自殺ほう助という、 密着家族の自覚のない心の病理について。・・
- 2012年 8月 1日
- 評論・紹介・意見
- 大木 保密着家族自殺ほう助
日本的な密着と依存の連鎖という「甘えの構造」の絶ちがたき心の病理性!
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ロンドンとちがって、おおさかは暑い!
暑いは おおさか、 おおさか こわい。 こわいは 市長、市長は わからん、文楽わからん。
わからんことが 恥ともおもわん、 おもわんやつには 知恵貸そか。 知恵の中山千願寺、・・
うーん、何を言うても ぬか漬け腐るような、・・
やっぱり おおさか 暑い ・・
( ことば遊びも空回りで 熱中症モード。)・・
みなさんは、この酷暑のなか いかがお過ごしでしょうか?
— さて今回は、この27日に起きた「自殺ほう助」事件の心の病理についてお話したいとおもいます。
報道によれば、千葉県で27日未明、自宅で娘の無職Hさん(38)が首つり自殺するのを手助けした疑いで、両親が逮捕されたということでした。
父親は娘が首をつる準備を手伝い、母親がHさんが自殺すると知りながら止めずに外出した疑い。
柏署によると、両容疑者は以前から、Hさんから「自殺したい」と打ち明けられていたという。・・・
ほんとうに 哀しい出来事です。・・・
「自殺ほう助」という事実から、わたしたちはつぎのことをまず理解しなければなりません。
– 「成人した娘であっても、その生き死にまでも自分と同化できる」という、
この両親のおどろくべき過剰な密着ぶりについてです。
このような親子の密着は相互の内向的依存関係を強固に形成していて、
「たがいに自立したひとりの人間」という関わり方とは対極をなすもので、
いかにも日本的な 「甘え」の関係の終着点をあらわしています。
そしてじつは、この親子の自殺への心のはたらかせ方を「よくわかる。」という方がかなりいることも予想がつきます。
むしろ、親子の情に感じ入って、「どこが過剰なのか?」と首をかしげられるひともいるほど、
それこそが日本人的な密着と相互依存の連鎖の絶ちがたき心の病理性にほかならないところなのです。・・
– ひとは思春期の自我の形成から、精神の自立へと向かうべき時期に、
親子家族が、まだ濃密な相互依存と密着を手離せないまま、それをよしとしてゆくとき、
社会性より家族の恣意的な主観が優位となって、しだいに社会と解離してゆくわけです。
つまり、いつしか 社会の中で孤立をまねき、
うつ病に到っていることにさえ自覚が乏しい不適応をしめすことになります。・・・
この事件では、うつ病をかかえていたのは娘さんだけではないわけです。
ただおそらく、密着依存を手離せないご両親からすれば、
「自分たち家族が決めた、家族のなかのこと」なのに、
「なんの関係もない警察に逮捕される」ということに、違和感すらおぼえただろうとおもいます。
心の病理を抱えた人の、自殺ほう助をよしとする病理の世界からみたこの社会は
このように見えていて、もはや隔絶してしまった場所に立っているとみなされます。
もしも、みなさんのなかで、この家族のようなものの考え方に同調できるという方がおられましたら、
いまの立っておられる場所が、
けっして社会性をもった安心の場所とはちがうということを自覚されますようにおねがいします。
そこは自分や家族だけが「まちがっていない。」あるいは「安心だ。」とおもっているけれども、
じつは、社会的孤立にむかってただよう 「自己観念の中だけの結論や安心」の世界にいるということを。・・
最初は自分や家族はなにも孤立なぞしていないとおもっているのですが、
最終的には自殺をえらんでしまうことが、うつ病であり、
日本人のあらわす自覚の乏しいうつ病の典型でもあるわけです。・・・
わたしたちは、自殺ほう助を「やむなし」とする、
日本人的な密着と相互依存の連鎖という「甘えの構造」の絶ちがたき心の病理性を
いま一度みずからに問いただし、正しい関係の距離感をまなび、
あらためて、この社会に、たがいに「自立した関係」のもとに、 のほほんとして
「個の尊厳」とゆたかな「精神の自由」を勝ちとっていきたいものです。・・・
(ブログ・心理カウンセラーがゆく!http://blog.goo.ne.jp/5tetsuより 転載.)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion948:120801〕
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