴで、54歳の若さで1080万ユーロを手に入れた。重役の一人ハビエル・ガルシア・パレデスも1千万ユーロを請求していたが、いくらなんでも多すぎるという銀行の判断で530万ユーロに削られたという。合併相手の一方であるカイシャノバの幹部にしても、当時の会長フリオ・フェルナンデス・ガヤソを初めとして、法外な「退職金・年金」を懐に入れたのはもちろんである。この連中の頭の中には「会社の金」とか「預金者の金」などといった概念は存在しない。「自分が手に入れる金」だけが全てなのだ。
2012年5月にスペイン国家破産の開始を告げる破産・国有化で一躍世界的に有名になったバンキア銀行については、このシリーズの後半で詳しくの別予定だが、この銀行は、バブル経済の結果である不良債権を大量に抱えた7つの貯蓄銀行の合併で作られたものである。その中心になったのは当時ロドリゴ・ラト(元アスナール政権閣僚、元IMF会長)が頭取を務めていたカハマドリッドと、例によってバレンシアに本拠地を持つバンカハだった。そしてその合併の際に、先ほどのノバカイシャガリシアと同様、バンカハの幹部アウレリオ・イスキエルドが630万ユーロの退職金を手にしていたのである。さらに、2011年11月に多額の負債を抱えて破産状態となったバレンシア銀行では、スペイン中央銀行の介入を受けた際に、10人の重役が284万ユーロを手に入れて去っていった。
こういった銀行家のあくどさとあつかましさに比べれば、前述のイニャーキ・ウルダンガリンの悪事など、幼児の戯れようなものだろう。ついでにだが、マドリッドの証券取引所IBEXでは、幹部クラスの役員の年収は2000万ユーロを上回るという。
●不況と腐敗の中で急激に拡大する貧富の差
こういった「たかり」としか言いようのない収入つかみ取りは、今までに述べた分野ばかりではなく、放漫経営と虚偽申告の果てに膨大な数の従業員を失業者にしたマルサンス・グループやヌエバ・ルマサのような一般企業から、国民党の地方政治家、ホセ・マリア・アスナールやフェリペ・ゴンサレスといった元大物政治家、果ては一般公務員から労組幹部にまで及ぶが、そのいちいちまで書くわけにもいかない。俗に言う「不景気」こそ、特権を手にする一部の者たちにとっては「好景気」に違いあるまい。世界的に見ると中国やブラジルやインドなど、いわゆるBRICS諸国で大富豪が増えていることはまだ理解できる。しかし財政赤字で大規模な緊縮財政を行おうとしているスペインのような国で、不況が開始した2007年から2009年までの間に、100万ドル以上の資産を持つ者の数が12.5%も増え143000人となっているのである。
一方で、慈善団体カリタスの調べによると、スペイン人の22%に当たる1150万人が貧困の危機にあえいでいる。下位20%の低所得者の平均収入は2009年に年間8000ユーロ(約80万円)だったものが、2010年になると7800ユーロにまで落ちた。さらに、エル・パイス紙によれば、上位20%の高所得者と下位20%の低所得者の収入の比は、2007年に5.3倍だったものが2010年には6.9倍に拡大している。これはEU諸国の中でも最大の変化である。いま、3分の1の家庭が月末になるとほとんど生活が成り立たなくなる。何せ失業率が22%(若年層では52%)に達しているのだ。
現在スペイン中央政府と地方政府は、公共料金を値上げし、公的分野のサービスを切り捨て、保険医療の医薬品により多くの金を払わせたうえで、消費税率を引き揚げて食料品にまで税金をかけようとしている。こうして、わずかの上流支配層の懐をますます肥え太らせながら、人口の大多数の貧乏人からカネを巻き上げる。
もちろんこれは米国から日本、中国からインドに至るまで、世界中で共通のことだろうが、スペインでは今までに述べたような露骨な「たかり行為」が上流支配階級にとって一つの「伝統文化」になっている。彼らは、たとえば以前の産業革命だとか、今日のイノベーションだとかいった、元手と手間ひまのかかる作業には何の興味も示さない。かつて植民地から好き放題に富を吸い上げたように、ひたすら最もたかりやすいところにたかるのである。
しかしスペインの支配階級の中では、ここで述べた銀行家を代表とする資本家などせいぜいが200年、スペイン・ブルボン王家にしても300年程度の歴史しか持っていない。数百年の年季を経た貴族どもにとってはドタバタ喜劇を演じるひよっこに過ぎないのだ。アンダルシアの大地主で15世紀のレコンキスタ以来の伝統を持つアルバ公爵家など、そんな騒動とは無関係な世界に住む。EUの農業調整のカネは黙っていても公爵家の金庫に滑り込む。最初からそんな仕組みになっている。目もくらむような欧州の階級社会は制度化された「たかりの文化」である。そうとしか言いようが無い。
その歴史的な基盤のうえで、新興の支配階級が「たかりの文化」の主要な担い手となる。それはこのイベリア半島の社会にしっかりと根を下ろしている。たまには前述の「にわか貴族」イニャーキ・ウルダンガリンのようにまともにボロを出すこともあるが、この「文化の厚み」は我々下々の者が想像するレベルをはるかに超えている。社会の表面をさすって言葉で飾ったに過ぎない「民主主義」など、この「文化」にとって何の敵でもない。
しかし、今の国家破産の危機がスペインの本当の姿を表にさらし出したといえるだろう。根本の改革を不問に付して、スペイン政府とEUが慌てふためいて手を打つたびに、株価は下がりスペイン国債の長期金利は上がっていく。現実的な市場はこの国の本質を見抜いているのだろう。
続く「『スペインの経済危機』の正体(その3)」では、欧州経済危機の最大の元凶であるスペインのバブル経済とその結果について、ご説明したい。
(2012年6月 バルセロナにて 童子丸開)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1980:120629〕
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