自由な計画的民主主義の概念を提唱する (その2)/(その1)
- 2010年 10月 5日
- スタディルーム
- 岡本磐男
自由な計画的民主主義の概念を提唱する (その2)
まえがき
本年9月の民主党代表選挙の結果、菅氏が小沢氏に勝利し、菅政権が発足した。だがこの政権は、言語を絶する程の難題をかかえている。菅氏自身、その点はある程度自覚しているようであり、民主党のマニフェストの一定の実現のためには財政再建と経済成長の両立が不可欠との見解を提示している。だが、厳しい財政危機情況のもとで、経済成長など本当に実現できるのかといえば、その点には大いに疑問がある。
円高と国内経済の空洞化
まず今日では、ギリシア危機等を要因とする欧米投資家による円買いによって円高が発生している。菅政権は発足直後、為替市場介入によってごく僅か円安に誘導したが、この情況は一時的なものであり、基調としては円高傾向が持続していくものとみられる。円高は輸出企業による商品輸出を抑制する。採算がとれなくなる企業は海外への商品輸出ではなく資本輸出へきりかえざるをえなくなり生産拠点を海外へ移動させる。かなり以前から大企業はこうした対策をとってきたが、最近は中小企業でも円高によって経営環境が厳しくなり、中国をはじめタイやインドネシア等々多くの東南アジア諸国に生産拠点を移す企業が増えている。国内経済の空洞化である。この空洞化とは何を意味するのか。それは日本の資本主義が国家、国民を見捨てることを意味する。日本国民は資本主義によって生活しているのであるが、その生活基盤が失われる。実際海外に生産拠点を移した企業は、海外の現地労働者を雇用するし、技術者や監督者までも外国人を雇用する。日本人として日本に残るのは若干の経営者ということになろう。日本人の労働者の雇用は減少する。さらに海外移転した企業はどの国のGDPをふやすのかといえば、移転先の国のGDPをふやすのであり、日本のGDPは単に日本の本社に送金されてくる利潤部分にとどまるであろう。それ故に日本のGDP成長率などは減退していくことは当然である。さらに、円高が進展すれば、海外移転してさえも経営改善がのぞめない中小企業は倒産する以外に道はない。企業倒産が将棋だおしのように発生する可能性はありうる。現在の日本が直面している危機とは、このように資本主義では人々が生きていけなくなるかもしれないという構造的危機なのである。
資本移動の自由化
企業の海外移転に対して日本政府は、日本の法人税率の引き下げを検討する(海外諸国に対してそれは高いといわれている)とか、企業に対して補助金を出したり、移転しないように勧告するとかする方策以外は現在のところとりえないであろう。資本移動の自由化は、1980年代初頃から開始され、これが資本主義のグローバル化をもたらしたのであるが、このシステムを変えることは容易ではないことは判る。だがこれによって一国の企業倒産が激増し、国家の命運に関わるようになったとき、どうすればよいのか。ここではこの矛盾を指摘するにとどめたい。
日本の雇用問題
次には日本の雇用問題について論じたい。菅総理も選挙演説において、今日の日本における重大な経済問題は(1)に雇用、(2)に雇用、(3)に雇用であると叫んでいた。これは多分、今年度における日本の大学、高校における新卒者のうち10万人に近い人々が就職できていないという厳しい現実をさしたものだと思う。実際、若い新卒者の人達が学業をようやく終えて社会に巣立とうとするときに、社会に受けいれられず夢と希望を実現できず挫折させられるということは、これほど理不尽で悲劇的なことはない。さらに20才台から50才台へかけても340万人もの失業者達がいる。だが現在の保守政治家には、現在の就職希望者を就職させうる現実の具体策があるのか否か疑問を感ぜざるをえない。前期の企業の海外移転の問題を考慮しても失業人口は今後も増え続けると思わざるをえないが、政治家には失業者を発生させないという責任がある以上は、そのような新しい社会システムを構想することが肝要なのではあるまいか。そのさい財政面から新たな需要を創りだすというようなケインズ主義的発想はも早とりえない。需要創出のための政府・地方の累積債務の累積は限界に達しているからである。
日本の格差問題
