民主党の奇妙な代表選挙
- 2010年 8月 23日
- 時代をみる
- 安東次郎
民主党の代表選、政権政党の代表選であるから、立候補予定者の識見・政策・実行力についての論議が繰り広げられてもよさそうなものだが、そういう論議は皆無のようである。
曰く「首相をコロコロ代えるのは如何か」
曰く「政治とカネの問題をかかえている小沢が立候補するのは如何なものか」
いまのところ、これが代表選挙のをめぐる論議の全てのようだ。
菅支持には「消極的」理由しかないのか?
第一の論点について。
たしかに「首相」が「コロコロ代わる」のはよいことではないだろう。
しかし「首相がコロコロ変わるべきではない」という価値観が、「セレモニーではない、実質のある選挙を行うべきだ」という価値観に優越するのか。「選挙」が『セレモニー』にすぎない国もあり、たしかにそういう国では「指導者」がコロコロ代わることはないが、それは独裁政治だ。
そもそも、専ら「コロコロかえるのは良くない」という消極的な理由(注1)で、菅氏が支持されるということは、菅氏の「識見」等をだれも評価していないことの証左ではないか。
「消費税をめぐって菅氏がどのように迷走をしたか?」については、ここでは省略する。
「為替政策」に関してはどうか。
「ドル円は95円程度が望ましい」?
菅氏は財務大臣就任時、「ドル円は95円程度が望ましい」と具体的レートに言及したが、これは通貨当局としては『異例』のことだ。通貨当局が具体的レートを指定して為替を操作するなら、それは「変動相場制」の否定になるからだ。
さらにおかしなことは、その後、円は徐々に上がっているのに(この原稿を書いている時点で85円台)、菅氏はなんの手もうっていないことだ。(23日、白川日銀総裁と電話会談を行ったが、具体策は出ず、相場も動いてはいない。)
国際経済の現状では、経常収支黒字国の日本が為替介入などで円安政策をとることは困難ではあると思われるが、菅氏は、介入が可能と思っていたのか、それとも日銀が「デフレ脱却」政策を採用すれば、円安になるとおもっているのか?
経済政策に限らず、次のような発言を聞くと、「菅氏は日本の政治制度の基本を知っているのか?」という疑念も浮かぶ。
「法律を調べてみたら、首相は自衛隊の最高の指揮監督権者」?
19日の朝日新聞によれば、<菅直人首相は19日、首相官邸で北沢俊美防衛相に「ちょっと昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」と述べた。・・・[制服組首脳との]意見交換会のあいさつでは「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は、自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」と語った。・・・意見交換会を終えた折木統幕長は、記者団に一連の発言について聞かれて「本当に冗談だと思う。・・・」。>
http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201008190397.html
はたして冗談だったのか。
「神輿は軽いほうがよい」とは、小沢氏の台詞だったと記憶しているが、官僚たちも「軽い」首相は扱いやすいだろう。
たとえば、平成22年度予算案の策定はどうだったか。
「形の上で政治主導を見せる」?
<池田元久財務副大臣は[7月]26日の記者会見で、2011年度予算の概算要求基準に関し、各省庁への原案提示が予定していた先週末より遅れた理由について「形の上で政治主導を見せるというか、官邸、党の方もかんでいただいて丁寧にやったということだ」と述べた。菅内閣は予算編成に関し政治主導を強調しているが、実質的には財務省主導で進んでいることを認めた格好・・・。>
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201007/2010072600838
予算編成に限らず、菅内閣成立以降、官僚の復権は否定し難いようだ。
鳩山内閣は次官会議を廃止したが、菅内閣では6月から事務次官の「懇談会」が開催されている。菅氏は「官僚を使いこなす」というが、使われているのは、どちらか?
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100731k0000m010132000c.html
7月16日には<改正国家公務員退職手当法施行令で、官僚が現役出向できる先として、日本郵政、NTT東日本、首都高速道路など38法人を追加し、計56法人への現役出向に道を開いた。・・・親元の官庁による天下り斡旋が禁止された見返りに、これまで退官後2年間は直近5年間に在籍していた関係先に再就職することができないという規制が撤廃・・・。>
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100730/plt1007301603003-n2.htm
これでは「天下り禁止」は有名無実。民間企業に官僚の『指定席』が増え、癒着が拡大することは、明白だろう。
「政治とカネの問題をかかえているオザワ」?
