政治・社会の動向と指示向線(壱)
- 2012年 7月 9日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
人の現状の評価は様々だ。ある現象についての認識や分析において説得力を感じるものを提示していると思える人が、他の事柄についての認識や分析では違和を感じさせることがある。例えばある経済学者の経済動向や現象の認識や分析には賛同をすることがあっても、その人の政治領域の分析となるとこれは違うと思うことがあるのだ。経済動向の分析と政治動向の分析はそれほど違わないはずだということが自分の頭のどこかにあってそう感じるのかもしれないが、共通の世界認識はとても難しい時代なのだと思う。
消費増税をめぐる対立から民主党は分裂し、小沢一郎等は新党を結成する。政権交代を経て政権の座についた民主党はその期待を裏切り意味を終わらせたといえるのだろう。マスメディアは一部を除けば小沢一郎側に厳しい評価をしているがこれには疑問を持つ。民主党を政権の座に押し上げたのは民意である。民意という国民の期待であった。民主党政権はこれをことごとく裏切り、自らも変節を繰り返してきた。マニフェストを反故にして恥じないというのはその現れである。こういう点から見れば民主党政権の変節に抵抗してきた小沢一郎らに真っ当な評価をするのが自然である。そう思って間違いはない。民主党政権に期待と共に危惧を持った人も多かったのだろうが、その危惧とは彼らが民意をどのように理解しているかであった。この危惧は的中したのであるが、以前として民意は存続しているのであれば、これをはっきりさせなければならない。政権交代の契機《力》になった民意は現在も存続している。これは僕の基本的認識である。永田町や霞が関の住人たちはこの事に鈍感なのかもしれない。
否、これに胸の奥では怖れを感じていて、戸惑っているのかもしれない。沖縄の声も、脱原発の声も民意であり、その表現が具体的なったものである。民意は壊れ行く政治や社会から出てくる生活者の、あるいは国民の不安や危機の意識であり、現在の政治制度や社会制度を変えようという欲求である。この生活者の意欲や意識は段々と深まり広がるが衰えることはないのだ。確かに、それを交代した政権に期待するといことは失望に転じたにしてもこの欲求自体が消えたわけではない。大震災や原発震災はこれを深めた。これに対して体制や権力の動きは壊れ行く政治や社会の中で既存権益を保守しようとする動きである。彼らの政治的、社会的動きはここに基盤づけられるのである。既得権益の保守や擁護というのは抽象的であるように思えるかもしれないが、ここが体制や権力と民衆との矛盾であり、対立線であるのだ。イメージの基本である。《続く》
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〔opinion930:120709〕
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