吉本隆明の対幻想批評―神仏虐待儀礼と母方オジ権を事例に(下)
- 2012年 9月 5日
- スタディルーム
- 吉本隆明対幻想母方オジ権石塚正英神仏虐待
2 対幻想批評―その2―
吉本隆明『共同幻想論』の「母制論」(151~153頁)にこう記されている。
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わたしのかんがえでは<母系>制の基盤はけっして原始集団婚にもとめられないし、だいいちに原始集団婚の存在ということがきわめてあやふやであるとおもう。ある地域ある種族では原始集団婚は存在しただろうし、べつの地域・べつの種族では存在しなかっただろうといいうる程度のものとしかかんがえようがない。
<母系>制はただなんらかの(・・・・・)理由で、部落内の男・女の<対なる幻想>が共同幻想と同致しえたときにのみ成立するといいうるだけである。(中略)それだから<母系>制社会の真の基礎は集団婚にあったのではなく、兄弟と姉妹の<対なる幻想>が部落の<共同幻想>と同致するまでに<空間>的に拡大したことのなかにあったとかんがえることができる。
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ここでは、母方オジ権を調べ上げた後期バッハオーフェンを引き合いに出して対幻想批評を行なう。私の『バッハオーフェン―母権から母方オジ権へ』(論創社、2001年、19~24頁)からの部分転載である。
前期バッハオーフェンの主著『母権論』は、よく家族史研究の基本文献にあげられるが、実際のところこの著作は家族史に関してでなく、家族が成立する以前の氏族社会に関する基本文献なのである。その証拠に、バッハオーフェンは家族――その確立――をなによりもまず古代ギリシア・ロ-マの父権的家族制度として描き、この制度から先ギリシア=ペラスゴイ社会の母権的社会をはっきりと区別している。
『母権論』までの前期バッハオーフェンは、人類史を婚姻制度に関連づけて3段階に区分する。第1はいかなる婚姻制度も発生していない段階で、「母権」と「ヘテリスムス(Hetaerismus)」が共存する。第2は、右に引用した中間状態のことで、「母権」と「ギュナイコクラティー(Gynaikokratie)」が共存する。そして第3は一夫一妻を完成体とする 婚姻制度が確立する段階で、「父権」と奴隷化した妻が共存する。
ここに出てくる「ヘテリスムス」とは、「まったく無秩序な両性関係」を意味する。ただし、『母権論』までの前期バッハオーフェンはその概念をやや曖昧に理解している。つまり、規律が存在しないため無秩序なのか、それとも規律が存在するのにそれを破っているため無秩序なのか、という問題にうまく答えていないのである。前期バッハオーフェンの言うヘテリスムスはその双方を含んでしまっている。この曖昧な立場は、後にアメリカの比較民族学者ルイス・ヘンリ・モーガンから「プロミスキティー(promiscuity)」とい う術語を教わり無規律婚についての厳密な区別を学ぶことによって、モーガン的に修正されることになる。つまり、『母権論』以降の後期バッハオーフェンは、いかなる種類であれおよそ秩序というものがまだ登場する前の両性関係としての「プロミスキテ-ト(Promiskuitaet)」を捉えるのである。これは乱婚とは違う。乱婚は一夫一妻制など何らかの性秩序・性道徳を前提としている。何らかの規律が乱されるから、破られるから乱婚となるのである。しかしモ-ガンの言うプロミスキティーでは、破るべき性秩序・性道徳は未だ存在しないのである。このプロミスキティーは、氏族社会には概ね存在していたが、家族の出現とともに潰え去った。このプロミスキティー段階の男女関係に、バッハオーフェンは人間社会の素晴らしさを発見したのである。それに対して、ギリシア・ローマの文明期に出現する家族においては、もはやプロミスキティーという自然的男女関係は失われている。未だプロミスキティーという術語を知る以前の曖昧さの残るバッハオーフェンではあるが、すでに次のような発言を行なっている。
