歴史的大敗を総括できない共産党
- 2010年 8月 24日
- 時代をみる
- 林玲
2010年7月の参院選挙で、日本共産党は、歴史的大敗を喫した。そして、敗北から1ヶ月たっても、いまだに総括できないでいる。
数字で確かめてみる。
2009年8月の衆院選で全国で490万票を獲得したのにたいして、今回の参院選では、356万票となっている。10カ月で130万票余を減らした。
小泉首相の「郵政選挙」のときが約400万票、前回参院選が、420万票。1970年代以降での最低は、89年6月の参院選での390万票で、これは直前に中国で起こった天安門事件という「外圧」が影響したためであるからやむをえなかった。今回の参院選では、この数字をも下まわったのである。
選挙の内訳、つまり落選議員をみると、これまた歴史的大敗であることがよくわかる。
①「5人区東京」で勝てなかった。これは、仮りに中選挙区制であったとしても定数の多い選挙区であっても勝てないことを意味する。
②しかも、政策委員長の議席を失った。「人民的議会主義」(①国会の審議をつうじて政治の実態を国民の前に明らかにする、②国会活動と国民の運動とを積極的に結合しつつ、国会を、国民のための改良の実現など国民の要求を国政に反映させる舞台とする、③国会で多数を獲得し、それを基礎にして、大衆闘争と結合して、民主的政治の樹立をめざす――という議会にたいする共産党の基本的な立場)をかかげる同党は、委員長、書記局長、政策委員長を国会に送り込むことを選挙運動の基本課題としてきた。ところが、現職の小池晃政策委員長を失った。
③同党が綱領で日米安保体制のかなめと位置づけている沖縄を選出基盤とした仁比聡平議員を失った。
同党は、当時は大敗といわれた天安門事件直後の参院選においてさえ、「反共攻撃のなかで健闘した」と総括したように、必ず「勝利」「前進」を強調する選挙総括をしてきた。しかし、歴史的大敗に直面した今回は、1961年に綱領を決定して今日の路線・方針をとるようになって以来初めて、「勝利」「前進」の評価をまったく入れていない「選挙直後の常任幹部会声明」を発表した(7月12日付『しんぶん赤旗』。以下、常幹声明と略)。
いつもなら、常幹声明のあとに中央委員会総会による詳しい総括を発表するなり、機関誌である月刊『前衛』に書記局長名での詳しい解説を載せるなりするのに、それから1ヵ月を経ても、常幹声明以外の総括を発表していない(『前衛』9月号にも常幹声明のみ)。
共産党は、7月15日が創立記念日である。今年は、参院選挙日程と調整して8月3日に創立記念日の集会が開かれ、志位和夫委員長が記念講演をした。「創立記念講演」は、共産党中興の祖・宮本顕治が書記長だったころから、党の決定に準ずるものとされ、共産党は党員に「読了」(読み切ること)を促し、その状況を数字で把握するようにしてきた。
志位和夫委員長は、この講演で、「6月17日に菅首相が消費税増税を表明して以降の共産党の政策論争や対応が適切ではなかった」ことを、敗因としてあげた。
当然、読了対象となるものと思われたが、なんと(これも前代未聞のこと)、その直後に開かれた常任幹部会は、志位委員長の見方は選挙敗因分析の「一つの指針」「一つの例解」と位置づけて、読了対象とはしなかった(「」内は、8月10日に開かれた全国都道府県機関誌部長会議での市田忠義書記局長の発言。『しんぶん赤旗』8月11日付による。常任幹部会のあと幹部に内容を伝えるために配布された「常幹メモ」にも同じ字句が並んでいたところからみると、常幹では、市田書記局長が志位講演をこのように位置づけたとおもわれる)。
委員長がおこなった総括を書記局長が「One of them」としてしまった。
こうして、選挙終了後1ヵ月を経ても、共産党はきちんとした総括を発表できないでいる。1月の第25回党大会終了直後にひらいて以来となる第2回中央委員会総会の開催は9月にずれこんだ。
共産党は、なぜ大敗をしたのだろうか。
まず、参院選にどのような方針で臨んだのかをみてみよう。
2010年1月の第25回党大会は、およそ次のような参院選への方針を示した。
09年衆院選にみられるように得票減傾向は底を打った。地力をつければ選挙は勝てる。
「有権者過半数対応」(それぞれの支部の党がその地域の有権者の過半数になんらかのかたちで党の方針などを伝えること)をすればよい。衆院選の結果からみれば、参院選で630万票~650万票を獲得することは可能。比例区だけでなく選挙区でも(有力候補、元職の)議席獲得をめざす。小池政策委員長を比例から東京選挙区に投入する。
ところで、この大会には、いくつもの問題点があった。
運動の面では、09年都議選敗北の総括がなされなかった。
政策の面では、今後の日本のあり方をめぐって重要な争点となる「道州制」と「地域主権論」への方針を示さなかった(「地方議員政党」化しつつある共産党にとって、地方議員のモチベーションにもかかわる問題となった)。