第二の論点について。
なぜ小沢がこれだけ「ターゲット」になるのか。影響力を持つ政治家であるから、批判の対象となるのは当然だろうが、この間の政治とカネをめぐる小沢批判はいささか歪んでいると思うのは、私だけではないだろう(注2)。
小沢の「識見・政策・実行力」ではなく、「政治とカネの問題をかかえるオザワ」ばかりが語られるのならば、政治の内容的な論議は一向に深まらない。
実際、特捜の捜査は「不起訴」で終わったのであり、『ゼネコンからの裏金が土地に化けた』という類の報道に根拠がなかったことは明らかだ。政治資金規正法違反があったとしても、それは記載と土地取引の日付の相違という形式的な『違反』でしかない。
もちろん小沢が『カネを作れる』政治家であることは、紛れもない事実だろう。しかし政治にカネがかかることも事実であり、『倫理』を以って小沢の政治資金作りを批判することに、果たしてどれだけの妥当性があるのか。この間小沢は野党指導者であり、国家予算や補助金支出に権限を有していたわけでもない。
こんなことをいうのは、もちろん小沢批判を封殺しようという意図からではない。小沢の「識見・政策・実行力」など、肝心の点を批判しないで、「政治とカネの問題を抱える」というフレーズで、小沢を政治的に葬ろうとするのは、アンフェアではないか?と思うからだ(注3)。
「オザワは民意に反するのでは」?
もっとも「オザワでよいのか?」という問いには、「オザワ選出は民意に反するのでは?」という含意がある。
しかし国会議員の責務は、「誰が首相に相応しいか(誰は相応しくないか)」を自ら判断し、主権者にはその根拠を明かにすることではないか?それが、「だれが首相に相応しいか」についての『民意』を探って、それを自らの判断の根拠とするというのでは、本末転倒、国会議員としての責任放棄である。
(もし首相指名は『民意』を反映すべきだと主張するなら、「首相公選制」を主張すべきだ。その場合、主権者が候補者の「識見・政策・実行力」などを十分に知り得るようにすべきだ。そうした制度を欠いている現状での『民意』や『世論』なるものは――「だれが首相に相応しいか」にかんする限りは――、政治にたいする責任を持ちえないだろう。)
候補者の「識見・政策・実行力」が問われるべきでは?
もちろん政策面からは、小沢氏への疑問も少なくない。
先の衆院選の「マニフェスト」は財政面からも行き詰っており、財政の制約とマニフェストの政策課題の両立はきわめて困難だと思われる。この難問をどう突破するのか?あるいは優先順位をあきらかにするのか?
主権者としては、ぜひ知りたいところだ。
また、菅政権は、アメリカと官僚に従順な「アンシャンレジーム」に回帰しているようにみえるが、菅氏はこのような疑念を払しょくすることができるのか?
このような点こそ、民主党の支持者のみならず、私のような一般主権者にも興味のある争点であると思う。
(注1)キャンベル米国務次官補は「首相や閣僚がすぐに交代すると、政府間に必要な信頼関係の構築が非常に難しくなる」(7月27日・米下院軍事委員会)としている。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100728/amr1007281046004-n1.htm
鳩山の早期退陣に深く関与していると思われる米国が、菅氏については長期政権を望んでいるのだから、米国にとって菅氏続投は「積極的」意味があるのだろう。
(注2)「オザワとカネ」は連日報道されたが、「マスコミとカネ(官房機密費)」は、その後ほとんど報道されていない。本来ならば、各社が記者にわたった機密費を調査し、権力とマスコミにどのような癒着があったか、報道がどのように歪められていたのかを公表すべきであろう。こうした自浄能力を(ならびに権力にたいするチェック能力も)喪失したマスコミでは、大政翼賛会下の報道機関と大差がないと評価されてもやむをえないだろう。
「検察とカネ(裏金)」の問題についても同様のことが言える。
(注3)小沢氏が「検察審査会」の対象となっていることから、小沢氏が「代表選立候補」の資格に欠けるという見解もあるが、これは妥当なのか?
この点は、郷原信郎氏の指摘を引用しておきたい。(引用は8月21日のツイッタ―による。)
<小沢氏代表選出馬問題と・・・検審議決問題とは全く別問題だ/陸山会不動産取得問題で第5検審が再度の「起訴相当」の議決を出す可能性は低いと思うが、仮に、それが出たとしても、「検察限りで終わらせるのではなく公開の法廷で決着すべき」という検審の判断に過ぎず、検察が「有罪の見通し」に基づいて起訴したのとは意味が異なる/従来も、検審の起訴相当、不起訴不当議決を受けて検察が不起訴処分を覆して起訴した事例の有罪率は極めて低い。・・・/もし、検審で1回「起訴相当」の判断が出されたというだけで、・・・再度の「起訴相当」議決の可能性だけで、その被疑者は総理大臣になる資格がないとすると、11人の審査員の判断が、総理大臣についての拒否権を持つことになる。/それは、議会制民主主義を否定するだけでなく、検察審査会制度そのものを歪めることになりかねない。>
http://twitter.com/nobuogohara
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〔eye1033:100823〕
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