テント日誌10/24日経産前省テント広場―410日目…若松監督の通夜と告別式に出掛けた
- 2012年 10月 26日
- 交流の広場
- 経産前省テントひろば
「いつの間に咲いて散ったか彼岸花」。なんて下手な一句をひねっているうちにぶると寒さを感じてしまう時候になっている。テントも一段と寒くなった。秋の長雨に降り込められての不寝番はもう冬だと思うほどだ。泊りだったが,若松孝二監督の通夜があって出掛けた。少し縁もあってその逝去を悼みでかけた。
『実録連合赤軍』以来、特にこれはと思う作品を出しこれからの作品の構想も次々と練っていたと伝えられさぞ無念だったのではと思う。過去の作品によって巨匠として遇されている監督や作家ではなく、この歳で大輪の花を咲かせているのは驚きだった。また、若松監督でなければ撮れない映画もあるわけで、本当に惜しい気がする。これからの作品として「原発事故」のことが構想されていることも聞いており、秘かに期待していたから残念である。どんな原発の映画を撮るのか想像するだけでわくわくするのに悔しい。
遺影はほほ笑みを浮かべた如何にも若松監督らしいもので、なかなかいいものだった。これは昨年5月伊豆大島で撮ったものと伝えられる。そう言えば彼は中上健次の『千年の愉楽』を撮っている《来年3月公開予定》。その中上の葬儀では都はるみの『涙の連絡船』がバックの歌だった。中上が好んで歌ったはるみ演歌だが、中上の歌で流れていた。二人とも伊豆大島には縁があったのか(?)来年公開のこの作品は楽しみである。
若松監督と近いところで話したのは『実録連合赤軍』の試写会とその後の打ち上げパーティだったように思う。この連合赤軍事件は今年も40周年を迎えたが未だに謎めいたところが残る。事実の経緯は分かってきているが、心的《精神的》領域でのことは謎がある。それは一向に明らかにはならない。その辺のことはその会の席でも述べた。
親鸞は「殺したくても一人も殺せないのに、殺したくなくても千人でも殺してしまうことがある」と述べている。何故だろうか。殺人は個々の意志的行為に違いないのだが、その個人の意志に機縁が関与しているからだ。この機縁は意志を超えたものと見られるが、人間の行為は意志と結び付いているなら、機縁も意志であり、この機縁は個々の意志に加わり、個々に意志を構成している共同意志(歴史的意志)である。それが個人の意志を左右するのだ。それならばこの共同意志はどのように個人にやってきて意志となるのか。あるいは個人はそれをどのように自己の意志にするのか。個人の意志を超えた意志として個人にやってきて個人の意志になるのはどのようにしてか。無意識というような概念は分かりやすいが、それでは明瞭ではない。多分、無意識も含めて連合赤軍事件は共同意志が諸個人の意志を支配した。個人はそれに掴まえられ操られたのであって、事件の中にあった諸個人は意志したというより意志させられたというべきではないのか。
この機縁、あるいは機縁の構造はどのようにして個人の意志になり《個人をつかまえ》、意志させたのか。この構造は事件を振り返る時、反省的に対象的になる時ですら解明しにくいものだ。若松監督の『実録連合赤軍』がそれをどこまで明らかにしているか、それはいろいろと評価の分かれるところだろう。だが、彼が連合赤軍の解釈ではなく、事実として描こうとしたのはこの辺がよく分かっていたためである、と思える。これは『キャタピラ』についても言えることだと思う。この機縁の構造が個人の意志に成ることには、個人がつかまえられると語ったことだが、向こうから個人にやってくる、あるいはそれが個人をつかまえることである。それならば個人の意志が共同意志になるために、共同意志(つまりは機縁の構造)をつかまえることは可能か。それはどのようにあるのか。歴史の流れをつかむということでもいいがそれはどのように可能か。
政治的運動は個人の意志の集合という側面から共同意志を形成しようということ確かだ。例えば脱原発という個人の意志を集め、それを共同意志《国民的意志》にし、それによって脱原発を実現しようとする。この側面は歴史がそこに参与する個人の集合であることで確かなことだ。しかし、それは半分の事実であってそれだけでは共同意志の形成にならないのではないか。共同意志には機縁の構造が流れており、それをつかまえなければ個人の意志は共同意志になりえない。ことを私たちは理論的にはともかく。経験的にはわかっている。
テントひろばや官邸前行動の持続のなかでもこのことは考え考えしていることだ。それは「やってみること」のなかからのみ視えてくるのかといことも含めてである。過去の事件だってこの構造はつかまえがたいのに実践的にというか、前に進んでいる場合には共同意志のありかは見えにくい。政治的ビジョンや構想は共同意志の媒介物、表現物であるが、それは「言ってみるだけ、立ててみるだけ」ということを免れ得ないのではないか(?) また。そこに政治行為における行動の重要性もでてくる。通夜からテントに戻り、朝は告別式出掛けまたテントに戻るという一日だった。テントの日誌としてはちょうとそれてしまった。が、こんなことをテントの中で話し込んでもいた。 (M/O)
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