国会を舞台の政治的愚劇を見ても人々の意志は揺るがぬ
- 2012年 8月 10日
- 交流の広場
- 9条改憲阻止の会
2012年8月9日 連帯・共同ニュース第279号
■ Tさん。国会は政局という名の政治的愚劇の第何幕目が引かれたところです。この愚劇がどのような展開と結幕をみせるかは誰も予想ができません。毎週金曜日には国会周辺には何十万人かの人がやってきて脱原発、とりわけ原発再稼働に反対する声をあげます。国会側の道は警察が規制して人々を通れなくしているのですが、その内部では複雑怪奇な政治劇が演じられていたにしても毎週金曜日に出掛けてくる人々の意志が揺るがされることはありません。人々の意志は揺るがず声が衰えることもないでしよう。この行動や場の出現があの1960年の安保闘争以来のものであり、それを上回るだろうという予想もされています。「路上の民主主義」等という言葉が登場したりしていますがこの事態を正確につかむ言葉はありません。それが実際のところだと思います。もちろん、これは必然であって良きことでもあると思います。僕は一行動者として、あるいは一自己表示者として参加しているのですが、この予想を超えた事態の出現をどう認識しえるのかを自問自答しています。これはなかなか難しいことであり、解答らしいものはないのですが、そこに立ち止まり考えあぐんでいます。
■ Tさん。今回の人々の行動は1960年安保闘争と比較されるのですが、そのこと事態は当然と思います。国民的な歴史的経験というのはあそこにしかないのですから。ただ、1960年安保闘争の認識が国民的なものとして残されているわけではないですから、これは有効なものとして機能するとは思えません。それぞれの流儀で比較したり、関連づけたりするほかないのですが、僕も自然にそれをやっています。1960年安保闘争との違いはいろいろの意味で取りだされるし、それはすぐに指摘もできます。それは一口にいえば今回の行動は政治集団、あるいはそれに準ずるグループの指導なりで出てきたものでも成立したものではないということです。これは少し違うのですが、僕らが経産省前にテントひろばを作り、政治的意志空間を存続させていることと似ているといえます。「9条改憲阻止の会」は政治集団的な形を出来得る限り取らないでおこうとしてきましたし、そのように振舞ってもきたからです。 (Tさんへの手紙 第二回)
■ 毎週金曜日の首相官邸前行動は8月10日・17日も行われるが、経産省テント前ひろばは8月19日~20日に伊方で開かれる「伊方原発再稼働反対集会と再稼働阻止ネットワーク全国相談会」への参加者を募っている。一泊二日(飛行機利用)だが希望者はテントまで。 (文責 三上治)
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