現代日本の雇用問題は単に失業問題にかぎられるわけではない。格差問題も存在するからである。今日では約3000万人に及ぶ正規雇用者がいるのに対し、その半数に近い非正規雇用者は、年収約200万円以下しかえられないワーキング・プアとして存在している。両者の年収の格差はかなりのものである。また大企業の労働者と中小企業の労働者との間の賃金格差もある。さらに大都市の職場と地方の職場との間でもかなりの所得格差がある。このように賃金や所得の格差は種々の社会的立場において存在するが故に、もろもろの視座から捉えることができる。従来よく使われていた企業の管理、監督労働を担うホワイトカラー(サラリーマン)と現場労働者としてのブルーカラーの相違という言葉は、最近では正規雇用者対非正規雇用者という用語が正面から使われるようになったために、メディアでも使用されなくなったが、実態としては存在しているに相違ないと思う。あるいは正規雇用者の一定割合の部分はホワイトカラーなのかもしれない。なぜこの点にこだわるのかといえば、大企業のホワイトカラーの最上層に位置する大企業経営者の報酬について一言しておきたいからである。その報酬は、低賃金にあえぐ非正規労働者の20倍、30倍、あるいはそれ以上になっていると目されるからである。
格差の解消策
このようにみるなら、今日の格差社会として捉えうる情況は、資本主義が、古代や中世の社会と同様な階級社会であったという現実を白日のもとに晒すこととなろう。しかも私が憂慮するのは、日本社会のこうした所得格差とこれに依拠する資産格差は、当局が富裕層に対して高率の贈与税や相続税をかけて収得しないかぎり子々孫々にわたって固定化するということである。大株主や経営者のような資本家層の人達は、自分たちが富裕となったのは、自らの能力や資質や努力の賜物であるというであろう。また貧困層の人達に対しては、彼等には能力がない、努力が不足している等と論ずるであろう。他方、貧困な労働者の方でも、自分には社会的な強者になるに相応しい資質がなかった等と思って諦める人がでてくる。だが真にそうなのであろうか。その考えは一昔流にいえば、ブルジョワ・イデオロギーというものではないか。私は決して人間社会の進歩にとって競争が有意義であることを否定するものではないが、いかに激しい競争によっても個人の収入が30倍にも50倍にもなること等は決して信ずることができない。極度の格差が生じるのは、社会のシステムやメカニズムがおかしいのではないか。それ故、政府当局者が富裕層から貧困層へと所得を再分配することには賛同する。
経済の統制化が必要な理由
だが問題はそれだけで十分かということである。私は十分ではないと考える。それは、今日のように日本の資本主義が崩壊に直面しているときに、所得の平等化政策などは政府は決してとりえないからである。貧困者は将来への不安を感じて消費をしようとはしない。だからこそ経済の再生産は益々縮小してしまうわけである。だからこそ私は、経済の統制化、計画化が必要となるとみているわけである。日本の現状においては、統制化に有利となると思われる条件が一つある。それは今日では日本ではー実は世界的規模においてではあるがー消費財としての生産物が過度に存在し、あり余っているということである。他方で失業者が大量に存在しているということは、きわめて不可思議な現象であるが、これが資本主義の矛盾から発生する現実なのである。
計画的社会に関する理解を深めよ
今日の菅内閣は地方財源を拡充し地方主権を強化する方向で社会の変革を考えているようである。だが私はこの方向では社会の変革ができるとは考えない。メディアを含めて今日の政治家達がこの難局にのぞんで計画的社会について全く論じないのは不可思議に思われる。それはやはり20年前のソ連、東欧の政治経済体制の失敗に由来するものであるかもしれぬ。この失敗については多くの議論が必要なので本稿ではとり扱いえない。だが社会主義体制でなくとも計画のある社会は存在した。日本の古代、中世の社会および徳川幕藩体制下における共同体経済においては明らかに貨幣による商品売買を伴わない計画経済システムが創出されていたのであってこの点により多くの注目が払われねばならぬであろう。昭和8~10年(1933~35年)の時代では日本でも統制経済や計画経済の論議が盛行していた。そして私のように第2次世界大戦を経験した者は、実際に食糧配給制度のような統制経済を体験した。私は戦争末期には中学3年で勤労学徒として働いていたが、昼食にはたった握り飯2個しか配給されないような貧しく質素な生活ではあったが、それでも大変な生き甲斐と達成感を感じていた。米軍との戦いにおいて勝利するという共通の目標をもっていたせいか、友人間の友情は熱く共同体意識は強かった。あれは何だったのだろうか、と今にして思う。却って終戦後になって学校に戻り市場経済のもとで生活するようになってー終戦直後の3~4年間は生産力が回復せず戦争中よりも苦しい生活を余儀なくされたがー友人との関係において気持ちが離れ淋しい思いをしたものである。そうした体験から私は統制経済をそんなに悪いシステムとは思っていない。
