反◯感情を利用する政治家やメディアの言動に注意を
- 2012年 8月 20日
- 評論・紹介・意見
- 三上 治
終戦記念日といえば閣僚の靖国神社参拝をめぐって韓国や中国との関係が波立つというのが恒例だった。これについては日本が戦争責任の問題を曖昧にしてきたことに主とした要因があると思えた。その上でここにはまた解決なきまま現在に至っている東アジアの民族問題が横たわっているとも考えてきた。歴史的に反日的な民族感情を東アジアで生成してきたのは日本の近代の東アジア地域に対する対応に存在したことは間違いない。要するに中国や韓国のナショナリズム《民族主義》が日本の政治支配《帝国的所業》に対する反発として出てきたことは歴史的な事実である。このことは民族問題について日本が歴史的負荷を負っていることであるが、これは東アジアの民族問題の解決の可能的基盤である。この負荷が民族問題の解決の契機である。だがこの認識を誤ると民族問題をとんでもないところに持っていくことにもなりかねない。
竹島問題や尖閣列島問題は領土問題であって民族問題ではないという声も聞こえてきそうである。だが、これらが領土問題として解決の糸口がつかみにくいのは背後に民族問題が横たわっているからである。それを政治的に利用しようという動きも含めてである。竹島や尖閣列島の領土的な帰属の問題については現に双方が自己領土であることを主張し対立している以上容易に解決はつかない。歴史的には軍事的対立を含む解決をしてきたのかもしれないが現在ではそれは許されない。国民もそれを望んではいない。そうであればこれは何らかの話し合いで解決するしかない。帰属問題は棚上げするとか、共同開発や共同利用などの解決であるが問題はなかなかその場につけないということである。それはこれらに民族問題が絡められているからである。この領土問題から民族問題《ナシヨナリズムの契機》を排除することが解決にとって重要である。領土問題は民族的感情の問題が絡めば絡むほど解決は遠のくし、地域紛争に発展しかねない。なぜ、領土問題に民族問題が絡むか。それは民族問題を自己の政治基盤の強化に利用しようとする政治家がいるからだ。民族感情を政治的に利用する意図があってこの道具に領土問題を使うという動きがあるのだ。そしてこれは残存する民族感情を揺さぶり対抗的にナショナリズムを高めて行く。ナショナリズムが対抗的に高まる相互関係に入るのである。僕は今回の李明博大統領の竹島訪問という行動にそれを認識している。同様に尖閣列島問題での石原慎太郎の言動にそれを見ている。こうした政治家やメディアの言動を警戒し同調しないことが領土問題の解決に必要なことである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion963:120820〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。