クルーグマンの「財政緊縮狂」批判 ―現代のケインズに学ぶべきものは何か―
- 2012年 10月 31日
- 評論・紹介・意見
- クルーグマンケインズ半澤健市
2008年のノーベル経済学賞受賞者であるアメリカの経済学者ポール・クルーグマンが、「国家債務危機」と「財政緊縮時代」に抗して、現代のケインズらしい論陣を張っている。2012年9月30日の「ニューヨーク・タイムズ」のコラムを「ヨーロッパの緊縮財政狂」(Europe’s austerity madness)と題する。
《経済政策の目的は雇用創出》
ここでのクルーグマンの主張は、経済政策の目的をデフレ・ギャップの解消と雇用造出とするものである。現在、経済学界のみならず、ビジネスパーソンから一般大衆―我々のジョッキ片手の居酒屋談義―までが「ケインズ経済学」は、その有効性を失ったとするのが常識である。しかしクルーグマンは違うというのである。
ユーロ危機は一進一退を続けている。このコラムの頃に、ヨーロッパ中央銀行(ECB)による財政危機国家の国債取得などの救済策が具体化して世界市場は一旦沈静化した。しかしクルーグマンは、ECBの融資条件にある「緊縮財政」政策に反対するのである。緊縮財政は、いま世界の常識のようにみえる。しかしスペインやギリシャでは「緊縮財政」反対の大規模なストライキとデモが起こった。日本では断片的にテレビ画面で知る程度だが、詳しい報告を読むと運動は相当激しいらしい(田端博邦「ユーロ危機と欧州の労働運動」、「FORUM OPINION」、NPO現代の理論・社会フォーラム刊、12年9月)。クルーグマンは、EUのお偉方はこの「人民」を忘れていた、デモをする人民は正しいというのである。デモを扇動するのではないが、例えばスペインの危機は政府の浪費が原因ではない。危機直前のスペインは財政黒字であり債務水準も低かった。スペインやギリシャでは、失業率が1929年恐慌時代の水準に達している。昨日まで中流サリーマンだった人々が、食べ物を探すためにゴミ箱を漁るような事態が発生している。こういう時に、貧困者援助などの社会保障政策まで削減をしてはいけないのである。「それはないだろう」と言ってクルーグマンは抗議するのである。
《残酷な愚行が存在する》
それなのになぜ「緊縮」や「痛み」が必要だという声が起こるのか。
クルーグマンは、アメリカ同様にヨーロッパでも、多くの真面目なエリートが緊縮財政信仰にとらわれているという。ドイツの指導者層と話してみよ。彼等は「ユーロ危機」を国民の「モラルの問題」とみている。つまり「贅沢をしてきた国が、いまやっとツケを払う時期にきたのだ」というのだ。しかしそれは事実と異なる。スペインの住宅バブル発生の主犯は、ドイツの銀行だというのが不都合な真実である。エリートだけではない。ドイツの多くの有権者も政治家による誤った物語を信じている。南ヨーロッパ国民の無責任な生活態度が今日の結果を招いたという物語である。ドイツの政治家は有権者の拒否反応を恐れている。そこで緊縮政策を条件として、渋々と借金大国への緊急支援を認める、ということになる。クルーグマンはそういう認識を「残酷な愚行」(cruel nonsense)と厳しく批判している。
三党合意で消費税増税を決めた政権を戴く国民の眼でみると、クルーグマンの緊縮財政批判は大甘かつ異端である。事実、「新自由主義」のイデオローグである「ロンドン・エコノミスト」(The Economist)誌は、クルーグマンを「粗雑なケインズ主義者」、「執拗な活動家」、「象牙の塔に閉じこもった、米国左派の大衆的ヒーロー」、「思想界のマイケル・ムーア」と揶揄しているという(『世界』、12年11月号の「エコノミスト誌」論)。
クルーグマンは全ての国でケインズ政策をやれというのではない。ユーロ危機対策としてドイツ政府とヨーロッパ中銀(ECB)が救済を主導せよというのである。メルケル独首相は腰が坐らないと批判するのである。
《今すぐ拡大政策が必要だ》
それは、少し古いがドイツの週刊誌「シュピーゲル」(2012年5月23日・英文電子版)のインタビュー「今すぐ拡大政策が必要だ」(Right Now, We need Expansion)に表れている。その時点で、クルーグマンはギリシャのユーロ離脱もやむなしと言っている。ドイツ政府だけでなく、ECBの強力な支援が必要であると主張している。彼によれば、緊縮政策は「死のワナ」であり「痛みを克服しての繁栄」という考えは幻想である。拡大政策のマイナスはインフレ発生だけと考えるクルーグマンは、インフレが発生しても緊縮政策で退治できるとこともなげに言う。「ケインズは、緊縮政策は、スランプ時でなくブーム時に実施する政策だといった」と言うのである。
しかし独誌「シュピーゲル」もクルーグマンに迫って、「景気刺激策でヨーロッパは溺れ死ぬのではないか」と突っ込む。それでも「景気浮揚策による失業救済が先行すべきである。国債価格下落を心配するなど理解不能」というのがクルーグマンの答えである。現在は「大恐慌」ではないがそれに近い状況だ。「日本の失われた10年と同じことが起こるのか」という質問に、「日本の不況よりもっと悪い状態だ」と言い「日本の経済政策が良いとは言わないが、欧米の政策の方がヨリ悪い」というのである。リーマン恐慌に象徴される金融危機への対処が必要なことは認める。しかし金融危機と財政危機とはひとまず別の問題と考えて対応すべきだと考えているようである。
《「出来もしない政策」を巡る争いに》
私は以前にクルーグマンの「社会民主主義」論を紹介したことがある。ヨーロッパの社民主義の方向性が今後の日本政治に必要であろう。そう考えている私にクルーグマンは気になる存在である。
今や2009年8月の政権交代が夢幻となった。民主党は「出来もしない政策」をマニフェスト」に掲げたと総括するのが常識である。果たしてそうなのか。その常識は打破しなければならない。「出来もしない政策」が実行されたら困る人間集団が、総力を挙げて潰しにかかり成功したのである。政策は、緒につこうとした途端に「政・財・官・報・軍」連合軍に敗北したのである。次の総選挙は、「出来もしない政策」が、「潰れていない」ことを示す選挙である。一方で、「安全な原発」推進を唱える者たちを潰す選挙である。自民党総裁選の5人の候補者が、1人も脱原発を唱えなかったことを忘れてはならない。
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