生産手段の社会的所有への転換を図れ
以上に論じたように私は早晩日本は、市場経済システムのみでは人々は生きられない情況が到来すると思っている。それ故に本稿(その1)で論じたようなラスキの所説における計画的社会の如きシステムを構想することが肝要である。では日本では計画的社会はいかにして創出できるだろうか。私は以下のように考える。まず中小企業が倒産すれば日本政府はその企業の株式を取得して企業を一時的に国家所有にすることである。もとより今日では、国家財政の情況は極度に厳しく、株式取得が困難であることは承知しているが、倒産企業の株価は従来の価格の5分の1、10分の1に下落しているだろうから、政府は公共事業投資などは一時的に中止してもこれを購入するように全力をつくすべきである。それはいつまでも国有化するというのではなく、経営が軌道にのれば持分(権)を他の公共機関に譲渡したり、従業員に配分したりすればよい。ともあれ生産手段の私的所有を廃止し社会的所有に変換するように努力することである。
中小企業を生活協同組合へ転換させる
全体の企業数の九割以上を占める中小企業が公的機関によって所有されれば、経営者は利潤追求をやめ生活協同組合方式をとるようにする。利潤追求型の企業ではなく、消費者が要求する消費にみあった生産活動を行う協同組合を創出するようにする。そのさい47都道府県に分割されている日本列島を同様の複数単位に分割し、例えば1つの県の県民が要望する消費財の数量を県自治体が把握するような方式を通じて、その数量に見合った生産を行うように生活協同組合のシステムを活動させるように計画する。これを漸進的に行うことは今日のコンピュータ技術をもってすればそれ程困難なことではないと思われる。このようにして生協の組合ーこれは今日のNPOやNGOのような社会的企業の一環、とくに主要な環となるーをふやし、これによって供給される消費財によって、誰もがが生活必需品に事欠くことがないような、安心安全のシステムを作り出していく。中小企業が生活協同組合に転化することによって、この分野での利潤追求はなくなり、市場経済は廃絶され、貨幣流通は廃止される。もっとも貨幣が廃止されても、物々交換制になるわけではない。消費者がデパートやスーパーで消費財を取得するさいには、市場経済下の貨幣とは異なる指図証券のようなもの(かっての配給券に類似した紙券)が必要となるが、政策当局がこれを発行し消費者に配分する。消費財の価格はいかにして決められるのかの問題があるが、この問題はやや専門的になるので本稿では割愛せざるをえない。とも角こうした社会システムが形成されていけば、前述の計画化社会が顕在化することになろう。こうした社会が出現すれば、労働者の労働時間は現在よりはるかに短縮できよう。また労働者の定年制などはるかに延長されうるだろう。
混合経済体制を創り出す
大企業の生産活動については触れなかったが、その大部分は海外に進出しているからである。だが国内においては市場の分野が残るであろう。それ故に当分の間ー100年間位かかるかもしれないがーは、市場の分野と計画の分野の混合経済体制となろう。だが考えてみれば、古代社会の後半から中世社会にかけて、また徳川幕藩体制においても、市場の分野は計画の分野(共同体経済の分野)に比してごく狭隘であったかもしれぬが、つねに混合経済体制であったのである。
おわりに
飜って考えてみるまでもなく、古代以後の人類史においては、それがいかなる態様をしていようとも計画経済のシステムが主要な流れであった。生産力が低い発展段階においても、貧困や格差はあったかもしれないが、とも角人間は生存してきたのである。日本では資本主義の市場経済システムがとられるようになってから約140年経過したが、その間の生産力の増進はめざましいものがあった。また明治初期から現在までの人口の増大も2倍をはるかに超えたものだと記憶する。それに比較して生産力の増進はさらにはるかに倍率の高いものだったと思うが、にも拘わらず今日貧困に苦しみ、生活できない人が激増している。明らかに社会経済システムがおかしいのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study335:101005〕
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自由な計画的民主主義の概念を提唱する (その1)
まえがき
