あの大戦の呼称を統一できないか -敗戦65年を機に改めて思う-
- 2010年 8月 28日
- 評論・紹介・意見
- 15年戦争大東亜戦争太平洋戦争岩垂 弘
8月19日付の朝日新聞朝刊「声」欄に載った投書が、私の関心をひいた。「あの大戦の名称 統一できないか」と題する投稿で、65年前の8月15日に日本の敗戦で終わったあの一連の戦争をどのような名称で呼ぶのが一番適切かと問うた問題提起であったが、私も以前からこの問題を考え続けてきたからだった。
投書者は福島県伊達市の田丸安正さん(農業、78歳)。
田丸さんによると、15人前後の俳句の例会で、65年前に日本の敗戦で終わった一連の戦争がどのような名称で呼ばれているのか個人個人の考えを聞いてみたそうだ。
その結果、「大東亜戦争」「第2次世界大戦」「日中戦争」「太平洋戦争」などがあったようだ。これらについて、田丸さんは「大東亜戦争」については「これは一部の政治家らを除き、敗戦後はあまり使われていない」と述べ、他の呼称については「日本が直接かかわっていない欧州の戦争を含む『第2時世界大戦』は少数派だった。『日中戦争』では対米英戦争がなくなり、『太平洋戦争』では対中国戦争が外れてしまう」とコメントしている。そのうえで、田丸さんは「『15年戦争』という言い方もあるが、期間を表すだけの呼称なので実感がわかない。『昭和戦争』と言えるかもしれないが、一方で敗戦後40年以上、平和な昭和時代が続いたので、今の日本人の感覚には合わないのではないか」と書いている。
そして、「これまでは、あの戦争の体験者が多く、それぞれが何らかの強いこだわりを持つがために、国民の大多数が賛同できる呼称を求める余地がなかったのではないか。しかし、敗戦から65年。そろそろ忘れてはならないあの大戦の呼称を統一すべきではないだろうか」との提言で投書を締めている。
太平洋戦争→15年戦争→アジア・太平洋戦争
私は15年前まで全国紙の記者をしていた。その全国紙には記者必携の『取り決め集』があった。記事を書くうえで守るべき事項が書かれており、社としての表記の統一や、使ってはならない差別用語などが指示されていたが、1941年(昭和16年)12月8日に始まり、1945年(昭和20年)8月15日の日本敗戦によって終わった戦争の呼称についての取り決めはなかった。
だから、私は、この戦争に関する記事を書く時は「太平洋戦争」という呼称を使った。なぜなら、中学校や高校で「これからは『大東亜戦争』という言い方をしてはいけない。『太平洋戦争』という言い方をしなさい」と教えられたからだった。なぜ「大東亜戦争」はいけないのか。先生たちから詳しい説明を受けた記憶はない。おそらく戦争を起こした東条英機内閣が決定した呼称だから使ってはいけないのだろう、というのが私の推論だった。
つまり、1941年12月8日に始まり、1945年8月15日の日本敗戦によって終わった戦争は「大東亜共栄圏」を目指して始めた戦争だったが、戦後、それが正しくない戦争だったということになったので、「大東亜戦争」は使うべきでないということになったのだな、と受け取ったのである。
というわけで、私は記事の上では専ら「太平洋戦争」を使ったわけだが、そのうち、世間では「15年戦争」という呼称が登場した。これは、1956年に哲学者の鶴見俊輔氏が初めて使った呼称で、その後、次第にこれを使う人が現れた。私も、好んで使った。鶴見氏は、 満州事変(1931年9月18日 ~ )日中戦争(1937年7月7日 ~ )太平洋戦争(1941年12月8日 ~ 1945年8月15日)と続く一連の戦争を連続したものととらえ、この期間が足かけ15年 に及ぶところから「15年戦争」と命名したのだが、私は、満州事変から太平洋戦争に至る過程を日本の連続的な対外膨張戦略ととらえた鶴見氏の史観に惹かれた。
その後、1990年代に入ってからだったと思うが、「アジア・太平洋戦争」いう呼称が登場した。私は、すかさずこれに飛びついた。というのは、「太平洋戦争」という呼称では、日本は専ら太平洋地域で米国だけを相手に戦っていたというイメージが強く、中国をはじめマレー半島、ビルマまでも軍を進めたこの戦争の史実が抜け落ちてしまうという思いが強くなりつつあったからである。また、「15年戦争」についても「戦争の期間は分かるが、これだけでは戦争の舞台がどこだったか分からない」という思いが募っていたからだ。そこで、「アジア・太平洋戦争」という表現なら、この戦争がアジア侵略を狙った戦争であり、アジアと太平洋地域が戦場になったと誰しも理解できるのではないか、と思ったわけである。
「15年戦争」→「14年戦争」、「太平洋戦争」→「東南アジア・太平洋戦争」ではどうか
こうして、私はまず「太平洋戦争」を、次いで「15年戦争」を、さらに「アジア・太平洋戦争」を使うに至ったわけだが、1993年8月30日、朝日新聞夕刊の文化欄に乗った一文が目にとまった。西田勝・法政大学教授による『気になる戦争呼称2つ』と題する寄稿だった。
それによると、西田教授らの日本社会文学会は去年(92年)と今年(93年)、中国東北地方の学者や作家たちとの間で、「満州国」(中国側の表現では「偽満州国」)についてのシンポジウムを開いた。中国側の交渉団体の名称は、なんと「東北淪陥一四年史編纂委員会」だった。中国では「日本占領期」といわず「淪陥」であった。
西田教授は書く。「(中国側は)『一五年』と言わないで『一四年』。日本占領期は一九三一年九月十八日から四五年八月十五日までの間だから、正確には十三年十一カ月弱。つまり中国では満で数えて四捨五入の方法を採り、日本では切りがいいと言うので、数えで数えているわけだ。日本も今や万事満で数えている時代。日中間をふくめて今後の地球時代を考えれば、『一五年戦争』ではなく、『一四年戦争』と、かつての戦争を呼び直す時が来ているのではないか」
「この二、三年来、『アジア・太平洋戦争』という規定が多くの人々によって使われるようになっている。私自身も妥当な呼称として使っているが、問題は、一九四一年十二月八日に始まった、いわゆる『太平洋戦争』の呼び名だ。いわゆる『太平洋戦争』は、太平洋地域だけで戦われた戦争ではなく、東南アジアでも戦われている」
「もともと、この戦争は石油やゴム等の資源の獲得をふくめて、行き詰まった日中戦争の打開策として企てられたものであり、また日本軍によるマレー半島への『敵前上陸』は真珠湾攻撃に先立つ一時間前に開始されている。首相がかつての戦争を『侵略戦争』と明言し、謝罪の意を表する今、アメリカにとっては妥当でも東南アジアの人々には全く偏った『太平洋戦争』の呼称は終わりにして、この戦争と真正面から向き合い、『東南アジア・太平洋戦争』と呼称を改めるべき時にきているのではないかと思うが、どうだろうか」
この原稿を書くに当たって西田勝氏に話をうかがったら、「1941年12月に始まった戦争を、『東南アジア・太平洋戦争』と呼んだこともありますが、これだと中国戦線で戦争がないように見えて、適切とはいえない。それで、小生は通年的には『一四年戦争』と書き、その空間的表現としては『アジア・太平洋戦争』と書き、1941年12月から始まる戦争については、括弧をつけて『大東亜戦争』と書いています」とのメールをいただいた。
読者諸氏はどんな呼称が適切と思われますか。
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