「父の立場と母の立場との転換は、とりわけ、養子縁組(Kindesstatt)による家族のしている補完(Familienerganzung)および卜占(Mantik)の2つの領域において辿ることができる。養子縁組は純粋なヘテリスムスの支配する状態では考えられないが、デーメーテール的原理の下ではアポロン的理念に従うものとはまったく異なった形態をとらざるをえない。デーメーテール的原理の下では母方出自の原則に支配されているので、それは自然のままから離反することはない。それに対してアポロン的理念にしたがった場合は父性の虚構の価値(Fiktionsbedeutung der Paternitaet)に支持されて、純粋に精神的な生殖とい う仮定にまで舞い上がる。そこでは母を欠いた父性、あらゆる物質性をはぎとった父性が実現し、それによって母性に欠けている直系の継承という理念、永遠の血統というアポロン的観念へと完成されるのである。」
ここに出てくる「デーメーテール的原理」とは、先程示した人類史の3区分のうち、第2の段階に対応するもので、前述の「ギュナイコクラティー(Gynaikokratie)」に一致する。こちらの語は「女性統治」とでも訳せるが、家父長権のように政治社会(civitas)において暴力的に発現する権力ではない。先史社会(societas)において規範的に威力を発揮する自然的統率力である。バッハオーフェンは、自ら「アポロン的理念」、「永遠の血統」として説明する父性を、虚構と規定する。それに対して「デーメーテール的原理」として説明する母性を、自然的とか物質的と規定するのである。この2つの規定を現代風に表現すると、父性・父権はヴァーチャルにして母性・母権はリアル、となる。さらには、父権のもとに従属する家族はヴァーチャルで、母権のもとに秩序立てられる社会=氏族はリアル、ということになる。ギュナイコクラティー段階の男女は、未だプロミスキティーの余韻を残している。農耕儀礼のような生活の節目を刻むような祭りにおいて、それは瞬時に復活した。ローマ時代ではディオニューソス祭、あるいはバッコス祭がそれにあたる。いわゆるオルギーである。ギリシア・ローマ時代に成立し拡大した家父長的家族制度は、政治=都市国家という一種の擬制に支えられていた。家族のロ-マ原語(familia)には、家族という意味のほか、家父長の資産、奴隷という意味もある。こちらの意味こそ家族の本質を突いたヴァーチャルな概念であって、プロミスキティーの印象を知るローマの女たちがディオニューソス祭で蹴飛ばした関係であった。家族は、そのようなヴァーチャルな関係なのである。それに対して先ギリシアの氏族社会は、マテリアルにしてリアルな関係をもっていた。
もっとも、前期バッハオーフェンは氏族に言及しているわけではない。その語については、『母権論』刊行後の文通相手であるアメリカ在住のモーガンに学んで初めて知るのである。モ-ガンとの知的交流の過程でバッハオーフェンは、研究の分野および方法として神話学に民族学と社会学を合わせて、新たな執筆活動を開始する。それはやがて、『古代書簡』という書名の著作となって結実することになる。
先史社会は母系のみならず母権で特徴づけられ、その遺風は歴史時代になっても制度的に継承されてきた点は、非ヨ-ロッパ諸地域の文化人類学的フィールド調査で確認されている。例えばエジプトの場合、歴代のファラオは肉親の女性と結婚した。また王朝交替に際しては、正統性を維持するため新王朝のファラオは前王朝の王女と結婚する義務があった。ファラオの血統は母系ないし女系をとおして維持されるのであった。
先史社会は母権的だったとの指摘は、ギリシア神話にも発見できる。バッハオーフェンはそこに目をつけて『母権論』を執筆したのである。中でもとくにアイスキュロスの3部作『オレステイア』(Oresteia、前458年)の一つ「エウメニデス」(Eumenides)に出てくる次の場面に注目した。父アガメムノーン殺害の復讐を行なうため母クリュタイムネーストラ-を殺害したオレステースの裁判である。これは、ギリシア地方が母権的氏族社会(ゲンス)から父権的政治社会(ポリス)に転換していく歴史の境界を物語る神話なのである。
氏族社会においては、ある氏族の子どもたちが自分の母と自分の父とが相互に争っているのを見た場合、それを最終的には、子どもたちおよびその母が所属する氏族と子どもたちの父が所属する氏族との間の争いと見なすことになる。どちらに味方するかは自ずから決まっている。父およびその氏族をでなく、母およびその氏族を支持することになる。これは厳格な戒めである。しかし古代世界において、その戒めがついに破られる時がきた。ギリシアにおいてその画期を象徴している神話がオレステースの裁判なのである。