7月の参院選が終わった。各党の選挙公約をみるにつけ、私には不可解な言葉が多かった。例えば民主党菅代表は、強い経済、強い財政、強い社会保障制度を3本柱の戦略として掲げていたが、容易にはこうした文言を率直に受けいれることはできなかった。また民主党に限らずその他の保守党の政治家も大凡、現代の日本には成長戦略が必要であると述べ、何%の成長率という数値まで示すのだが、それをいかにして実現するのかという方法にまで論及することは殆どなかった。今日の日本は、海外での生産拠点づくりによって多くの資本の海外流出、空洞化も生じており、GDPも増大する環境にはないとみられ、成長率を高めうるとの見解には疑問をもつ。すなわち保守政治家達がどの程度資本主義と経済学を理解しているかに私は疑念をもってみているのである。国民大衆の中には日本を変えてほしいという悲痛な叫びを発する人が多い。どのように日本を変えるのか。この大問題に政治家達は答えきれていないのではないか。それ故に日本は、今後世界における政治経済上の地位を低下させ、混迷に陥っていくのではないか。それがために私は、敢えて70年前におけるロンドン大学教授H・ラスキの言葉を表題に掲げ現状についても考察したいと思う。
ラスキとの出会い
私は60年前の学部学生であった頃、哲学者久野収先生の政治学演習に参加させていただいた。久野先生の別の講義をも受講し、全部で16単位程取得したことを覚えている。政治学演習では、先生はロンドン大学の著名な国際政治学者であったラスキの著作『現代革命の考察』(原書、1943年刊、邦訳 上、下巻・みすず書房1950年刊)をテキストとして使用し、かなり丹念に読んだことを記憶している。この著作は現在読んでもかなり難解であるが、魅了される箇所が多かった。それ以来私はラスキに傾倒してきたのである。本稿の表題は実は、この著作の第8章「計画的民主主義における自由」からとったものである。なぜ古い古典を今読み直すのかと問われれば、私は1920年代から30年代へかけての(不況の)時代に関心をもっているからである。現代と共通の問題があるのではないかという問題意識をもつためである。私がラスキに共感を持っのは、28年に成立したスターリン体制と33年に成立したナチス・ヒットラー体制について、冷戦後半時代から日本人の多くは両者ともファシスト体制であるとみなす傾向が強かったのに対して、彼は二者をはっきりと峻別し、後者はファシスト体制であるといえるのにたいし前者は決してそうではないと捕捉していたためである。すなわち彼は1917年に発生したロシア革命の意義はきわめて高く評価していたのに対し、33年におけるナチス・ドイツの成立は無法者による反革命を惹き起こしたものとして厳しい評価を与えていた。まずはこの問題から簡単にふり返っておきたい。
ラスキによるロシア革命の評価
ラスキは1917年に成立した、ボルシェヴィキ党を率いたレーニンによって成就されたロシア革命の人類史的意義をきわめて高く評価し、これを賞賛した学者である。それは、ボルシェヴィキ党のみがツァー体制下の圧政に苦悩してきた民衆にその生活を自ら支配する力を獲得する希望を与え、また諸外国の労働者層にも光明と夢を与えてきたためであると叙述している。そして革命後の20数年間において、ボルシェヴィキによって教育制度が諸外国においてより遥かにに発展させられてきたこと、女性を劣等な社会的地位から解放し、職場で優遇し一定の地位を与えるようになったこと、大衆が経済的自由を享受するための真正の地盤が与えられ、失業の苦悩を消失させたこと、利潤獲得の動機は消滅し、賃金の性格は資本主義社会における賃金のように労働力の対価ではなくなったこと、等々に論及される。このように革命後の20数年間には、ソ連はアメリカの発展の150年間に匹敵する程の巨大な業績を上げてきたのではあるが、残念ながら民主化は果たされず、独裁制が強化されていったという。
ソ連における独裁制
彼はソ連において西側諸国におけるような民主主義社会が成立せず、政治指導者、党、官僚の独裁制が温存されたことをきわめて残念に思っているのであるが、他方ではソ連のような歴史的に遅れた社会ではやむをえなかった側面もあるとみていたようである。ロシア革命の時期においてボルシェヴィキの指導者達が相手にせねばならなかった大衆は、人口の8割を占める無学文盲の農民とごく僅かの比率の労働者層にすぎなかったため、彼等は権力の強化を図らねばならず、必然的に鉄の独裁制によってのみ達成しうるような規律を国民に強制せざるをえなかったこと、とくにスターリン体制時には、ソ連のみにおいて社会主義を確立せんとする決意によってもたらされたこと、さらにこの独裁制は機械の操作に不慣れな国民の上に急速に課せられた工業化のもたらした結果であったということ、等である。