テント日誌8/8日経産前省テント広場―333日目…「立秋に至りやっと夏仕様」というテントだが
- 2012年 8月 10日
- 交流の広場
- 経産前省テントひろば
7日は立秋であった。が、テントはこの日になって夏向きに衣替えをした。多くの皆さんが参加されてリニュアルされたテントの中にはいい匂いの漂う茣蓙が敷かれている。とてもいい気分だ。
夜には蚊帳もつられていた。蚊帳を見るのは何年ぶりだろうか。子供ころに蚊帳の中にホタルを入れて遊んだことや蚊帳に入りたがるのにすぐに出せと騒ぐ猫のことを思い出していた。何よりもこれで一晩中強い香取線香の匂いからは解放されるが身体にもいいことは間違いない。立秋というわけではないだろうが明け方は涼しいというよりはむしろ寒い程だった。慌てて毛布を引っ張りだして凌いだが季節は動いているのを実感できる。
風通しのいいテントで寝ていると密閉した都会の住まいと熱帯夜の関係を思う。都会では住宅事情からかクーラーに頼り、冷房をつけて寝るという生活が拡大し、熱帯夜も続くという日が増えた。この循環する都市の夏の生活とありように対する反省や考え直しをテントの生活は私たちに迫る契機になっているのかもしれない。蚊帳の中で風に吹かれて寝ているとそんな気にもなるのである。蚊帳をお送り頂いたUさんありがとう。紙面を借りてお礼を申し上げたい。もしテントに来る機会があれば蚊帳のある室内を見て欲しい。
友達から送られてきたメールに「カエルの声も蝉の声の聞こえない夏」というコピーがあったのには驚いた。南相馬市にボランティアに出掛けた女性の報告だった。放射線汚染による直接的な異変ということではないが、原発事故による環境の激変の結果であることは疑いない。この報告文の中で地域にとどまっている方が「季節の感じられない生活になった」と述懐している箇所がある。ドッキリとするところだが、カエルや蝉の声の聞こえない状態をこんな風に表現しているのであろう。ここに自然との交流関係(循環関係)にある人間の存在と相容れない原発の存在が示されている。さすがに原発は科学技術の産物だから社会から撤退出来ないということをいう人はあまり見かけなくなったがこうした根源的なところにやはり目を向けていて欲しいと思う。
朝方はテントの周辺もひんやりしていたが、午後に向かって暑くなってきた。
風に吹かれてテント前の椅子に座り、霞ヶ関の中心街を眺めているのもいいものだ。予想以上に街の表情は豊かで少し暑いがここに避暑に来ていると思えばいいのかもしれないと思う。テントには全国からいろいろ人が訪れる。最近は若い人が多い。とても熱心に質問し、自分の考えを深める糧にしているのだろう。街行く人に小学生やお母さんと一緒の子供が目につくのも夏休みだからだろうか。それに最近は裁判などで霞ヶ関に出てきた人がテントに立ち寄る人も増えた。想像も及ばない事件も世の中は多いのである。教えられことも多い。
椅子に座りながら隣の女性と話をしていたらこの間の国会前行動のことに及んで行った。小さい子供を抱いた若い母親に駆け寄りこの子供時代に原発がなくなればと思わず言ってしまっていた。これは彼女の述懐だがその気持ちはよくわかる。私も歳を取ったのだろう。そういう思いのすることは多いのだ。
また、当日(7月29日)に国会正門前でいろいろの種類のパンを配っていた人の話になった。鎌倉駅の近くの市場の人で多くのコピー入りのパンを持ってきて配っていたとのことだった。彼女もそれを頂いたのだが美味しく、今度鎌倉に行ったら店を探すのだと語っていた。テントにも再稼働反対という文字の白く浮き出たパンが差し入れられていたのだが、この人だったのだと納得がいった。実に多くの人が様々の思いと工夫を持って国会周辺に出掛けてきているのだ。
政局という名の愚劇を繰り返す政党や政治家はこうした人たちの声に耳を貸すべきだ。裸の王様の様相を呈してきた永田町の住人は自己の所業について反省をすべきである。深夜の国会周辺はうす気味悪いところがある。彼らの怪談じみた行為が悪霊を漂わせているのだろう。彼らの行状が裁かれる日も遠くはない。彼らの大半はそのことを否応なしに実感しているはずだ。 (M/O)
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