人事の面では、党員数や『しんぶん赤旗』読者数が伸びていないにもかかわらず中央委員数を増加させ、しかも内規の定年を超えている高齢役員を温存した。人事の面で最も重大なミスは、都議選敗北の責任者で党内からも解任要求が根強かった東京都委員長について、失敗の責任を問わず、解任しなかったことである。
参院選をつうじての共産党をめぐる状況や活動状態はどうだったのだろうか。
内外情勢で致命的なマイナス材料が特にあったわけではない。
党員数や『しんぶん赤旗』読者数は、ほとんど変化がなかった。
党員の活動量や稼動率も落込んでいるわけではない。
構成メンバー問題(党員の高齢化と新しい若者獲得の弱さ)も大きな変化はなかった。
変化といえば、平成大合併により約4500名から約3000名へと地方議員が減少していた。「県庁所在地で県議をもてない」都道府県が多出している。共産党の場合、「地方議員1名=党員100名」といわれ、地方議員は生活相談、経営相談、法律相談などをつうじて地域活動の核となっており、党員・読者を増やす活動の核でもあるので、地方議員が三分の一も減ったことの打撃は大きい。
ただし、この条件も、09年衆院選時とほぼ同様であった。
東京選挙区の場合は、とりわけ、「平成の大合併」とは無縁であった(議員定数は微減)のに、当選させられなかった。
客観情勢は、共産党にとって、いつになく有利だった。
菅首相の消費税増税発言
普天間問題
民主党への期待のゆらぎ。自民党への「復帰待望」なし。
それなのに、なぜ大敗したのか。
敗因1 争点作りにブレ、争点での論争でも勝てず
選挙直前にかかげた争点は、普天間問題や非正規雇用を念頭においた「アメリカと財界にモノいえる政治を」であった(ポスター)。選挙戦突入後は、ほぼ「消費税増税反対」にしぼった。
その消費税をめぐる論争の中味であるが、共産党は「消費税増税分は法人税減税に使われた」「ギリシャと日本はちがう」のほぼ2点のみを主張した(法定ビラ)。
「福祉のあり方――日本の将来像(大きい政府・高福祉)」提示が欠落していたし、所得税論も、「国家破産とはどういうことか」論も欠落していた。消費者、有権者の生活・経済状態の現実を明らかにしたうえで、いまの段階での消費税増税は景気回復のネックになるという具体的データを提示することもなかった。
政策論争の原則は、「生活の問題に根ざして、政策提言をもって」であるが、参院選での共産党の政策論争はその原則を忘れたものであった。
このため、共産党の議論は、深みのない小手先の論争となってしまい、有権者は、「共産党の言い分は菅首相と同じレベル」、「信用できない」という反応をしめした。
志位委員長の街頭演説を何ヵ所かで拝見したが、09年衆院選とくらべて聴衆が「のっていない」のが強く感じられた。有権者の生活実感に訴えることができておらず、有権者に「将来の希望」を示すこともできなかったからである。
では、なぜ政策論争に失敗したのだろうか?
ひとことでいえば、共産党の政策能力の衰えによる。
たとえば、共産党は「なんでも反対」の社会党などよりも「建設的野党」に変身した、と評判になった基本政策「日本経済への提言」は、76年に発表され、10年後に改訂版を発表しているが、以後、今にいたるも、「出す」「出す」といいながら、新版の提示がない。これは、提示できないのである。
政策委員会や共産党に付属している社会科学研究所が必要な機能を果たしていないために、グローバル化した今日の日本経済について根本的・長期的な分析ができないでいる(社会科学研究所は、たとえば「若ものの非正規労働の実態」とか「高齢者福祉の現状」などの調査・研究などをやればよいのに、マルクス主義の古典研究にいそしむ不破哲三所長のための秘書ないしは助手機関となってしまっている)。
しかも、「世論」を気にするあまり、みずから示した方針について、たとえ孤立しても断固として貫くとか、ものごとについての基本的な見方や基準を示すとかというようなことが――以前の共産党とちがって――なくなってしまった。
この点での典型例が八ッ場ダム問題である。
前原誠司国交相が現地で凍結宣言をし、住民の反発にあって立ち往生したときのこと。『しんぶん赤旗』の紙面からは、ほぼ2週間にわたって、「八ッ場ダム」関連記事が消え、予定していた決起集会も「学習参考集会」に変更された(その集会の記事さえ『しんぶん赤旗』には載らなかった)。共産党は前原国交相の凍結方針をではなく「唐突にマニフェストをおしつける態度」を批判した。
敗因2 選挙技術の劣化
比例区と選挙区の「投票行動の使い分け」をについて個別の具体的方針を明示しなかった。
たとえば、仁比聡平(九州・沖縄の比例)議員が落選したのは、比例区投票の際の党名と個人名問題について、「仁比個人名の記入を」というアピールを不十分にしかしなかったという単純ミスのためである。
また、重点のしぼりこみをしなかった。
