自壊をあらわすマスメディアの病理的発信たれ流し!
- 2012年 7月 23日
- 評論・紹介・意見
- マスメディア大木 保自殺といじめ
マスメディアの「やらせ聴取会」援護や「自殺といじめ」の知ったかぶりは公害でしかない!
– お役所仕事といえば、先日
「将来のエネルギー戦略策定に向けた意見聴取会」なる政府主催の、
じつにマニアックな会合が各地域で密かにおこなわれたということでした。
密かにというのは、当該省庁のサイトを毎日注意して閲覧し、そのうえで
どこかのページのすみっこのボタンをクリックしなければその公募さえわからないという意味です。
この手の公聴会的な会合は、つねに手順を踏んだというアリバイ作りでしかないものだから、
ほんらい中身はどうでもよくて、(なぜなら、はじめから聴く耳をもたない連中だから!)
「民主的」に民草の意見を聞いてやったという記録がのこれば事足りる仕組みでしかない。・・
ただ今回は各地域とも、政府の企図に反した発言応募者が多数であることにエライ方が我慢ならず、
(おそれ多くも原発比率0%を意見表明する不届き者が3分の2であったため!)
「当事者」を呼び入れるという、やってはならない反則を犯したということでした。
もとよりどうでもいいはずの民草のことに目くじらを立てる政治家、官僚がいまさらで、おかしいし、
当事者がぬけぬけと発言したことに、出席者からありえねーと非難されたことについて、
それを「電力社員の発言排除」「エネルギー政策は、国民の支持で決められるものではない」
などと、まなじりをつりあげ一面トップに不届きもの非難と電力擁護記事を掲載したS新聞は、
それこそほんとうにトチ狂った記者たちの集団というほかない。
そもそもアリバイ工作とはいえ、一応形式的にそこいらの民草から意見を聞く「てい」をよそおうことが唯一もとめられているのに、
あろうことか自作自演の茶番劇にしたあげくが、同席した不届き者から
「当事者」が、ひろく国民一般に値しないことをとがめられる不始末をしでかしたにもかかわらず、
見当外れの 「言論弾圧」をもちだして、ヤカラのように寝転んでみせる不様な姿といい、
また「国民の意見・支持」など不要というならば、
こんな意見聴取会などそもそも茶番であると白状しているようなものである。
S新聞は、「御用、ちょうちん持ち」も勤まらない、すでに悪女の深情けの様相を呈してきている。
いいですかS新聞さん、体制擁護の座右の銘はこうでしょう。・・・
* 「民草の意見とやらを聞いてやるフリをすること」が、
「エセ民主主義の支配体制を護持するために欠かせない!」 —
これこそが、賢い政治家と官僚が敷いてきた「制度」というエセ民主主義思想なのです。・・・
— さてあと一つ、いま唐突にマスメディアが騒いでいることといえば、
「大津市立中学生徒のいじめと自殺」についてでしょうか。・・・
マスメディアがとりあげていることに何ごとか大きなわけでもあるのかといえば、
例によって、ほんとうは視聴率が得られるというだけにすぎない。
こんな連中の記事を真に受けてはいけないとはいえ、
多くのひとたちがこのフレームアップに巻き込まれているようなので
おおきな誤りについてだけでも指摘しておこうとおもいます。
例のS新聞によれば、(どれも似たり寄ったりだけど、なにせ悪女の深情けっていまどきなかなかですから!)
— 大津市立中学2年の男子生徒の自殺をめぐる民事訴訟の口頭弁論で、
被告の市側が、いじめと自殺との因果関係を認める方針を示したことについて、
市教育長が、「いじめと自殺の因果関係は不明」とする従来の主張をかえなかったこと。
つまり、「いじめが自殺の要因の一つである可能性は高い」けれど、
「いじめ以外の家庭の問題なども明らかにされるべきだ」と持論をくりかえし ” 迷走
”をつづけた。 – とある。
おそらく、一般の人の反応は先の市長の考え方に同調するものとおもわれる。
それには、この間の市教委側の記者会見での発言が、事実を隠蔽して、
ただ、じぶんたちの責任回避だけに向いていると思わせる態度がおおきく影響している。
まずは、なぜ、アンケートを2回実施し、しかもそれをこっそり隠さなければならなかったのか?
そのまえにもうしあげておきますが、
市教育長の「持論」自体はまちがってはいないということ。・・
いじめの本質はみんながうけとっている意味よりも、もっと深刻であり、
この時代がかかえている病理の根幹にふれる問題だといえます。
またいじめる側が、巧妙に犯罪性をあいまいにしたり、隠蔽することは周知のこと。
したがって学校側がはじめから腰が引けている勤務(評定)体制のなかで、
いじめを摘発することはほとんどまず不可能なことでもあります。
それではなぜ、アンケートを隠そうとしたのかといえば、
アンケートの内容が開示された場合には、
おそらくいまのような「いじめ=自殺因果」論が、一気に沸騰することを危惧したこと。
もう一つには、いじめが公然化・事実化されれば、責任を負わされることを危惧したこと。
この曰くいい難い葛藤が「隠蔽体質の顔」になってあらわれたのでしょう。・・・
それで、市長に代表される「わかりやすい」「いじめ=自殺因果」論ですが、
どのカウンセラーも仕事柄、おおくの「いじめを受け続けた」体験を聴いているものです。
それはのちのちまでトラウマのようにその生徒の性格形成につらい影響を与えつづけることも事実です。
だが、自殺のひとつの要因になりうる可能性はありうるかもしれないけれど、
自殺という行為そのものは子どもであっても、うつ病によってひき起こされることは、
欧米の精神病理学でみとめられていることです。(日本ではこんなこともあいまいにされています。)
つまり、市教育長の「持論」がただの責任回避の逃げ口上かどうかまでは、いまのところ不明ですが、
「家庭の問題なども明らかにされるべきだ」という考え方自体は、
その人固有のうつ病の成り立ちを、根源的にとらえ、かつ総体の所見をえるためには、むしろ避けられない常識なのです。
もし、「いじめ=自殺因果」論が正論であるというならば、
いじめを死ぬほど体験しながら 生き難さに堪えてなお前を向いて、
カウンセリングによってみずからを克服しようとしている大勢のひとたちを
いったいどのように理解し、とらえるというのだろうか?
めんどくさいことを言うとおもわれるかも知れないですが、
人間とは、人間の心は、そんなに市長さんのおっしゃるように単純で簡単なものではないわけです。
ひとりひとりに向き合わないと、教育などとおこがましいことはいえないのです。
(そうじゃないから、民間テスト業者や予備校にとって代わられるわけだ。)
学校教育者のすべてのひとにねがうことは、、ひとりひとりの生徒を大切にうけとめ、
あらためて教育の本質に立って、時代の強迫性をほどいてあげていってほしいということです。・・・
– わたしのブログにも、たびたびいじめの本質について書きついできておりますので、
ぜひ再読いただければさいわいにぞんじます。
(ニート作家・田中慎弥を読み解く!(続)いじめの病理 。 世界に意味は無いのか!(第五回学校崩壊) )
…………………
ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion944:120723〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。