だが彼が独裁制の理由として最も力説している注目すべき点は、革命以後ソ連は10ケ国に及ぶ程の資本主義諸国から侵略を受け、その後も敵視政策を蒙り続けてきたことによって国際的に不安定な状況におかれてきたことによるとみていることである。確かに西側諸国の支配層は生産手段の私的所有を金科玉条の聖域のように考えているからこれと背馳する理念を掲げたソ連を敵視するのは当然だったといえるであろう。さらにスターリン体制下において独裁制が強化されていくのは、ドイツにナチスが台頭する等の複雑な條件が追加されることに依拠したと思われるが、ラスキもスターリン独裁制を好ましからざる事象と見ていたとはいえ、それが社会主義建設をめざしている体制であるかぎり、全面的に否認するといった姿勢はとっていないように思われる。
ファッシズムの意味に関する議論
これに反してラスキはナチスドイツの台頭に対してはかなり厳しい評価を下している。(本稿ではイタリーについての論及は省略する)ドイツは第一次世界大戦の終息後の1918年以後はワイマール共和国となるが、10数年間続くこの国家体制は政治的にはきわめて脆弱な体制であった。戦勝国によってドイツに課された賠償金は巨額なものでありドイツ国民に過大な負担としてのしかかったし、23~24年当時の激烈なインフレーションの襲来(物価高騰は最終的には1兆倍にも達した)によって中産階級の人々の生活は破綻に瀕した。さらに29年に発生した米国の大恐慌の余波を受けて30年代にはドイツも大不況に陥り、ヒットラーが政権を奪取する33年には失業者が800万人に迫る程であった。このような過酷な情勢のもとにナチスは台頭するのであるが、ラスキはまず、それを全く中産階級の支持によるものであったと指摘している。
ナチスは『国家社会主義ドイツ労働者党』の略称であるから、恰も左派の社会主義政党の如くに受けとられるかもしれないが、実態は全く異なったものだった。実際、20年代末頃から支持率を高めるようになったナチスは労働運動を弾圧するようになるし、本来の社会主義政党である社会民主党と共産党に対しても攻撃をしかけたのである。そして反対派の人々に対するテロ活動によってのし上がっていくのである。ラスキも「ファッシズムとは、テロによって築かれた権力であり、テロに対する恐怖と征服が齊す希望とに基づいて組織化され維持される権力である」と述べている。社会主義政党が弱体化し弾圧を受けていたのは、労働者自身が分裂していたためでもあった。他方でナチスは独占大企業からは金を貰っていた。だがだからといってヒットラーは大企業の意向を受けいれていったというわけでもなかった。ラスキはヒットラーを大企業の傭兵隊長であったといっているが、この隊長は労働者をも資本家をもコントロールすることを企図していたといえよう。
ヒットラーは政権をとった後独裁制を強化していくが、直ちに実行すべき2つの問題があった。その1つは、大量な失業者を救済することであり、第2には国家の威信を回復することだった。この2つの問題を解決するために、第1には大規模な公共事業政策を展開したし、第2には再軍備計画を実行した。これによって失業問題は一挙に解決されたが、問題は残った。それは、再軍備によって失業を救済しうるとはいえ、軍需品はこれを費消していかなければ、矛盾の解決にならないからである。軍需品の費消とは戦争を意味するものであるが、第一次大戦で奪われた領地を奪い返すという名目で近隣諸国に対する侵略戦争計画を樹立し、39年のポーランド侵攻を皮きりに諸国に対して挙国一致の戦争をしかけたのである。
これは全く社会主義の理念に反したことである。それではナチスの運動は全く社会主義的要素がなかったかといえば、そう言い切るには若干、躊躇する問題がある。それは第1にはヒットラーが大衆運動を行ったことであり、大戦中においても巧みな弁舌と演出によって広範な層の大衆の支持をえてきた点である。第2にはヒットラーは資本家による企業利潤の取得にも干渉し制約を課してきたということである。この場合、ユダヤ人が経営していた高利貸部門(今日における消費者金融のような部門)や商業・流通部門の利潤等は、ユダヤ人迫害との関連で政府が収奪する等のことはもとより断行されたが、これ以外の企業部門の利潤にも統制が加えられ、投資の方向が規制されることが多かったようである。こうした問題についてラスキも触れてはいるが、彼はとくにこれを評価していない。というのも、彼は、既述した如くナチスはテロ行為によって政権を奪取した権力であったということ、諸外国への侵略戦争遂行を強硬に推し進めたということの外に、ユダヤ人の迫害、大量虐殺の悲劇をもたらした(もっとも彼の著書の出版が43年初頭であったこともあり彼はこの問題に殆ど触れていない)等のことを念頭におく時、ナチスのファッシズムは批判さるべき対象としてしか捉ええないと考えたのであろう。
