青山森人の東チモールだより 第221号(2012年10月16日)
- 2012年 10月 22日
- 評論・紹介・意見
- タシマネ計画東チモール青山森人
「なぜ、そんなことをするの」 チモール海に浮かび上がる企業の業
タシマネ計画
シャナナ=グズマン首相は9月12日に国会で第五次立憲政府の政策大綱を発表しました。今年は「ささやかな勝利」として独立(「独立回復」)10周年を迎え、来る11月28日の「独立宣言の日」にはマヌファヒ戦争(1908~1912年、ポルトガル当局に対しマヌファヒ地方の領主ドン=ボアベントゥーラが反乱を起こした。東チモール側からすればポルトガルへの初めての武装反乱。ポルトガル側からすればアフリカと同様の平定戦争)の100周年を記念する特別な年であることから切り出したシャナナ首相は、第四次立憲政府が打ち出した「戦略開発計画2011年~2030年」を推進することをまず初めに強調しました。「戦略開発計画」に沿って教育・農業・退役軍人の問題・治安・雇用・道路の整備・外交……などなど各分野に取組むと述べます。すなわち第五次立憲政府は第四次を継承していくということです。シャナナ首相率いる東チモール政府による政策の大黒柱である天然資源開発について、シャナナ首相はこう述べます。
「石油部門は、われわれの自然の富の大部分をなし、あらゆる市民に配分される利益を増幅させる国の発展の基礎である。その意味でわれわれの国営石油会社の能力向上とともに、石油収入が完全な透明性を保ち続け、国の経済と社会の発展のために使われることをわれわれは確実にするであろう。石油部門はチモール人の市民と会社による最大限の参加とともに発展する。この部門の探究は、地質学・化学・石油技術・石油経済と経営の分野でチモール人を訓練することを含めて、必要な人材を向上させ開発させる。そして、われわれの石油産業の発展を支えるために、南岸地域は適切な基盤整備のもとで開発される。『タシマネ計画』はつまり、スアイを基地とした供給、ベナトにおける石油精製と工業、そしてベアソでの天然液化ガス工場、これら三部門で複数年にわたる展開をみせるのである」。
シャナナ首相のこの発言は「戦略開発計画2011年~2030年」に記述されている「タシマネ(Tasi Mane、テトゥン語で南の意)計画」の要約です。「タシマネ計画」を簡単に繰り返しますと、スアイを供給地点として、ベナトを石油基地、ベアソを天然ガス基地にしながら、石油・天然ガス産業を開発・発展させていくという計画で、最終的に2030年までにこれら三都市が高速道路で結ばれ「南計画」の完成となるという夢のような計画です。しかもベアソの天然ガス基地とはチモール海のガス田「グレーターサンライズ」からのパイプラインを大前提としているのです。「グレーターサンライズ」の開発についてまだオーストラリアのウッドサイド社と交渉中、いや交渉が暗礁に乗り上げ中なのに、「タシマネ計画」を含む「戦略発展計画」は絵に描いた餅にならないのでしょうか。
東チモールの「近いうち」
シャナナ首相は同じ日に国会議員との質疑応答のなかで、オーストラリアのウッドサイド社と交渉が難航している「グレーターサンライズ」田の開発について、「近いうち東チモールにパイプラインが引かれる判断がされるだろう」と自信を示したと『テンポ=セマナル』紙が報じています。
「自信」とはつまり、パイプラインをダーウィンにはひかせないし、世界初となる洋上の液化天然ガス生産工場方式も認めない、妥協はしないぞ!という決意に揺るぎないという「自信」です。では「近いうち」とはいつなのか?これは東チモール側が決めることではなく、東チモールとの開発パートナーが決めなければならないことです。
ウッドサイド社は「グレーターサンライズ」と東チモールのあいだのチモール海に巨大な海溝があってパイプラインをひくのは技術的に無理と発表したことがありましたが、のちに東チモール側の調査によって巨大な海溝は誇張であり、窪み・谷ほどの緩やかな坂でありパイプラインをひくのは技術的には可能であると訂正・反駁された経緯があります。
今年の5月16日、シャナナ首相は、独立10周年を迎えようとしている東チモールの政府庁舎の前で6メートルのパイプのサンプルを披露しました。『ディアリオ』紙(2012年5月18日)によれば、オマーンからインドへ1000kmに渡るパイプラインを敷いた実績を持つドイツの「エウロパイプ」(Europipe)社を、東チモール政府はパイプライン製造会社に選んだといいます。