さて今度は、氏族社会の子どもたちでなく、女たちに目を移してみる。氏族内においてある女が自分の夫と自分の兄弟とが相互に争っているのを見た場合、それを最終的には、彼女および彼女の兄弟が所属する氏族と夫が所属する氏族との間の争いと見なすことになる。どちらに味方するかは自ずから決まっている。夫をでなく、兄弟を支持することになる。これは厳格な戒めである。しかし古代世界において、その戒めがついに破られる時がきた。その実例を私たちはギリシア神話にでなく、ゲルマン神話ないし北欧神話に垣間見ることができる。それは『エッダ』および『ニーベルンゲンの歌』に記されている。
12世紀から13世紀にかけて北欧のアイスランドで活躍した詩人・歴史叙述者スノッリ・ストゥルルソン(1178~1241)は、1200年頃北欧神話と英雄譚を編集して散文『エ ッダ』に集大成した。その中に「アトリの歌」という詩がある。これは、西ローマ帝国の将軍フラヴィウス・アエティウス(396-454)が436年フン人の王アッティラの援護を得てゲルマンの一派ブルグンド(ギューキ)を破り王一族を殺戮した史実に起因する物語である。ただし、物語ではブルグンドの王族を滅ぼしたのはアエティウスでなくアッティラ(アトリ)という設定になっている。
だだ一人遺されたギューキ【ブルグンド】王族の娘グドルーン【クリームヒルト】は、前もってアトリ【エッツェルすなわちフン王アッティラ】の妻となっていたが、彼女の夫つまりアトリに招かれアトリの城で殺害されたグンナル【グンテル】、ヘグニ【ハーゲン】ら兄たちの仇を討つため、まずアトリの息子たちつまり自ら生んだ子どもたちを殺してその肉=心臓をアトリに食べさせた。それから、酒に酔って前後不覚となったアトリを討ちはたし、最後にアトリの城を焼きはらった。【Vgl, Heldenlieder der Aelteren Edda, Reclam, 1998, S7-15. 松谷健二訳『エッダ/グレティルのサガ』、ちくま文庫、1998年、118~124頁参照】
『エッダ』の原話は紀元8世紀頃からノルウェーとアイスランドで成立したが、初期にはまだキリスト教の影響を受けていない。一般的に言って北欧ゲルマン神話では、神々は戦争ばかりしていて、あまつさえ死を逃れることができない。況んやイエス・マリア・ヨセフの聖家族に象徴される夫婦愛や家族愛など、知りもしない。ロ-マのカエサルがガリアからブリタニアまでを遠征した時、カエサルはあまりにも不可解な生活を営んでいるブリテン島の住民を目撃している。何が不可解かというと、例えば婚姻形態がじつに奇妙である。「ブリタニー人は10人もしくは12人ずつ、特に兄弟や父子たちの間で互いに共通の妻をもっている。ある妻が子どもを産むと、その母親が処女(virgo)として連れていかれた男の子と見なされる。」【G. J. Caesar, De bello Gallico, Reclam, 1980, S.244-245. 近山金次訳『ガリア戦記』、岩波文庫、1969年、156頁】
ギョ-キ王の娘グドルーンは、数奇な運命の道すがら、一族ともども自民族を滅ぼされた異民族の王アトリの妻となり、グンナル、ヘグニ兄弟をはじめ自分の肉親の仇を討つため夫を殺す。兄弟の仇を夫に対してはらすのである。この物語は古ゲルマンの英雄譚の特徴をよく残している。
しかし、これと同じ英雄譚がやがてキリスト教の影響を受けるに至ると、思わぬ変化をみることになる。その変化はすなわち、中世ヨ-ロッパのキリスト教的騎士時代にできあがった『ニーベルンゲンの歌』にはっきりと刻印されている。「アトリの歌」との相違をみると、それはギョ-キがブルグンドに、アトリがエッツェルに、そしてグドルーンがクリームヒルトに、ニヴルングがニーベルンゲンに、という読み替えだけでは、到底すまない。「アトリ」では妻が肉親の仇を討つために夫を殺す。これに対して『ニーベルンゲンの歌』では妻が夫ジークフリートの仇を討つために兄グンテルと家臣ハーゲンを殺し、出身民族のブルグンドを滅ぼす。そればかりか、ついには自らの生命をも滅ぼすのである。
『ニーベルンゲンの歌』に記された尊属殺人は明らかにキリスト教時代の産物である。そこには、一夫一妻制の家族形態とそこから醸し出される夫婦愛が漂っている。それに対して「アトリ」に記された尊属殺人と食人習は明らかに先史時代に根を張る遺物である。そこには、多夫多妻制の氏族形態とそこから印象づけられる血縁の同族愛が漂っている。