公明党は他の選挙区はすべて捨てて東京・大阪に全力集中したと伝えられているが、共産党は「小池を首都圏で浮上させる」が欠如し、「埼玉選挙区でも議席獲得を」などといって東京選挙区に集中しなかった。
東京選挙区で、小池は「みんなの党・松田候補」に10万票差で敗れたが、投票日の3日前の7月8日木曜日には、遅くとも、小池選対と東京都委員会は「10万票不足」を認識していた(中央と都それぞれの複数の関係者による)。東京の共産党組織にとって「3日間で10万票積増し」は十分にできる数字であった。ところが、首都圏から東京への集中動員態勢をとらなかった。東京都委員長は、「政策委員長議席」の意義を理解しておらず、「比例区から東京選挙に移しても議席を死守する」選挙運動をしようとしなかった。それは「みんなの党・松田候補」に小池は、三多摩では上回っていたのに23区では及ばず、という結果に如実にあらわれている。
敗因3 「紙メディア依存」型組織を革新できず
今回の参院選にかぎったことではなく、長期的な、また組織づくり論としての問題であるが、「日刊全国新聞を軸とした組織づくり」によって伸びてきたし、強固にもなってきた共産党は(おそらく、その成功体験ゆえに)、「IT社会化に対応した発信やネットワークづくりによる組織の再構築」の面で、大きく立ちおくれてしまった。
これは、「世論調査結果」を錦の御旗とした「マスメディアに操られる政治」への戦略的対応としてもぜひやらねばならないことだが、ほとんどできないままでいる。
また、それ以前に、組織のかなめである書記局が(多分に、書記局長の穏和な個性によるものか、あるいは書記局長が病身のため行動性が乏しいゆえか)、旧態依然とした組織の指導・運営態勢のままで、財務省などの官僚組織や大手企業の本社機能などと比べても、まったく機動性・柔軟性・革新性に欠け、組織を把握し組織を動かすことができなくなっている。かつて志位書記局長が登場したとき、奥田碩トヨタ社長(当時)が自社と比べて若さと活力をうらやんだものだが、その姿はもはや失われた。
今回の選挙中も、現場から懸念の声があがっていたのに、消費税問題への対応がまずいと気づくのが遅かったし、しかも選挙期間中に軌道修正さえできなかった。
60歳代の人に書記局長の激務はむずかしい。かつて志位をそうしたように、若い書記局長を抜てきし、委員長(若)―書記局長(老)というコンビの老若を逆転させる必要があろう。
根本的敗因 有権者を理解せず
得票目標を630~650万票としたことに端的にあらわれているように、2010年1月の党大会が示した選挙方針を見ると、なぜ衆院選では伸び都議選では負けたのか、なぜ民主党中心の政権が生れたのか、有権者は民主党にどう向かいあおうとしているのかなど、共産党が「有権者の状況」(民情)や「有権者の意識」(大衆意識)を客観的・具体的に把握していないことがよく分かる。おそらく久しぶりの国政選挙での前進に浮かれてしまったためなのだろう。
今回の参院選は、自民党(自公)政権を本格的にしりぞけて民主党を中心とする新しい連立政権ができて初めての国政選挙であった。
有権者は、「新政権への成績表としての1票」を投じようとしていた。したがって、各党は「新政権との距離のとり方」を有権者に示すことが、まず、第一にしなければならないことであった。これがいわば総論であり、消費税問題は各論のひとつであった。
とりわけ共産党の場合は、以前から「自民党を倒し民主連合政権を」と一貫して言ってきているのであるから、「共産党のいう民主連合政権や民主主義革命の視点から新政権はどのように位置づけられるのか」など、基本的な見方を示さなければ、自らの存在価値を問われかねない立場にあった。
それは、「新政権をブレさせない」(そこに共産党の存在価値のひとつがある)ためにも、必要不可欠のことであった。
しかし、共産党は、それをしようとはしなかった。有権者の共産党にたいするニーズを理解していなかったためである。
共産党は、たとえば、参院選の1ヵ月前、「保守王国・富山県」の朝日町で、七選をめざす自・公・国民新の3党が推す町長を党員の新人候補が破るなど、地方自治体で首長になっている例が、いくつかある。まだまだ十分に存在価値があるのだ。
しかし、今回の参院選総括をきちんとやらないと、社民党のような小政党・泡沫政党への道を歩むことになる。
外部委員会を設けるとか、「規制なしの」大討論を全党的にやるとか、これまでにない方式もとりいれて、しっかりと総括するときであろう。
もうそろそろ「どういうわけかわたしが委員長になってから国政選挙に勝てないんですよ」という愚痴を志位委員長が口にしないですむようにしてあげねば。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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