スペインで闘牛禁止
- 2010年 8月 30日
- 交流の広場
- 加藤義郎
(2010.8.29)
正確には「カタルーニャ州での闘牛禁止」(条例)で、スペイン全土で禁止されるわけではない。
去る7月28日、同州議会で可決され、2012年1月1日から実施されことになった。この条例では以前から動物虐待が禁止されていたが、闘牛はその対象から外されていた。そこに動物愛護団体が反対署名を集め、議会でこのような結論を出した。つまり「動物愛護」が表向きの理由となっているが、独自の言語と文化を持つ同州にはスペインからの独立を求める声も多く、そんな政治的な意図もあるとの見方もある(ニュース源)。しかしそれよりも、スペイン国内で闘牛人気が衰え、「国民の 4分の3が闘牛に関心を持っていない(世論調査)」ことの方が大きな要因だと思う。
前置きが長くなったが、「闘牛は動物虐待ではない、(芸術だ)」という立場で考えを述べてみたいというのが本旨です。今から40年も前、私はスペインのマラガ市に滞在していて〝闘牛祭り〟の時に、1日6頭の勇猛な雄牛が1頭ずつ、人間の考えた順序で殺されるのを観ていた。初めは「人間に危害を加える意思はないのに殺される牛は気の毒だ」と思いながら、しかし2日間、飽かずに観ていた。詳しくは「灰色の舌」をお読み願いたい。
日本で「闘牛」と呼ばれるスペインのそれは、徳之島に伝わる牛と牛とが角付き合わせるそれとは全く違い、黒い雄の猛牛をマタドール(殺し手)と呼ばれる闘牛士が、剣で刺し殺すショーであるのは日本でもよく知られている。スペイン語ではコリダ・デ・トロス(corrida de torros)と呼び、直訳すれは「雄牛の駆けっこ」という意味になる。上の「灰色の舌」に書いたので簡略にするが、マタドールの「とどめ」の前に牛は、助手、槍手、旗立て手によって、闘牛場を走り回らされる。この牛は生涯に一度、闘牛場を10分か20分のあいだ走り回された挙句に殺され、闘牛士と共に観衆の拍手喝采を浴びる。
今から牛の自分が殺されるという人間が決めた予定を知らず、ヒラヒラ動く物に突撃することを仕込まれた雄牛を観ていると、昔の日本の特攻隊や今日のイラクの自爆テロを思い出す。しかし人間と牛との違いは、自分の命がどうなるかを知っているか否かで、殺されることを知らない牛の純粋さは正に芸術的である。と言ったら論理的でないか。たしかに説得力は無いかも…。
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