イギリス 花もよう 人もよう ── あべ菜穂子の花エッセイ 「戦争とポピー」
- 2012年 10月 8日
- 評論・紹介・意見
- あべ菜穂子
ポピーはイギリスでは、戦没者慰霊の花である。
毎年秋になると、街の人たちがいっせいに、赤いポピーの造花を胸につける。首相、国会議員、テレビキャスター、登下校する子どもたち。老若男女がみな、ポピーを買って、胸に飾る。その光景は、日本の赤い羽根募金に似ている。
赤い羽根募金は高齢者や障害者、被災者、と対象が広いが、「ポピー募金」の対象は、戦争で亡くなった人の遺族や退役軍人らである。募金運動は、ドイツの無条件降伏調印で第1次世界大戦が終結した11月11日(1918年)に向けて、繰り広げられる。最近では、2度の大戦の犠牲者だけでなく、イラク戦争やアフガニスタン紛争等、イギリスの関わった軍事紛争や、テロで命を落とした人々も、慰霊の対象になっている。
なぜ、ポピーが慰霊の花なのかというと、これには胸を打つ物語がある。
ベルギー西部のフランドル地方は、第1次世界大戦中、ドイツ軍とイギリス、フランスなどの連合国軍の間で激戦がくり拡げられた地である。戦闘で一帯は破壊され、草木や昆虫も死に絶えた。しかし、戦いの後に、再び生命(いのち)が芽生えた。赤いポピーの花が、見渡す限りの野を埋めたのである。
この地には戦闘前、数え切れないほどのポピーの種が土壌に眠っていた。ポピーの種は、土中では休眠状態にあるが、土が掘り起こされて表面に出ると芽を出し、花をつける。激しい戦闘で兵士たちの軍靴にもまれ、地表に姿を現したポピーの種は目を覚まし、戦場に流れた血潮をいたむかのように、赤い花を咲かせたのである。
この様子を、イギリス軍の軍医として戦地に赴いていたカナダ(当時はイギリスの自治領)出身のジョン・マックレイ少佐が見て、心を動かされた。戦友を何人も亡くし、傷心に沈んでいたマックレイ少佐は、幾重にも幾重にも波打つように連なり、風に揺れるポピーの花に戦友たちの魂の蘇(よみがえ)りを見た。頭上では、ひばりが鎮魂の唄をさえずっている。この地で散った、夥(おびただ)しい数の兵士たちの静かな眠りを祈るかのような、澄んだ歌声、、。
マックレイ少佐はこの感動を、「フランドルの野に」と題して詩に書いた。
「私たちは死者となった。つい数日前までは生きていたというのに。夜明けを肌に感じ、夕焼けの輝きに見とれていた。そして人を愛し、愛されていた。いま、私たちは眠る。このフランドルの野に、、、。」
少佐の詩はイギリスの雑誌に掲載され、評判になった。少佐自身は戦争が終わる数カ月前の1918年5月に、肺炎を患ってフランスの病院で亡くなったが、この詩は戦死者の鎮魂の詩(うた)として、終戦を待ち望む人々の間で広まったのである。
この詩がきっかけで、ポピーは戦没者慰霊の象徴となった。イギリスでは在郷軍人会がポピーの造花を作るようになり、毎年11月11日を「ポピー・デイ」と呼んで、戦没者慰霊の日としたのである。
ポピーの造花は、初めは第1次世界大戦から帰還した負傷兵士数人が手作りしていたが、やがてロンドン南部に工場ができて、大量生産されるようになった。工場ではいまでも、戦争で腕や足を失った元兵士ら60人が常時働き、年間2700万個のポピーと、11万3000個のポピーの花輪を作っている。ポピーに寄せられた資金は、戦没者遺族の生活補助等に充てられる。
ポピーは第1次世界大戦を象徴する花となったが、じつは、いろいろな花が歴史上、数々の戦争シーンに姿をあらわしている。
1996年に起きたコソボ紛争では、日本の新聞社の特派員が空爆後の春にコソボを訪れ、一面に咲き乱れる美しい野の花を見た。記者がついふらふらと花のあいだに足を踏み入れると、「死にたいのか!」と国際平和維持部隊のイギリス兵士の声が飛んだ。そこは地雷原だったのだ。「花の群生地は近寄らないことだ。人が土を踏み固めていないから、花が咲く」。記者はイギリス兵にこう、教えられた。(増田れい子著「心のコートを脱ぎ捨てて」より)
フランドルでは、戦闘で土が掘り起こされたことでポピーが花をつけたが、コソボでは人に踏まれない野で花が咲いた。その花畑の下には、地雷を踏んで死んだ3歳の女の子が眠っていたという。
かつて見た、イタリア映画「ひまわり」も、戦争と花を描いたものだった。ソフィア・ローレンの演じるイタリア人女性が、第2次世界大戦でロシア戦線に出かけたまま帰らぬ新婚の夫を探しに、終戦後、ロシア(当時のソ連)に出かけた。彼女は吹雪の中で繰り広げられた死闘の地を訪れ、地平線にまで届くかのようなひまわりの花畑を見る。「ひまわりの下に、雪の中で死んでいったイタリア兵やソ連兵が多数、眠っている」と、彼女は案内人から教えられる。
このほか、戦時下の爆撃被災地でヤナギランが咲き乱れることも、知られている。
戦闘の地に咲く花は、戦争の犠牲者たちの魂の復活であろう。息をのむほど美しい花たちのメッセージは、戦争の不条理を繰り返さないで欲しい、という叫びではないだろうか。
そのメッセージが、世界の指導者たちの耳に届くことを、願いたい。
(原文は2006年1月1日、日英フラワーアレンジメント協会報に掲載。記事は書き換えてあります。)
あべ菜穂子の花エッセイhttp://naokosfloweressays.blog.fc2.com/
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あべ菜穂子
毎日新聞記者を経て、フリーのジャーナリスト。2001年夏からイギリス人の夫、2人の息子とともにロ ンドン在住。著書に「異文化で子どもが育つとき」(草土文化)、「イギリス教育改革の教訓」(岩波ブッ クレット)、「現代イギリス読本」(共著、丸善出版)等。
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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