アメリカの詩(うた)と、多様性を楽しむこと
- 2012年 8月 1日
- スタディルーム
- アメリカの詩多様性木村洋平
ネイティブ・アメリカン、銃、ヘンリー・D・ソロー、フォード、世界恐慌、ディズニー、ベトナム戦争、Simon & Garfunkel、エルトン・ジョン、キング牧師、プラザ合意、小沢一郎、Windows、M&A、リーマン・ショック、強欲資本主義、Apple。
こんな風に、アメリカの詩(うた)を歌うことができるだろう。どこまでも。そこには、多様性がある。
ソローは、『森の生活』(原著:『ウォールデン』*池の名前)で有名な19世紀の哲学者だが、世捨て人とはほど遠く、『市民の抵抗』という本も記している。
フォードは、車の大量生産体制を敷いた会社。アメリカを風刺するなら、「銃、車、マクドナルド」というタイトルで、(たとえば)映画を作ることもできるだろう。
サイモン&ガーファンクルは、”America”というタイトルの曲を1971年に発表している。ある記事によれば、この曲は、60年代半ばまでに作られたもので、アメリカの喪失感を表したものだという。(参考URL:http://www.magictrain.biz/wp/?p=2433 )
エルトン・ジョンも、Rock’n’roll のミュージシャンだが、ベトナム反戦歌を作っている。ふだんは、POPなシンガーなのだが。
キング牧師の有名な演説は、”I have a dream…”で始まる。良きアメリカを作ること。被差別の立場から立ち上がり。
プラザ合意と、「強欲資本主義」(*新書の書名より。)によるリーマン・ショックは、日本経済と社会に大打撃を与えた。それを批判する、アンチ・アメリカの言説が、WindowsとiPhone(*Apple社の製品)の画面上に流れる。
こういった状況は、混沌としているように見える。あるいは、快刀乱麻を断つように、アメリカ・バッシングに傾倒することもできる。
アメリカの大自然や、それを愛する哲学。POPソングにも、Rock’n’rollにも息づいた、まっとうな批判精神。テクノロジー。こうしたものが、もろもろの悪しき、荒んだ精神や行為と、同居している国。
僕は、アメリカに多様性を見つけていたい、と思う。ただし、それは、よくある仕方で、「アメリカ」を多様性の代名詞にして、ポジティブに捉え直すためではない。つまり、「多様性のアメリカ、万歳!」という仕方ではなく。同じことは、どこに対してでもできるのだから。その、多様性を見つける、ということは。
それ(たとえば、「アメリカ」)が、単純に良いか、悪いか、という話をせずに、つぶさに観察して、そこに万華鏡のような多様性を見出すこと。
それは、たとえば一人の友人に対してもできる。小さな子供に対してでも、できるだろう。そんな風にして、いつでも、「善悪」の判断を保留できる地点を、忘れないでいたい。健全な判断力を、批判精神を養うこととは、べつに。(それもとても大切なことなのだが。)そう、多様性を見出すとは、善し悪しの判断を下す、手前の状態を楽しむこと。礼賛と非難に分かれる手前で、一枚の絵画を見るように、全体のあちこちへと視線をゆきわたらせること。
多様性を楽しむこと。それは、意見と主張と、また意見にあふれた、言論のネット空間にも必要なことではないでしょうか。
初出:ブログ【珈琲ブレイク】:http://idea-writer.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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