『ニーベルンゲンの歌』に記された、妻クリームヒルトによる夫ジークフリートの復讐譚に、後期バッハオーフェンはことのほか注目することとなった。彼は、1861年『母権論』刊行から約20年して、1880年と1886年に『古代書簡』全2巻(第1から第30書簡までが第1巻、第31から第61書簡までが第2巻)を刊行する。2巻からなるこの大著は、母権でなく、母の兄弟の権利、「母方オジ権(avunculat)」を問題にしている。父が 外部の氏族にいる母中心の氏族社会では、息子たちは大人になるまで母たちの兄弟に教育を受けることになる。そこで氏族社会では、ことの成り行き上、母の息子たちと母方オジたちとの親密な関係が成立し持続することになるのであった。そのような親族関係について突っ込んだ研究をなした後期バッハオーフェンは、ギリシア神話だけでは飽き足らず、北欧神話にも関心を示し、こうして『ニーベルンゲンの歌』にまで分け入ることとなったのである。
バッハオーフェンは、『古代書簡』の第二一書簡として「ニーベルンゲンのクリームヒルト説話における兄弟と姉妹]をあてがった。以下にその冒頭部分を記そう。
「親愛なる友よ、本日は、未詳の諸民族の伝承に関してゲルマン固有の先史時代を忘れないように、とのあなたのご忠告に応じようと思います。父権(Paternitaet)の認知に続いて、母方オジ権(Avunculat)に対して、タキトゥスが今日に書き残しているような高い意義[『ゲルマーニア』第二〇、「姉妹の男児(甥)には、伯(叔)父〔母方の〕の許においても、その父の許におけると同様の尊敬が払われる」(岩波文庫、77頁)。Germ.20: sororum filiis idem apud avunculum qui apud patrem honor.]を与えた民族にとっては、子宮[胎児]の優先権(der Primat der Uternitaet)[長子(相続)権]は不可欠でありましたし、したがって夫婦の無制限結合の要求に対する血の権利のたたかいは不可欠でありました。同じことはまた、はるかな早期の時代において母方の伯(叔)父(Mutterbruder)と紛れもなく同じ血を分けているといった外見に身を包んだ民族、そして最終的に『サリカ法典』[フランク民族の一派サリ人が5、6世紀に完成したラテン語の法典]に遺制を保存した民族、親族概念が母方オジ権の特徴と同一の根本理念にあって、文化的にみて[サリカ法典より]さらに古い時期の生活原理に基づく民族に言えます。
この推論の正しさを疑う余地なくする事例は、1例以上あることはあります。しかし、ドイツの英雄伝説における大粒の真珠であるニーベルンゲンの歌が、その最高の悲劇性においてかのたたかいを我々の前に引き出し、主要な、あらゆる部分に支配的な根本思想に選び出しても、なぜ副次的な重要性をもつにすぎない出来事ばかりにかかづらうのでしょうか。クリームヒルトの心中では、妻の愛が、子宮の兄弟姉妹愛という不可侵の権利要求に対して闘いを挑んでいる。そのすごさは、夫イアソンのために妻メデイア[ギリシア神話で、黒海東岸のコルキス国の王女だったが、夫のイアソンに捨てられたことを恨み、夫との間にできた2人の我が子を殺害した悲劇的女性]に科せられた運命にまでは至らない。臣下のハーゲンの行為を阻止しないことによって彼女の最愛の夫ジークフリトの殺害に加担したのは兄弟たちであり、また、後に財宝、すなわちシークフリートの無尽蔵のゆたかな(結婚の翌朝の)贈り物を彼らからだましとったのも兄弟たちである。この、もっとも近しいマクシャフト(父系母系を総称する血族観)の聖性に反する二重の犯罪は妹の心中に一つの苦痛を呼び起こした。それはニーベルンゲンの歌全体に響きわたる、破滅した夫への嘆きと一致している。クリームヒルトの憂慮は、ジークフリートとの長年の調和における彼女の心の平穏に対して衝撃的な矛盾を形成した。またそれは、甚だしく高まって、ついには裁判を引き起こし、有罪の者も無罪の者も一人残らず自ら奈落の底へ落ちるのだった。兄弟たちの手から受け取った支配権をめぐって争う2つの感情、すなわち一方での一人の母から生まれた子どもたちである兄弟への献身的な愛、他方での英雄たちの燦然たる栄光への激情という2つの感情の非和解性においてのほか、いったいどこにその根拠をもつでしょうか。また、そのために彼女が自身の破滅によって流血のドラマを閉じなければならいないような、彼女に固有の罪とはいったい何でしょうか。彼女の非常に激しい気性において、最愛の夫の謀殺に対する復讐欲が、別け隔てない母の慈愛に育まれた生まれつきの、物静かな愛に対して獲得したのは、勝利ではなかったのでしょうか。彼女はそのほかに何か罪を負っているわけではありません。彼女に「tiufelinne」(原註:おそらくvalandinne「魔女」、訳註:tiufelはteufel「悪魔」と思われる)の汚名をきせるのは、彼女の両足を洗う流血ではありません。