初めまして
- 2012年 12月 1日
- 交流の広場
- 植杉レイナ
初めまして。
> わたくしは,吉本隆明さんの本の一読者です。
> 中村礼治氏のブログ「ニュース逆さ読み」から,こちらに辿り着きましたが,2012年11月30日の記事「石原慎太郎の原発肯定論はまともだが」に感想をさし上げようとしましたが,書き込みができませんでしたので,たいへん申し訳ございませんが,ここにお送りいたします。
>
> まず,吉本隆明さんは,「科学は人間を越えるものではない。」とも,何度も明確に書かれております。
> こと技術としての原発について発言なさったことだけが,過剰に,皆さんの記憶に焼き付いているようですので,申し上げたく存じます。
> そしてまた,石原慎太郎がそれほど考えているようには考えられません。上記ブログにございます『「人間が開発した技術体系を放り出すのは愚か」というのは吉本隆明が原発を肯定した論拠と同じであり、「吉本原理主義者」の私はこの点について石原の考えに同意する。』とは,あまりに拙速ではなかろうかと,失礼を承知で申し上げたく存じます。科学技術はそれ自身でしか超えることができないとしても,吉本隆明さんは以下のようにも書かれています。
>
> 『情況としての画像 高度資本主義下の[テレビ] 』より,引用をさしあげます。
>
>
> 河出文庫(1995年10月)『情況としての画像 高度資本主義下の[テレ] 』所収 「 エコロジー談義 Ⅱ 」
>
> p.105~106 より引用。
>
> 「現在の原子力発電の問題には、おおざっぱにいって、つぎのいくつかの個別的な課題が、層を成して取り囲んでいる。
> ①文明の発展の過程にあらわれ、また消滅する科学技術の実現化の必然の問題。
> ②科学技術的な原子炉装置の設計の安全性如何の問題。
> ③国家・公営企業と地域社会の一般民衆との経済的な利害の複雑なからみ合いと対立の問題。
> 冷静にかんがえれば、すぐわかるように①、②の項目からは原発マル印だとおもう。 ③の項目だけが原発の存在(日本では全電力の30%)やこれ以上の推進に、たえず異議申立と疑義が提出されてしかるべき問題なのだ。」
>
> p.104 からも引用。
> 「 なぜそんなにそら恐ろしい程の手間をかけて、安全チェックを施してまで、原子力発電に固執しなければならないのか、テレビを視ながらいささかうんざりする思いになっていた。」
>
>
> 以上,どうぞよろしく御覧下さい。
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。