ウッドサイド社が「近いうち」を先延ばしにすれば、当然、交渉は決裂、新たな共同開発社が登場することになるでしょう。日本にも「近いうち」がありますが、どちらの「近いうち」が先にやって来るでしょうか……。
未払い税金と未払い配分
少々時間を遡りますが、国会議員の総選挙が行われたばかりの7月11日に、アジオ=ペレイラ官房長官は、チモール海の共同開発地域で石油開発をする諸会社による東チモールへの未払いの税金はおそらく数十億ドルになるであろうと発表しました。会計検査は28件の事例を発見したというのです。オーストラリアもまたこの共同開発区域の所有者でもあるので、東チモールと同様に税金を少なく払われている可能性があるので調査したほうがいいともアジオ=ペレイラ官房長官は提案しました。
チモール海の共同開発区域とは、インドネシア軍による不法占領時代には「チモールギャップ」と呼ばれた海域です。「グレーターサンライズ」田はこの区域の東端にあり一部はみ出ていますが、パイプラインの出発点は区域内に位置します。インドネシアによる東チモール占領を唯一承認したオーストラリアは、東チモール人がインドネシア軍の暴力に苦しめられている事実を横目で見ながらこの海域で天然資源の開発に乗り出しました。東チモール人にとってこれは盗掘です。東チモールの施政国と主張するポルトガルにとっても、文脈は異なりますが、盗掘です。1991年、ポルトガルはオーストラリアの「チモールギャップ」における開発は不当であると国際司法裁判所に提訴しましたが、1995年、国際司法裁判所はこの件について判断できないという面白くもおかしくもない判断を下しました。
インドネシア軍撤退後、「チモールギャップ」の曖昧な領有権に決着がつくだろうとわたしは楽観視し、この天然資源は東チモール人のものとなるだろうと期待しました。当時ジョゼ=ラモス=オルタも不法な軍事占領に基づいた不当な「チモールギャップ」を引き継ぐつもりはないといいました。ところが実際に起こったこととは、東チモールはこの海域の天然資源をオーストラリアと共同開発することにし、名称が「チモールギャップ」から「共同開発区域」へと変っただけでこの海域は存在しつづけたのです。オーストラリアに妥協した東チモール人指導者たちにたいする怒りにも似た批判と失望の声を、東チモール人よりもむしろオーストラリア人の東チモール支援者からわたしはずいぶんときかされたものです(この時の東チモール人はインドネシア軍が破壊して遺した瓦礫の中での生活で精一杯の状態)。その批判の矢面に立ったのは抵抗運動の最高指導者シャナナ=グズマンでした。
このような昔を思い起こすと、パイプラインを東チモールにひくために抵抗運動時代のようにもう一度団結しようと国民に訴えるシャナナ首相の姿は、名誉挽回の姿に見えなくもありません。
少々話がそれました。未払い税金の問題に戻します。東チモールが共同開発にかかわっている「バユ=ウダン」田で石油開発をする諸会社は、東チモール政府の調査によると、税金の支払いが不完全であることが発覚したというのです。
天然資源庁から天然資源省に格上げになり長官から大臣になった第五次政府のアルフレド=ピレス天然資源相は9月14日、すでに3億ドルを取り戻し、まだ未払いの税金があるようだと語っています。税額の喰い違いについて裁判に仲裁を求めたり、東チモール政府を提訴したりする会社があり、東チモール政府は司法の場で自らの立場を弁護している、裁判の成り行きを見守っているところだと語っています。未払いの税額は30億ドルにのぼるであろうといわれています。
オーストラリアのドキュメンタリー番組『フォーコナーズ』は、2002年に東チモールと合意して「バユ=ウダン」田の開発に乗り出したコノコ=フィリップス社は、東チモール政府の聞き及びのないところでガスからの利益をあげているという東チモール側の主張を紹介しています。もし東チモール側の主張が正しいなら、共同開発の協定に反しているし、この会社は納税だけでなく利益配分も正しくしていないことになります。
ピレス財務大臣は同番組のなかで、「かれらはわれわれに正しいことをしていない。なぜ、そんなことをするの。かれらに問うべきです。もしあなたが正しいことをしなければ裁判にかけられます。いまかれらは裁判にかかっています」と語っています。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1042:1201022〕
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