胃だけは犠牲にせず、またもっとも尊い親族関係に対してだけは罪を犯さないこと。それだけは償いえず、それだけは正義の裁判執行官たるヒルデブラント[クリームヒルトを殺害]を登場せしめる。その後恐ろしいものが、彼女[クリームヒルト]の兄グンテルの殺害を通じて唯一最大の願望成就を、つまりジークフリート殺害者ハーゲンの生命を手に入れる。彼[ヒルデブラント]はその後ようやくこれ[クリームヒルト殺害]を執行する。なぜなら、ハーゲンは彼女および彼女の家柄と親族関係にあるのに、この詩歌[ニーベルンゲンの歌]はそのことをきわめて軽くみているため、それに著しく一致した叙述がなされているからです。この観点、私はこの叙事詩をそこから考察します。その正当性を証明するため[以下において]教訓的な箇所を抜粋することをお許しください。」【J.J.Bachofen, Antiquarische Briefe, in: J.J.Bachofens Gesammelte Werke, Achter Band, Basel/Stuttgart, 1966, S.169f.】
神話学者のみでなく民族学者・社会学者ともなったバッハオーフェンは、とりわけモーガンの学問的支援を得ながら、ついに、母たちとその息子たちのオジたち、つまり自らの兄弟たちとの間の、十分信頼にたる相互依存関係を発見したのであった。それまでの彼は、先史人類史を①アプロディーテー的プロミスキテート(無規律性交)、②デーメーテール的母権(集団婚)、③アポローン的父権(娼婦制を伴う一夫一妻制婚)と区分してきたが、ここに至って今一度この図式に大胆な修正を施すことになる。つまり②と③の中間に「母方オジ権(集団婚)」が挿入されるに至ったのである。
おわりに
吉本のいう対幻想は、私にすれば「フィクション」である。現代の我々の一夫一妻制の家族では、夫と妻がそのまま父親と母親になる。そうした家族像を、私たちは誤って永遠の昔からの像として固定的に考えがちである。それほどに、家族というのは実体性を特徴としている。家族の核は父と母だが、じつはこの取り合わせはまったくの他人同士である。家族の中で父母は血のつながりがない。けれども、子どもたちは、父母を核として家族愛を深めていく。
これに対して前近代の共同社会(氏族=クラン)は、実体性でなく関係性を特徴とする。制度的にみて現代の家族では、お父さんとお母さんと子どもたちが一つ屋根の下に住んでいる。それに対してクランでは、エクゾガミーという制度的な観点からみて、夫婦はいっしょに住んでいない。子どもたちも生みの親に囲われていない。夫と妻、親と子という関係があるのであって、実体は捉えにくい。
分業的な観点からいうと、男たちは通常は狩りに行っていて家にはほとんどいない。姉妹たちだけが家にいて農耕に勤しんでいる。兄弟たちが狩りに行っているときに、よそから狩りの最中の部外者が来て女たちとセックスをして子どもが生まれる。にわかづくりの夫たちは、しばらくするとまたどこかに立ち去っていって、そこに生みおとされた子どもたちは母親たちのところで育つ。そこには関係性だけがある。我々がいっているような意味での実体的な家族は成立していない。
もっとも実体を捉えやすいのは産みの母と実の子である。とくに母親から娘へ、という系譜は捉えやすい。そこで、母系が家族形態の最初に来ることが多い。しかし、この系譜には父親は入らない。したがって、家族という概念は父親とか父権とかの概念とともに生まれたと言える。人類社会はこうして、母権(母系)社会→母方オジ社会→父権社会、と変化してきた。その過程で、かけがいない夫婦愛というフィクションが形成された。夫婦については、血縁という実体が伴わない分をフィクションで補ってきたのである。
人(の能力)は、そのときどきの環境――社会環境、歴史環境、生活環境、そして身体環境――にあってさまざまな外的存在とさまざまな関係の中に共同存在しているのだということを忘れてはならない。自己同一の対象が変わればそれとの共同存在としての自己(の能力)も変わるということである。身体知的視座における自己とは、すべてその人物が関わり合ってきた諸関係の中で相互的に決まる。すべてが複合されて存在しているのであって、どれが本物でどれが偽物だなどと決めることはできない。諸関係の総体で見ていくのが本筋である。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study555:120905〕
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