テント日誌8/1日 経産前省テント広場―326日目…それでもまだ蝉の声は聞こえるというべきか
- 2012年 8月 2日
- 交流の広場
- 経産前省テントひろば
朝方に目が覚めたら蝉《ミンミンゼミ》の声が耳から離れずなかなか寝付けなかった。いくらか蒸し暑さの増したテントの中だ。出掛けに油蝉の死骸を見つけたことを思い出した。僕の住むマンションの入り口だった。手にとってみたのだが、どうも変であった。僕らが子供の頃に取っていたのに比べるとどうも小さいようなのだ。
都市の蝉は小さい(?) 子供の頃に夏になると夢中になって取っていたのは主に熊ゼミと油蝉であったが記憶では油蝉はもう少し大きかったようだ。こちら《関東地方》には熊ゼミはいないがこの油蝉が小さいと思えるのは何だろうか。
これは自然の現状と深く関係しているのだろうか。都市が堀崩してきた自然を象徴しているのか。「閑かさや岩にしみいる蝉の声」という芭蕉の名句も本当に古典になってしまうのだろうか。そういえば福島ではどうなのだろうかというところに連想は移っていた。放射線は小動物や昆虫類にも確実に影響をもたらすはずだから気にかかる。以前に小動物や植物などの異変について調査をしているという話を耳にしたことがある。誰かレポートをして欲しいと思う。
前日(7月31日)に衆院議員会館で毎週金曜日に首相官邸前行動を主催している反原連首都圏委員会のメンバーと脱原発議員の懇談会があった。これは毎週金曜日の行動に対する国会議員の側の対応と言ってもよかったが、<野田首相との面談>や<原子力規制庁人事に対する疑念>をめぐる論議がなされた。
議員側は(原発ゼロの会)と(脱原発ロードマップを考える会)等から20人程が参加していた。どちらかというと民主党議員の多い(ロードマップの会)の面々は歯切れが悪かった。これは民主党の現状を映しているといえる。
首相官邸前に集まる人たちは再稼働反対の意志表示に駆けつけているのだが、それは表現の一部であり、その背後に脱原発社会の実現の欲求、不透明で閉鎖的な政治に対する抗議、現実の社会経済的な不安や不満などがある。無意識も含めてこの表現されない形の世界と存在が自分を駆り立てていること、またそれらと自己問答をしている。自分にとってだけではなく他者にとっても切実な社会や未来のことを考えている。これが未だ言葉にならず、どんなに考えても分からなくなっていくものであってもその問答こそが世界であり歴史なのだ。次はそこからしか見えてはこない。視界はそこからしか開けない。
議員たちは彼らが行動しながら自己問答し、自己問答しながら行動していることに想像力を伸ばし得ているか。自分たちの言葉の貧しさと部分性を自覚しえているのか。彼らのアンテナがそこまで伸びていないことに向けられている視線を感じ取っているのだろうか。でも、大半の議員がこの場にすら出てはこないのだから、ないものねだりをしても仕方がないとも思った。
朝夕のテントの前は涼しい風さえあればなかなかのものだ。見なれた光景が日々に変化することに驚きながら座っている。差し入れていただいた風鈴の音も心地よい。岩手から訪れた女性は盛岡市でも毎週金曜日の行動が始まっていることを伝えてくれた。50人位ではじまったが回を重ねるごとに増えていくとのことだ。全国の各地に毎週金曜日の首相前行動は波及して行く様だが、テントに届く報告の中でもうれしいものの一つだ。
「浜岡原発本訴訴訟団」の皆さんがテントを訪れた。中部電力が引きのばし二年に渡って足踏み状態にあった東京高裁が原告弁護団の強い要求を受け入れ訴訟進行を決定した。その第一回の口頭弁論がはじまったのである。浜岡原発の「再稼働前提にした津波対策防潮壁」を中部電力は急いでいるが、これは原告団の言うように無用のものであり、やめてしまえばいいのだ。みなさんの話では浜岡原発5号機では海水を引きいれため機器の腐食などが進んでいる旨の話をきいた。新聞でも少し報じられたことだが廃炉の決断をとあらためておもった。全国各地の闘いが繋がって行くことをテントの強い願いでもある。
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