日本のグローバル派が、(効率信仰で)国民を棄てる!
- 2012年 7月 7日
- 評論・紹介・意見
- グローバル思考大木 保
「 人形浄瑠璃も文楽も わからんもんは、大阪から出て行けー!」
– – さて今回は、わたしたちにあまり関係なさそうにみえる、
けれども世界中のひとびとの「個の尊厳」が蔑(ないがしろ)にされている
「世界グローバル思考」について少しばかりふれておきたいとおもいます。
「自由、平等、公正」そして「小さな政府、民営化、民主主義」 という
おいしそうに聞こえるキーワードを並べて、
いかにも為にする正義であるかのようなイメージをふりまいてきた
レーガンやサッチャー以来の「世界グローバル思考」について、
またそれをいまでも信奉するひとたちについてお話したいとおもいます。-
そのまえに、みなさんにも関わってくる気になることをすこしだけお話させてください。・・
– – 最近唐突に、元オウム教団のメンバーがつづけて逮捕されるということがありましたが、
この見せしめのような逮捕劇が、
どうか国中を監視カメラでカバーするためのPR劇ではないことを祈りたいものです。
まさかとおもうが最近の、米国政権がテロを口実に敷きつめた、
いつでも「自由に」、国民を「逮捕監禁し放題」の国民監視警察国家体制を
見習おうとしているのではないだろう。・・・?
( それにしても自由と民主主義を謳ったはずの米国の、異常ぶり、
狂った専制支配パラダイムシフトは、どうしたことか!)
しかし逮捕にいたるフレームアップの周到さと、摘発の契機のリークの懐疑性からみて、
まず長年権力に泳がされていたとおもわれる逮捕劇ですが、
当の「逃亡」犯たちが費やした逃亡生活の時間が、すでに権力の手の中にあったことは、
やはり残酷で、虚しく、哀れでさえある。 ・・・ それにしてもである。
オウム教団のサリン・テロ自体がまともな意味・理由・目的を有していない不可解な病理的事件であったがゆえに、
なおさら、亡くなられた方たちにとってはこの上なく不条理で、ただもうお気の毒でならない。・・
– – さてさてそれで、小泉政権いらい現政権まで、日本の中枢にもはびこるウイルスのような「グローバル思考」についてです。
そう、たしかドジョウの「命を賭した」あの方の増税の話も、
どなたに頼まれたのか、その一端を担っているつもりにはちがいない。
「 たとえ今以上に深刻な不況で失業者があふれても、命がけで
そいつらから取りあげた税金で赤字の帳面をとりつくろうのだ!」 という思考は
バカバカしいくらい異常で、狂気とさえおもえる解離と論理破綻をみせています。
それは国民ではない誰のために、何のために、ということが故意に欠落されているようにおもえてならない。・・
もとより、とうにどん詰まりにさしかかった欧米先進資本主義が、
いかにレーガン、サッチャーの時代にグローバル自由経済を唱え実行したところで、
それは資本主義の起死回生になるどころか
故意に国民を犠牲にしたうえでの、「独占資本と国庫だけの起死回生策」にすぎなかったように、
現在のグローバル・ユーロ・ギリシャやスペインがこの先、我がドジョウ首相と競うように
あえてさらに深刻な失業社会を誘発することで「国家を立て直す」(大前研一は創造的破壊といった!)
グローバルIMF路線を踏襲するとき、
自営業者はトドメをさされ、格差社会の極大化が起きるのは自明のことといえるでしょう。
すなわち、「民 棄てられて、国家 あり」 という情況がこの世界をおおいつくすことになる。
さらに、ユーロ世界が破綻をみせ、もはや回復不能と指摘されるような事態の中でも、
その破綻国からせっせと投資資金を回収(収奪?)して、ほくそ笑んでいるグローバル金融資本がいる。
これは、生活保護を斡旋してまきあげるどこかのしたたかなヤカラとやり口がいっしょではないか。
さらに近年になり、ドル余剰に乗じて、
グローバル金融資本はついに実体経済を踏み越え、
破綻を免れない債券までハイリターン金融派生商品として売買される先物市場をひねりだした。
( 天才数学者が発明したとかもっともらしく祭りあげられた )その市場は、
またたくまに実体経済市場の取引額を超え、行き場のないドルを吸い上げていった。
ここで莫大な利潤に利潤を積みかさねたまでは上首尾だったが、
あまりな実体経済との乖離がさすがに市場の不安をまねき、
「天才の金融債券がタヌキの葉っぱだった」と目が覚めたのは、ついこの前の出来事である。
だがこのときも総投資家が損失を被ったわけではない。
なにせ世界のインサイダー情報をも駆使して「シナリオ相場」を操作できる強大な権力を有する胴元周辺は
上手に売り逃げて、毎度おおきに!・・・ 世界中の投資銀行に巨額の損失をおしつけて平気な人種なのだ。
このように他を省みることなく、ひたすら利潤の肥大化を求めてやまない病理のような志向は、
資本主義の宿痾というほかないのか。
あるいはそこに、「支配」という美化されたイメージが人格をもつもののようにとり憑いているのであろうか。・・
– それにしても、
ドル覇権を握りつづける勢力のPRキーワードにすぎない
「自由経済と民主主義」の投網に、成すすべもなく捕らわれ、
はてはそのお題目を神器のごとくにふりかざす人たちが日本の中央、地方をとわず
権力を持つに至ったことは、危惧すべき情況といわなければならないだろう。
かれらが唱える「自由、平等、公正そして小さな政府、民営化、民主主義」とは
はたして、「だれのための自由、平等、公正」であるのか?
それは米国の現状のように、大資本のあらたな市場占有に与するだけではないのか?
つまり行き詰まりのなかで、「あらたな市場奪取」を目的とするようになったグローバル資本が
そのための露払い役を世界中に育成しかれらを利用することを目論んだ。 ・・
そのグローバル資本の走狗のように、
非効率にみえる公共サービス市場に筋ちがいの市場競争論理をふっかけては、
勝ち誇った貌をする下司な首長などは、
そうしたレーガノミックスの歴史的欺瞞をまったく理解しないどころか、
喜び勇んで、「一周遅れの間抜けなお先棒」を担いで恥じない
まさに「グローバル・オタク」とでも名づけるしかない愚かなものといえる。
その独善をささえているものは、効率主義という悪魔の呪文か?
詰め込み保育の条例を用意して、在来施設への補助切捨てのあとに、
大手サービスが待ち構えているということか。
独占資本の「民営化」参入=乗っ取り がどうして国民の利益になるといえるのだろうか?
竜馬気取りの独善仕分け人に脅迫されている人形浄瑠璃文楽技芸員のみなさん。
びびっていないでこう言えばいいのです。
「人形浄瑠璃も文楽も わからんもんは、大阪から出て行けー!」 ってね。
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(ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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