第2次世界大戦後における民主主義国はどうなるのか
以上のようにロシア革命とナチスドイツを考察したラスキは、大戦の結果西欧民主主義国家が勝利したとしても、到底従来のような自由主義的資本主義の体制を維持することはできず、計画的社会に転化せざるをえなくなるであろうとみてその道筋を予測したのである。その予測は実際には外れたのであるが、今日的観点から彼の主張を省みればきわめて参考になると思われるので、以下ではその主張を簡単に紹介しよう。
彼は資本主義市場経済の欠陥をさまざまな視角から論じている。例えば、(1)この経済社会は、貧富の格差を拡大し、少数の金持ちと多数の貧乏人が存在する社会を生み出す。(2)財産所有者の権益を代表する全ての政府は、もしかかる権益が利潤獲得組織に基づいて築かれたものならば、必ず腐敗し、金権政治となる。(3)利潤獲得社会では、福祉に対する平等な権利の要求を認められていない個人と国家との間において正義が行われることは不可能だ。(4)自由と民主主義の国家などといっても、個々の市民なるものは、異常な能力を有するか、もしくは富によって与えられる特別な地位を有する者でない限り無力である。人間性の尊厳も保證されない。(5)不平等な社会における市場の非人格的機構が弱者の犠牲において強者の権威を増大せしめ、弱者に対し失意の念と無力感とを与えている。(6)利潤獲得社会では、獲得主義がこの社会の中心原理をなすこととなり、かくして人生の他のあらゆる様相が、この原理に隷属せしめられる。それ故、政府が美術、演劇、学問および文学の発展を促進すべき義務の認識を制約している、等々である。
それ故にラスキは、自由放任主義とは異なる計画的社会、計画的民主主義の社会を創出すべきであると主張したのである。それ故統制経済を重視したのである。すなわち「経済力の根本的基礎が社会の手中に握られるべきだ」とした。そのために、中央銀行、株式組織銀行、保険会社、建築会社の国有化、土地の国有化、輸出入貿易の国家統制、輸送、燃料および電力の国有または国家統制、海運と鉄道、および航空業の国有化、炭鉱業の国有化等々を提唱している。そして「かかる基礎に立ってはじめて、経済力民主化の過程を真に開始することが可能となる」と述べている。
ラスキはさらに、「計画的社会というと自由を否定するものだ」という人がいるかもしれぬが、それは全く謬論であり、計画的社会の方が自由を保證するものであり、また公平、平等な社会を構築するものであると縷々説明している。その際自由とは何かという問題を哲学者の考える理念に依拠して議論している。そして自由市場機構の社会においては、自由というものは、財産所有者にとってしか意味をもたないものであると主張している。さらにラスキにとって資本主義的民主制国家へ計画を導入するということは、もとより市民一般の同意と承認をえながら進展させねばならぬということも主張している。
最後に彼が計画的民主主義の概念を提唱した背景としては、彼がロシア革命を研究した結果であることに言及しておきたい。彼はいう。「ソ連の労働者がスターリンを批判することは許されぬにしても、彼は、英国の労働者には容易に許されぬような仕方で彼の工場の職工長或いは管理者を批判することができる。彼の生活費は乏しく、住宅は貧弱であるにしても、彼の生涯は家柄によって限定されてはおらず、彼には失業の恐怖も老後の心配も存在しない。彼の保険のための措置は国家の司るところである。彼の子供の福祉を図ることは国家の第1の関心事である。」また別の箇所でもこういう。「ロシアの労働者は、失業の恐怖を知らず、病気の恐怖を知らず、老後の心配も知らない。彼は自分の子供達が最上の教育を受け得ることを知っている。」彼は外国の方が生活水準が高いことは知っているが、「かかる社会から彼は永久に隔離されているという意識に悩むことがない。彼は現在が自己のものだと感じている。勝利をかちうることができれば、彼は、現在成立している他のいかなる社会の市民よりも大いなる安心感をもつ。」と。
ラスキはこのような計画的社会が好ましいと評価したのである。本書が書かれて70年も経過し、20年前にはソ連も崩壊してしまったが、私にはラスキの研究書がきわめて貴重であると思われるのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study321:100830〕
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